第10話   忍び寄る二つの影

 伊久磨の説法が始まると、大広間には拍手に混じり恍惚の笑みを浮かべてすすり泣く人間も出始めていた。


 それも老若男女関係なしにである。


 涼一と舞花も怪しまれないように必死に周囲の行動と合わせていたが、微妙に視線を彷徨わせ、大広間の警備システムの有無を確認していた。


 大広間は壇上だけが明かりを灯され、聴講席は依然として真っ暗であった。


 それでも涼一たちは夜目が効く。


 すぐに壇上脇に潜んでいる警備の人間たちを発見していた。


 壇上にいる人間たちとは違い、周囲に鋭い視線を向けている。


 涼一と舞花は普通の信者とは異質な雰囲気を纏う警備の人間たちに注意を払いながら、壇上で説法をしている伊久磨の話を聞いていた。


 伊久磨の話しによれば、〈聖なる導きの会〉の教義とは将来に希望がある子供たちを独自の理論で教育し、腐敗した現代の教育に革命をもたらすというものだった。


 そうすることにより〈聖なる導きの会〉から育った子供たちは現代社会の救世主となり、将来は日本国のために輝かしい働きをしてくれると説いていた。


 涼一は心底呆れていた。


 隣で聞いていた舞花は口元を手で隠して欠伸をしている。


 ひどすぎる。


 伊久磨の説法は純粋な子供を餌にして親たちから大金をせしめるための口実であった。


 それも一見まともなことを口にしているように聞こえるが、その実、非課税対象である宗教法人を盾に莫大な利益を貪っているのは間違いない。


 話の節々にその子供たちを最高の環境で教育するには費用がかかるため、集まった人間たちの協力が必要だとほざいていた。


 早い話がお布施である。


 信者の中にはそれこそ財産すら投げ打ってしまう人間すらいるだろう。


 それでなければ年間数百億という利益が出るはずがない。


 三十分後、伊久磨のありがたい説法は終了した。


 天井の照明は再び煌々と点され、壇上には開始直前のように垂れ幕が下ろされた。


 それでも大広間に集まった人間たちはまだ伊久磨の魅力に中てられている人間が多く、その場から動こうとしない。


 両手を擦り合わせて壇上を拝んでいる人間もいる。


 涼一は背もたれに身体を預けて溜息をついた。


 首を左右に動かしてコキコキと鳴らす。


「舞花、そろそろ行くか。次は確か宿泊施設に向かう予定だったな」


 隣席にいた舞花は伸びをしながら立ち上がった。


 どうやら舞花も退屈だったようだ。


「うん、そうだね……ってあれ?」


「どうした?」


 席から立ち上がった舞花は、キョトンとした表情で人差し指を向けていた。


 最初はそれが自分のことかと思った涼一だったが、どうやら違うようである。


 舞花の人差し指は涼一の左隣席に向けられていた。


 涼一はふと隣の席に首を動かすと、今度は涼一がキョトンとした表情になった。


 隣席に座っていた老女と老女の娘の姿が忽然と消えていたのである。


 涼一はしばらくその場に立ち尽くした。


 周囲からはようやく席を離れていく人間の喧騒がいつまでも響いていた。



 セミナーが完全に終了すると、バスに乗っていた人間たちは再び外に集合させられた。


 これから班に分かれて違う施設に向かうのだという。


 もちろん、案内するのは先ほどのバスガイド兼観光ガイドの女性だ。


 いつの間にか赤いスーツに着替えている。


 一団が寝泊りをする施設に向かう途中、涼一と舞花は今度の予定を堂々と話しあった。


 と言っても口に出して言っているわけではない。


「涼ニイ。本当に今日は来てよかったね」


「そうだな。会長のありがたいお言葉も聞けたし言うことはないな」


 と口に出していた二人だったが、本当に会話している内容はまったく別だった。


読唇術どくしんじゅつ〉である。


 周囲を敵に囲まれ、口に出して会話ができないときに用いられる忍者の伝達術であった。


 そしてこの唇の動きだけで相手の言葉の意味を理解する〈読唇術〉は、忍者にとって絶対に身につけなければならない術の一つであった。


 しかし、ここで涼一と舞花が用いていた〈読唇術〉はさらに高度な〈読唇術〉であった。


 涼一と舞花は二十人ほどの一団の中央付近にいる。


 しかも全員が密着しているような形で移動していたため、唇を動かすだけの〈読唇術〉を使えば誰かに不振がられないとも限らない。


 そこで涼一と舞花は〈読唇術〉のさらに高度版を使用した。


 それは口ではまったく別の会話を堂々としながら、その会話が一瞬途切れた合間に〈読唇術〉を使うというものであった。


 この高度版〈読唇術〉を使えば、周囲の人間たちに怪しまれることはない。


 何故なら、本当に声を出しているからである。


 例えば、舞花が涼一に向かって「ここの施設は綺麗だね」と声を出したとする。


 だが実際には、舞花は〈読唇術〉で「ここの警備システムは厳重だね」と言っていた。


 涼一も同様に「そうだな、何て綺麗な施設なんだ」と相槌を打ったとしても、本当は〈読唇術〉で「そうだな、最新警備システムの宝庫だな」と言葉を返しているのである。


 こんな二重会話を続けながら、涼一と舞花はセミナー参加者が寝泊りする立派なホテルのような施設へと到着した。


 他にも後ろからぞろぞろと後発隊が到着し、施設の玄関口には百人ほどの一団が集合した。


 ガイドの女性の説明だと、昼食を取ったあとは各自の部屋に割り振られ、夕方まで雑用や詳しい〈聖なる導きの会〉の講習を受け、夕方以降は自由時間。


 そして明日一日は本格的な修行という予定になっていた。


 複数のガイドの女性の支持に従い、男子と女子はお互いバラバラに移動を開始した。


 バラバラに移動といっても同じ施設内なのだが、男子は施設の一階から五階までの空間、女子は六階から十階が寝泊りする部屋だと割り振られた。


 施設内の玄関ホールを通り、それぞれ割り振られた部屋に向かって全員が綺麗に移動する。


 もちろん涼一と舞花はホールに入るなり別れることなった。男子と女子ではエレベーターの場所が違うのである。


 涼一と舞花は平然とした態度で別れ、それぞれの部屋に向かった。


 もうすでに今後の作戦は決定済みである。


 涼一と舞花は施設に着くまでの間、高度版〈読唇術〉により夜間に施設から抜け出し、ある場所に集合することまですべて決めていた。万事抜かりはない。


 これより数時間後、セミナーに参加した人間たちは快適な施設の生活を満喫していた。


 だが誰も気づかなかった。


 厳重な警備システムを掻い潜り、別々に施設を抜け出した二つの影の存在に――。

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