第12話   行動開始

 夕日は傾き、漆黒の夜がやってきた。


 時刻はすでに午後十一時を回っている。


 今頃、大多数の人間は施設内に設けられた娯楽室で思う存分遊びに耽っていることだろう。


 娯楽室にはゲームセンター顔負けの設備が整えられ、その他にもビデオ鑑賞室や品揃えが豊富な図書室まで揃っていた。


 あと驚いたのは成人専用の快楽が味わえるプレイルームまで完備されていた。


 はっきり言って途方もない誘惑が詰まった施設だった。


 もし興味本位にただセミナーに参加した人間がいたとしても、最後には誘惑に負けて勧誘されてしまうことだろう。


 それほど人間の欲求をそそるあらゆる手段が講じられていた。


 だがある意味、それがいい塩梅に功を成していた。


 施設にいる人間は自分の快楽を満たすことに意識が向き、密かに施設を抜け出ている人間にまったく気づかないのである。


 それに今夜は淡い燐光を放つ月は暗色の雲に遮られ、その姿を見せてはいなかった。


 何から何まで好都合である。


 まさに忍者が活動するには絶好の機会が揃っていた。


 現に今、セミナー参加者が寝泊りしている施設から影のような速さで移動している物体があった。


 厳重な警備システムを掻い潜り、ある場所へ全速力で向かっている影が。


 涼一である。


 全身はすでに仕事着である特殊部隊風の格好をしており、敷地内に植えられている植物や木々に隠れながら移動していた。


 やがて涼一の動きがピタリと止まった。


 地面に片膝をついて耳を澄ます。


 周囲は広大な敷地なため、あらゆる虫の鳴き声が聞こえてくる。


 だがその泣き声に混じり梟の鳴き声も聞こえてきた。


 一見、何の変哲もない梟の鳴き声だが、涼一は額を押さえながら溜息をついた。


 すぐに地面を蹴って梟の鳴き声が聞こえてくる場所を目指す。


「相変わらずお前の〈偽言術ぎげんじゅつ〉は下手くそだな」


 二本の大木が寄り添うように植えられていた場所までやってきた涼一は、木々を見上げながらぼそっと呟いた。


 するとすぐに梟の鳴き声は止み、黒い物体が降ってきた。


「下手くそで悪かったわね。だってしょうがないじゃん。人間の声色を真似るならともかく、今時動物の鳴き声を合図にするなんて時代錯誤よ」 


 木々の上から降ってきた物体は、涼一と同じ格好をしている舞花だった。


 地面に降り立つなり、舞花は桃色に紅潮した頬を膨らませた。


 かなり傷ついているらしい。


「すまない、俺が悪かった。お互いこうして無事に合流できたことを喜ぼう」


 プイと横を向いていた舞花の頭を涼一は優しく撫でた。


 こんなところでへそを曲げられては本当に困る。


「まあいいけどね。私の〈偽言術〉は本当に下手くそだし」


 いい子いい子したのが効いたのか、舞花は照れながら鼻先をぽりぽりと掻いた。


 涼一は舞花のその仕草を間近で見て思った。


 年頃の女性の心理はわからん、と。


 それから涼一と舞花は木々の裏に隠れて本格的な作戦を立てた。


 すなわち、この厳重な警備システムの中からどう聖を助け出すかである。


「正面突破は?」


 真顔で提案した舞花の作戦に涼一は首を左右に振った。


「却下」


 当然であった。


 忍者が正面突破するなど前代未聞である。それでは忍者の意味がない。


 涼一は胡坐を掻きながら両腕を組んだ。


 う~ん、と唸り、最適な方法を捻出する。


 まずは聖がどこにいるのかを探す必要がある。


 だが、アテもなく探しているとすぐに夜が明けてしまう。


 とにかく敷地が広すぎる。


 涼一はひたすら唸った。


 涼一も昼間や夕方はただ遊んでいたわけではない。


 さりげなく何人かの信者に近づき情報を収集しようしたが、相手はしつこく勧誘をしてくるだけで埒があかなかった。


 情けない話だが、正直収穫はゼロであった。


 あまりの自分の不甲斐なさに涼一は大きく鼻息を漏らすと、舞花はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「ふふ、その顔だと涼ニイは収穫があんまりなかったようだね」


 滅多に見せない舞花の不敵な笑みに、涼一はピンときた。


「その顔だと何か情報を摑んだのか?」


 舞花は「もちろん!」と親指を立ててウインクをした。


 自信満々である。


「じゃあ聞かせてもらおうか、その情報とやらを」


 涼一が耳を傾けると、舞花は口を出して耳打ちをした。


 すべて話を聞き終えると、涼一は大きく目を見開いて舞花の顔を見つめた。


「お前……どうやってそんな情報を手に入れた?」


 舞花は桜色の唇に人差し指をそっと当てると、「これでもくの一ですから」と妖艶な笑みを浮かべた。


 その仕草を見た涼一は「嘘つくな」とバッサリ言い捨てた。


 涼一にはわかっている。


 舞花本人は〈くの一の術〉は使えない。


 確かに〈くの一の術〉を使えば情報など幾らでも入手できる。


 だが、伝蔵と正義は舞花に〈くの一の術〉を教えなかった。


 その昔、女は忍者にはなれなかった。


 どんなに鍛錬をしても骨格や筋力が男と比べてどうしても劣り、何よりも感情的に流されやすかったためだ。


 それに〈くの一の術〉を使う女の仕事は情報の入手が主で、そのためには女の尊厳を捨て去る意思が必要だった。


 だからこそ伝蔵と正義は〈くの一の術〉を舞花に鍛錬させなかった。


 今の時代には必要のない術だからだと二人は言っていたが、本心では単に舞花が可愛かったからそのような術を鍛錬させなかったことを涼一は知っている。


「まったく親馬鹿というか爺馬鹿というか」


「え? 何か言った?」


 ボソボソと小言を口にしていた涼一の顔を舞花は覗き込んだ。


 涼一はすぐに顔を明後日の方向へ逸らして「何でもない」と呟く。


 それよりも舞花が入手した聖の情報である。


 表向き児童福祉に力を入れていると世間に触れ回していた〈聖なる導きの会〉であったが、それは別に嘘ではなかった。


 実際にそのような施設がこの敷地内にあるらしい。


 施設の名前はその名も「児童会館」。


 位置的には敷地内の北東の方角に建てられ、距離的にはここから数キロメートルは離れているらしい。


「問題はない」


 涼一は言い放った。


 何キロメートル離れていようが関係ない。


 そこに聖がいるのならば真っ先に向かうだけだ。


 途中、警備の人間たちが有象無象に存在するだろうが、ただの信者など相手にならない。


 例え銃を持っていてもである。


 ただそれ以上に気がかりなことが涼一にあった。


 舞花は心配そうに涼一の顔を覗き込んだ。


「涼ニイ、もしかして甲賀流の忍者について考えてる?」


 さすがは鋭い妹である。


 顔を見ただけで考えていることがわかるなど一流の忍者になる素質を兼ね備えている証である。


 将来が楽しみだ。


「心配するな、舞花。俺はもう負けない」


 涼一の脳裏には、聖の家で遭遇した忍者たちの姿が浮かんでいた。


 その中でも卓越した体術と的確な判断力を有していた凄腕が一人いた。


 ちょうど体型は目の前にいる舞花と同じくらいである。


 もしかすると女だったのかもしれない。


 打撃を受けた感触が男とは微妙に違っていたからだ。


 しなやかな鞭で攻撃されたような感触に近かった。


 しかし、今となって相手が男だろうと女だろうと関係ない。


 あのときは完全に自分の負けであった。


 言い訳をする気はない。


 涼一は自分の拳を見つめると、決意を手の平に凝縮させて固く握り締めた。


 今度こそ絶対に負けない。


 負けてはいけない理由ができたからだ。


「よし、舞花。目的地がわかったのなら話は早い。さっさと行こう」


 と涼一が口にすると、舞花は「ちょっと待って」と右手を差し出した。


 涼一は肩透かしを食らった気分であった。


 意気揚々と乗り込む決意をしたところでいきなり制止されたのだ。


 舞花はごそごそとポーチの中から何かを取り出した。


 それは、手の平の中にすっぽりと収まる軽量サイズのデジタルカメラであった。


 舞花は取り出したデジタルカメラを涼一に手渡した。


「何だこれは?」


「何って市販のデジタルカメラ」


「いや、そうじゃなくて」


 涼一は何故ここで自分にデジタルカメラを手渡した理由を訊きたかった。


 すると、舞花はその理由を至極当然のように答えた。


「あのね、もし無事に聖ちゃんを助け出したとしてそのあとはどうするの? 私たちだけならともかく、聖ちゃんを連れながらこんな外界から隔離された場所からどうやって街まで戻るつもり?」


 的を射た舞花の意見に涼一は返す言葉もなかった。


 舞花の言うとおりである。


 聖を助け出した時点でお終いというほど今回の件は甘くない。


 この〈聖なる導きの会〉の本部施設は、完全に奥深い森の中に建てられている。


 おそらく信者の中に大地主でもいて、お布施と称して土地を騙し取ったのだろう。


 そして乗ってきたバスの走行距離から計算すると、徒歩で抜け出した場合一番近い街までは軽く三十キロはある。


 自分たちだけならばいいが、聖を連れてとなるとかなりキツイ。


 万が一誰にも見つからずにこの本部施設から抜け出せればいいが、それはおそらく無理だろう。


 聖会の警備の人間ならばともかく、裏には甲賀流の忍者が控えているのである。


 十中八九、見つかることは覚悟しなくてはならない。


「わかった? 三人でここから無事に抜け出すには〈驚忍きょうにんの術〉を使うしかないよ」


 涼一は額を人差し指で突きながら「それしかないか」と漏らした。


〈驚忍の術〉とは、相手を混乱させてその隙をつく忍術のことである。


 だがこの場合の〈驚忍の術〉は混乱に乗じて相手を攻撃するのではなく、逃走用に使うべきだと判断した。


「だからこそ外部に連絡をつける必要があるのか」


「そういうこと」


 ようやく涼一にも理解できた。


 舞花は聖を助け出したあと、地元警察をこの本部施設に呼び出すつもりなのである。


 そして聖会の信者と警察が衝突して混乱している隙に聖を連れ出して逃走する。


 変則版〈驚忍の術〉といったところか。


 だが涼一は未だに首を傾げたままだった。


「しかし警察がそう都合よく来るのか?」


「そのためにも何か証拠がほしいところだね。事前に調べた情報だとこの宗教団体はかなりあくどいことにまで手を染めてるらしいから、隈なく探せば裏帳簿や暴力団との癒着の証拠が見つかるかもしれないよ」


 なるほど、聖をただ助けるだけでは意味がないか。


 涼一は首を傾げることを止めた。


 近年では警察も宗教団体の活動に爛々と目を光らせている。


 それは数年前に起こった東亜ビル立て篭もり事件が引き金であった。


 散弾銃と爆薬を持った二人の男が現代の腐敗した日本政府に鉄槌を下すとか何とか勝手に主張した挙句、人質であった役員計十五名を道ずれに自爆テロを起こした。


 あとからわかった情報によればその二人はある宗教団体の信者であり、麻薬の常習犯でもあった。


 そしてそのあとも連鎖的に何件か小規模な宗教団体のテロ活動が目立ち、警察もほんの些細な情報でもすぐに行動を開始するようになった。


 だとすると、この本部施設で何かしら犯罪に繋がる物的証拠を握れば、地元警察が介入してくることは十分に考えられる。


 たった数年でここまで巨大になった組織だ。


 必ずどこかに犯罪の証拠は隠されているはずである。


 涼一は小さく頷いた。


 逃走プランはこれで決まった。


 だが、それには二手に分かれて行動したほうがいいだろう。


 何しろ広大な敷地である。


 通信施設の占拠と物的証拠の入手、そして聖を二人一緒に探せば二倍の時間を食ってしまう。


「私は通信施設を探しに行くから涼ニイは証拠の品と聖ちゃんの救出をお願いね」


 と言った舞花だったが、肝心の涼一はデジタルカメラを凝視しながら難しい顔を浮かべていた。表や裏を見たり、軽く振ったりしている。


「まさか涼ニイ、使い方がわからないなんて言わないよね?」


 ギクリ、と涼一は心臓を杭で打たれたような錯覚に陥った。その通りであった。


 はっきり言ってどう使うのかわからない。


「まったく、本当に機械に弱いんだから。これからの忍者は機械の一つも使えないとやっていけないよ」


 最初こそ呆れた表情を浮かべていた舞花だったが、それでも涼一に使い方を懇切丁寧に指導した。


 それこそ小学生に勉強を教えるように。


 五分ほどが経過すると、どうにか涼一は使い方を理解してきた。


 舞花の説明によれば何かしらの情報を発見した場合、それをデジタルカメラで写して内蔵メモリーに保存する。


 そして保存したそのメモリーをデジタルカメラから抜き取り、スマホに差し入れ舞花のスマホに転送するという作業であった。


「スマホのカメラ機能じゃだめなのか?」


 涼一が問いかけると、舞花は落胆するように大きな溜息をついた。


「カメラつきスマホの画素数だとどうしても鮮明な画像で映せないでしょ。それに警察を動かすなら小さな文字までピンボケなしで写っている画像じゃないと証拠品として認めてもらえない。そう言うこと」


「よくわかった。もう何も言わない」


 それ以上、涼一は舞花に質問することを止めた。


 機械の知識に関しては舞花のほうが遥かに上である。


 それこそ下忍と上忍ほどの差があった。


「じゃあそろそろ行くか」


 涼一はデジタルカメラをポーチに入れると、両頬を叩いて心身ともに気を引き締める。


「舞花、ここからは別行動だ。そしてお互い仕事を終えたら再びこの場所で合流しよう。幸いここは敷地内でも外れのほうだからよほどのことがない限り見つからないだろう」


 舞花はこくりと頷いた。すでに表情は立派な忍者の顔つきに変貌している。


「気をつけろよ、舞花」


「涼ニイもね」


 二人はお互いの顔を見つめあって笑みをこぼすと、次の瞬間には周囲の闇と同化するように消えてしまった。


 舞花は警察と連絡を取るために通信施設へ、涼一は聖を救出するために児童施設へ、死地に赴く戦国時代の忍者のような心境で二人は行動を開始した。

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