この世界では恋なんてできない

三月菫@リストラダンジョン書籍化

第1話 配偶予定者


 中学卒業を間近に控えた、三月のある日。

 進路指導室に呼ばれた僕は、そこで担任から、とある通知書を手渡された。


「おめでとう、仙崎くん。これから橘さんと二人で、力を合わせて頑張ってね」


 担任の先生が微笑を浮かべながらそう告げる。

 僕はただ「はい」と、頷くしかなかった。

 

 空調の効いていない教室の冷たい空気を肌に感じながら、僕はじっと手元の紙を見つめる。そこには、無機質なゴシック体で、とある名前が書かれていた。


 たちばな 由紀ゆき


 その名前を見たとき、僕の中には特に感情らしいものは湧かなかった。

 同じクラスにいた彼女の顔は、なんとなく思い浮かぶ。

 地味な黒髪に、控えめな仕草。

 休み時間中、クラスの隅でノートを開き、何かを書き込んでいる姿を何度か見たことがある。

 

 目立たない存在だった。

 まともに話したことは、ない。


 *


 自分のクラスに戻ると、教室中にざわざわと、浮ついた空気が広がっていた。

 同じように通知を受け取ったクラスメイトたちが、口々に、お相手の名前と、それぞれの印象を口にしている。


「聞いてくれよ! 俺の相手、A組の井上だったぜ!? まーじで嬉しんだけど」

「あーあ、黒木だって。微妙……」

「えー、円香の相手、サッカー部の健斗くんなの!? いいなあ、イケメンじゃん」


 そんな中で、僕は橘由紀にそっと目を向ける。

 視線の先で、彼女は一人、席に座ったまま、じっと通知書を見つめているだけだった。

 おそらくは、通知書に記載された「仙崎昴せんざきすばる」という、僕の名前を見つめているのだろう。


「彼女が、僕の……」

 

 その先のという言葉は、どこか口にするのが気恥ずかしかった。


 配偶予定者。

 文字通り、将来的に結婚をする相手のことだ。


 僕は、公民の授業で習った、制度内容を思い出す。


 国家存続法。

 

 この法律は、僕たちが生まれる前の時代に、この国で少子高齢化が加速度的に進む中で、国家安全保障の一環として、整備されたものだ。

 この国で暮らす僕らの情報は、遺伝情報から社会的情報まで、すべて国に統制され、管理されている。

 その管理の中で、国がと判断した相手同士が、生涯の伴侶として、マッチングされるのだ。

 当然、国が示した相手は絶対的なもので、僕たちに拒否権はない。

 その相手を知らせる通知が、今、僕たちが受け取った、配偶予定通知書である。


 早い話が、恋人はおろかその先の結婚相手まで、国が決めてくれたということだ。

 

「よう、昴!」


 しげしげと通知を眺めていると、背後から、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 声の方へ顔を向けると、茶色に染めた髪をスポーツ刈りに整えた、背の高いクラスメイトが、机上に置いた僕の通知書に目を落とすところだった。


「お相手、誰だったよ?」


 人懐こそうな笑みを浮かべながら、僕にそう問う彼は三崎亮太。

 数少ない、僕の友人である。


「おい、亮太、勝手に見るなって」

「いいじゃねえか、減るもんじゃねえし。へえ、橘か。おなじクラスの、ふーん」

「ああ。で、亮太の相手は?」

「俺はな、ほれ」


 亮太が手にした通知書を手渡す。

 そこには、僕には見覚えのない、他のクラスの女子の名前が記載されていた。


「……梨花ちゃんじゃなかったんだ」


 亮太に通知を返しながら、僕はそうつぶやいた。

 

 亮太には、小学校の頃から仲のいい、幼馴染の女の子がいた。

 そして一年前――中学二年生のときに、亮太はその子と付き合ったのである。

 配偶予定通知前に誰かと誰かが付き合うことは、とても珍しいことだ。

 だから、当時、学校内でも話題になったことを覚えている。


 だけど、亮太にあてがわれた相手は、その子とは別人だった。


「亮太、その……」

「ん、まあ、しゃーねーよ。お国の方で決めていただいたんだろ? 俺たちの配偶予定者ってやつはさ」

「そう、だね」


 僕は亮太にかけるべき言葉を探す。

 けれど、当の本人は、からっとした笑顔を浮かべて、その言葉どおり、本当に気にしていないように見えた。


「それよりさ、今日はこの後、お相手との初顔合わせだろ。しっかりやれよ昴? お前は愛想がよくないからさあ。橘に嫌われないように、笑顔を忘れずにな?」

「うっさいな、言われなくてもわかってるよ」


 亮太は、からからと、爽やかな笑顔で笑った。


 *


 その日の放課後。

 僕と橘さんは、初めて二人きりで顔を合わせた。

 教室を出た先の、指定された教室でのことだ。


「……仙崎昴です。その、これから、よろしくね」


 そう言って、僕は頭を下げた。

 形式的な挨拶。

 これで良いのだろうか、と迷う。

 橘さんはそんな僕の迷いを知ってか知らずか、小さく頷くだけだった。


「……橘由紀です。こちらこそ、よろしくお願いします、仙崎くん」


 その日の僕たちの会話は、それで終わった。

 

 それから卒業式の日まで、僕は橘さんと積極的に会話を交わすこともなかった。

 とくに避けていたわけでもないし、意識をしていなかったわけでもない。


 ただ、橘さんが僕の配偶予定者……

 つまり、恋人になった実感がわかなかっただけだ。


 それにこの先の人生、僕は橘さんとんだ。

 配偶予定者以外と、付き合おうとすれば、それは法により厳しく処罰される。


 ただ国の制度に従って、僕は橘さんとこれからの人生を一緒に過ごす。

 時間はたくさんある。

 お互いのことを知ろうと、今から焦る必要はないと思えた。

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