第11話 甲賀流という巨悪
高級そうな絨毯が敷かれている部屋には、数人の人間たちの姿があった。
正面の壁には巨大な額縁が飾られ、中には裏神伊久磨の肖像画が収められている。
その肖像画の下には、一人の女性が緩く腕を組みながら優雅に佇んでいた。
背中まで伸ばした黒髪は黒曜石のような光沢を放ち、長い切れ長の眉毛にほどよく伸びた鼻梁。
朱色の唇などは女の色香を存分に匂わせていた。
プロポーションも抜群で自分はインテリですと豪語しているような眼鏡をかけていたが、それもそのはず。
実際に彼女は東京大学出身者であり、〈聖なる導きの会〉の財務部門から伊久磨の秘書に選ばれた女傑であった。
鏡子は眼鏡の体裁を人差し指で整えると、目の前にいる人間たちに微笑を向けた。
「今回の貴方たちの働きは大変素晴らしいものでした。敵対勢力であった桃源教教祖の暗殺、それに裏切り者であった橋場から聖を奪還してくれたことは大いに評価できます」
鏡子が不敵な笑みを浮かべると、目の前に片膝をついていた黒ずくめの人間が軽く頭を下げた。
年齢は五十代前後。
髪は総髪で剥き出しの顔は野生の猛獣を彷彿させるように引き締まっており、濃く長い眉毛は相手を威嚇するような刺々しい雰囲気があった。
口も一文字に堅く閉じられ、余計な言葉は一切発しないとでも言っているかのようであった。
〈聖なる導きの会〉の裏で暗躍する甲賀流忍者〈影組〉の頭領である。
鏡子は龍善の隣にいた人間に視線を転じた。
「伊織、橋場の後始末はどうなりました?」
「万事抜かりはありません。死体は絶対に見つかることはないでしょう」
と龍善の隣で片膝をついていたのは、まだ十代半ばと見られる少女であった。
流れるようなショートカットの髪型に透き通るような白い肌。
無表情であったがそれがまた日本人形のような精錬された美を演出しており、きりりと引き締まった表情はとても十代の少女とは思えない鋭く尖った刃物のような雰囲気があった。
龍善の一人娘であり、〈影組〉の忍頭を務めていた。
伊織が淡々と仕事内容を伝えると、鏡子はくすりと笑った。
「私は当初、会長が何故貴方たちを雇ったのか理解できませんでしたが、今ではよくわかります。古来より連綿と受け継がれた忍びの技を振るう忍者の働きによりここ数年で聖会の信者数は膨れ上がり、敵対勢力も徐々に減りつつあります。これからも聖会のためにその忍びの技を存分に発揮してください」
鏡子の労いの言葉を聞くなり、龍善は顔を上げた。
「それは構いませんが……早いものでもう二年ですか。会長が急死してから」
龍善が呟くと、鏡子は苦々しい表情で親指の爪を噛んだ。
そうである。
何故、裏神伊久磨が信者たちに姿を見せないというと、すでに本物の裏神伊久磨は二年前に死んでこの世にいないからであった。
先ほど講堂でセミナー参加者に見せた映像は、生前に録画したものを編集して作った偽の映像であった。
「ええ、あのときは間違いなく聖会解散の危機でした。都心部で活動していたせいで過激派テロやゲリラなどの左翼の事件を担当する公安部に目をつけられ、あのまま対処に遅れていれば別件で強制的に検挙されていたのは間違いありません。ですがそれを救ってくれたのは貴方たち甲賀流〈影組〉の忍び衆でしたね」
「お互い利害が一致しただけです」
龍善は無表情のまま言った。
「鏡子様は会長亡き後も聖会を拡大したかった。我ら〈影組〉は己の技を振るう場を失いたくなかった。さすれば残されたもの同士互いに手を取り合い、協力し合うは世の必然でござりましょう」
「その言葉、深く胸中に留めておきます。これからもその力を存分に聖会のために役立ててもらいますよ」
鏡子が顔をほころばせると、龍善と伊織は同時に頭を垂れた。
と同時に部屋の中に続々と十数人の信者たちが入ってきた。
全員、銀色の指輪を人差し指にはめている。
鏡子は幹部信者の到着を確認すると、龍善と伊織を交互に見やった。
「今から最高幹部会を開きますので下がってくれて結構ですよ」
「はっ」
龍善と伊織はすくっと立ち上がった。
そしてそのまま入り口に向かって歩き出す。
すると、一人の信者が龍善の前に立ちはだかった。
身長百九十センチ、体重は百キロを越える巨漢の男。
髪型はソフトモヒカンにしており、両目は少し垂れ気味、着ていたスーツ――特に胸板や二の腕、両太股などは今にもはちきれんばかりに盛り上がっている。
ゴリラのような男である。
「何か?」
龍善は山のようにどっしりと行く手を阻んでいる男を見上げた。
龍善の身長も百八十センチ近くある長身なのだが、横幅が桁違いなのでどうしても男と比べると龍善のほうが見劣りしてしまう。
「お待ちなさい、山根。勝手なことは許しませんよ」
山根という名前の巨漢の男を一喝したのは鏡子である。
「会長代理、俺はどうしても納得がいかないんですよ。本来なら要人の暗殺や情報操作の仕事は俺たち警備部門の仕事でしょうが」
山根の言うとおり、現在、〈影組〉が行っている特殊任務は聖会発足と同時に設立された警備部門の仕事だった。
そしてこの他にも聖会には製薬会社や医療機関と裏で通じている医療部門や、一般信者のお布施や暴力団から流れてくる闇金を資金洗浄する財務部門などの様々な部門に区分けされている。
山根はその中の警備部門の人間であり、数年前までは実行隊の隊長も務めていた猛者であった。
だが聖会に〈影組〉という名の忍者組織が加わってきてからというもの、警備部門の仕事は本当に警備仕事だけになってしまった。
主な仕事はすべて〈影組〉に回され、聖会内における発言力も日増しに激減している。
山根はおもむろに上着を脱ぎ捨てた、ネクタイを外し、両袖を肘まで捲くった。
女性の太股ほどに発達した腕の筋肉には何本もの筋が浮かび、形容するならば金剛石の上から圧縮されたゴムを包んだような腕をしている。
そしておそらくは腕だけではなく全身も同様の筋肉で覆われているだろう。
鍛え方が並ではない。
それに全身から放出されている凄惨な殺気は野生の猛獣を想像させた。
まるで知能を持った闘牛である。
だとすれば二本の腕が角の代わりだろうか。
「会長代理、いい加減に認めてくれませんかね? 俺とここにいる〈影組〉のリーダーと戦って俺が勝てば〈影組〉は全員クビ。そして警備部門の仕事内容を元に戻すと」
「そ、それは……」
鏡子は焦った。
山根の言い分は十分に理解できる。
本来ならば今の〈影組〉の仕事は警備部門の仕事だったのだ。
しかし、それを変えたのは他ならぬ裏神伊久磨であった。
生前の伊久磨は〈影組〉の力を過大評価していた。
何しろ、情報収集や暗殺などは忍者の独壇場である。
一方、警備部門の人間は主に格闘技の専門家たちで構成されていたが、情報収集や暗殺の技術を一から仕込むには時間も金も莫大にかかった。
ならば最初から技術を身につけている〈影組〉に任せればいいと、伊久磨はあっさり仕事内容を変えてしまったのである。
鏡子は知っている。
警備部門の人間たちは腸が煮えくり返る思いであったことを。
しかし、前会長であった伊久磨の命令には逆らえなかったのもまた事実。
だが、今はもう肝心の伊久磨はいない。
代わりに伊久磨の個人秘書であり財務部門の長であった鏡子が臨時で聖会を機能させている会長代理の任についているが、発言力は他の部門の長とほぼ同じである。
それでも一応は会長代理ということなので、他の部門長は鏡子の指示に大人しく従っていた。
「い、いえ、やはりそんなことは認めるわけにはいきません。同じ聖会の人間同士争うなど何のメリットもありません」
「俺は忍者組織に入った覚えはありません」
もはや山根には鏡子の指示を聞く気はなかった。完全に戦闘体勢に入っている。
「くくく」
鏡子と山根のやり取りを黙って聞いていた龍善は、思わず笑ってしまった。
口を半月形に曲げて白い犬歯を剥き出しにしている。
「何がおかしいッ!」
自分のことを馬鹿にされたと思った山根は、部屋全体を揺るがすような怒声を発した。
「これが笑わずにいられるか」
龍善の後方で控えていた伊織は、全身が身震いするほどの寒気に襲われていた。
龍善も戦闘体勢に入ったことを察したからだ。
龍善は怒り狂った形相の山根に掌を差し向けた。
五本の指をピンと立てて開いている。
「貴様が阿呆のようにお喋りしている間、俺は貴様を五回は殺せた。だが、貴様はそれにまったく気づかなかった。悪いことは言わん、大人しくその無駄に肥え太った身体を退けて道を開けろ。それで今回の私に対しての無礼な態度は不問にしてやる」
その瞬間、山根のこめかみに数本の血管が浮かび上がった。
もうこれで誰の言葉も山根の耳には届かない。
「ふざけるなあああああ――――ッ!」
叫び声を発しながら山根は床を蹴って突進した。
一匹の猛牛と化した山根は、鍛えに鍛えた己の肉体を最大限に使って龍善を殺そうとした。
幼い頃から柔道を習い大学ではラグビー部で活躍していた山根は、一対一の戦いに絶対の自信を持っていた。
必殺の攻撃パターンを編み出していたからである。
まず持ち前の体格を生かして相手にタックルを当てる。
それで相手を倒せればよし、もし倒せなくても柔道で培った寝技で相手を押さえ込むという必勝パターンがあった。
山根はこの必勝パターンにより何人もの人間を喧嘩で倒し、聖会の警備部門に入ってからは実戦で相手を死に至らしめたこともある。
その数、実に六人。そして目の前には七人目と決めた相手がいる。
山根はタイヤのように盛り上がった右肩を龍善に向けながら突進する。
体重百キロの男が繰り出す必殺のショルダー・タックル。
衝撃に換算するならゆうに一トンは超えるだろう。
まともに受ければ無事では済まない。
「阿呆が」
龍善は山根の必勝パターンを一瞬で見抜くと、両足を均等に横に大きく広げた。
そして開いた状態の右手を床に向かって突き出し、その右手の手首の部分を左手で握る。
「おおおおおおおお」
だが山根は龍善の構えなどまったく意に介せず、絶対の自信を持っている自分の技を当てることしか頭になかった。
それに感受性も乏しかったのか、龍善の殺気がある一点に凝縮していくことも気づかなかった。
タックルの構えを取ったまま突進する山根と、左手を添えながら右手を床に突き出している龍善。
二人の間合いがついに三メートルまで縮まったときだ。
龍善の双眸が異様な輝きを帯びた。
同時に、床に突き出していた右手がゆらりと動く。
その瞬間、何人の人間が今の攻防を理解できただろう。
山根はタックルの構えのまま龍善の横を素通りして行くと、そのまま壁まで向かって激しく激突した。
その衝撃は波紋のように広がり、鏡子の後ろの壁にかけられていた伊久磨の肖像画がガタガタと揺れ動いた。
部屋の中にいた幹部信者たちは顔面蒼白で震えていた。
それも無理はなかった。
警備部門のみならず聖会の中でも最強クラスの武闘派で通っていた山根が、壁に激突したままピクリとも動かないのである。
当然であった。
山根は何故か大量の血を噴出させながら絶命していた。
構えを解いた龍善は虫ケラでも見るような目つきで山根をちらりと見ると、すぐに視線を鏡子に転じる。
「失礼した」
腰が引けている鏡子に龍善は頭を下げると、伊織に向かって顎をしゃくった。
それと同時に伊織を引き連れて龍善は入り口に向かった。
途中、山根の他に道を塞いでいた幹部信者たちがいたが、龍善は一度だけぎろりと睨めつけと幹部信者たちはモーゼの十戒のように道を開けた。
全身から放出されている龍善の闘気を肌でひしひしと感じたからだ。
龍善と伊織は幹部信者たちに見送られながら部屋から退出した。
一歩外に出ると細長い通路が延々と続いている。
床には真っ赤な絨毯が敷かれ、壁には海外の名画が所狭しと飾られていた。
数分ほどしてからだろうか。
龍善は歩きながら独り言のように呟いた。
「あれも馬鹿な女だ。我ら〈影組〉を意のままに操っていると勘違いしている。お前もそう思うだろ? 伊織」
「はい」
冷静な口調で答えた伊織だったが、先ほどから表情を薄く曇らせていた。
その伊織の表情を横目に見た龍善は、普段は絶対に見せない表情の変化に眉根をひそめた。
「どうした伊織? 何を考えている」
「いえ、実は……」
伊織は聖を連れ帰った際に遭遇した少年のことを包み隠さず龍善に報告した。
今までずっと隠していたが、やはり報告するべきだと伊織は判断した。
顎の先端を擦りながら龍善は「ほう」と薄ら笑いを浮かべた。
「なるほど。お前と変わらぬ年でそれほどの使い手が存在したか。それで、そいつの正体は何だと思う。お前の勘でいい」
一拍の間を置いて伊織は答えた。
「私たちと同じ忍びの者……おそらく伊賀流かと」
伊織の言葉を聞くなり、龍善は頬を吊り上げて笑った。
「ほう、伊賀流か。しぶとい山猿どもだ。性懲りもなくまだ生き残っていたか?」
織田信長が行った伊賀攻めの際にほとんどの伊賀流の忍びが殺され、その後、全国に散らばったことは周知の事実である。
そして時代が変わるにつれてほとんどの伊賀流の忍びは消滅したと龍善は思っていた。近年では伊賀流の噂がとんと聞こえなくなったからだ。
「どうします? お父様」
「捨て置け。我らには関係のないことだ。それよりも計画を進めなければ」
伊織は頷いた。
だが、心中では不快感が募るばかりであった。
それは先ほど大広間を影から警備している最中、不穏な気配を感じ取ったからだ。
もちろんただの気のせいという可能性もあるが、一概にないとも限らない。
流派を問わず、忍びとは蛇よりも執念であることを伊織は龍善から叩き込まれていた。
だからこそ不快感が取れない。
「お父様、お話があります」
「何だ?」
伊織は恐る恐る龍善に自分の思いと、ある行動のための許可を取った。
後々、この伊織が取った行動が涼一たちに不幸をもたらすことを涼一たちは露にも知る由はなかった。
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