第9話 教祖・裏神伊久磨
うっそうと生い茂る山林の中に建てられた白磁の建造物。
高い塀に囲まれ、軍事要塞か何かと勘違いしてしまうような堅牢な雰囲気があった。
それに驚いたことにバスは正面のゲートで停車し、運転手は警備の人間にIDカードのような物を見せていた。
正面ゲートを通ると、バスはいよいよ表向き児童福祉に力を入れているという新興宗教団体の本部施設前に到着した。
といってもその施設は一つではない。
事前に調べた情報とガイドの女性の説明を照らし合わせると、敷地内は驚くほど広く、点在する施設の数は数棟にも及ぶという。
それは一新興宗教にしては規模が大きすぎる。
よほど豊富な資金がなければこうはいかない。
バスからはぞろぞろとセミナー参加者の人間たちが降り立った。
すると何故かバスガイドの女性も一緒に降りた。
バスガイドの女性の手には小さな三角旗が握られている。
「涼ニイ、あの人って」
「ああ、観光ツアーのガイドも兼ねてるらしいな」
涼一は皮肉を込めてそう言った。
観光ガイドに変貌した女性は施設の中に全員を誘導した。
施設に入る前に表の看板を見ると、「第一講堂会館」と筆で書かれていた。
一流ホテルのようなホールを通り、二十人ほどのセミナー参加者はガイドの女性に誘導されながらある場所へと目指した。
その場所は地下にあるらしく、階段を下りながらガイドの女性は「まず皆様にはありがたいお言葉を授けてもらいます」と意味深な台詞を吐いていた。
地下に降り立ち、年齢も職業もまばらな一団は奥へ奥へと進んでいく。
雰囲気からすると映画館に近いだろうか。
横幅は狭く作られ、やがて分厚い扉が見えてきた。
それは部屋ではなかった。巨大な大広間である。
軽く五百人は収容できるスペースが設けられ、正面奥には学校の体育館のような壇上があった。
今は朱色の幕が下ろされているが、おそらくすでに何人かの人間が後ろで待機していることだろう。
涼一は幕の奥から複数の人間の気配を感じ取っていた。
涼一たちの一団は先発隊であった。
大広間のすでに前方は他から来たセミナー参加者で埋まっていたが、まだ人数はせいぜい五十人程度。
この大広間がすべて人で埋まる予定ならば、少なくともあと四百人近くがこの広間に来るはずである。
涼一と舞花は隣同士になるように椅子に座った。
位置的にはほぼ中央辺りである。
それから三十分もしないうちに大広間には蟻の行列のように人間が流れ込み、ほぼすべての席が埋まってしまった。
そんなにこの宗教は魅力的なのだろうか。
「ねえねえ、涼ニイ。何か映画を観る前みたいだね」
舞花の言うとおり本当に映画を観賞する直前の雰囲気だった。
これで目の前の幕がスクリーンだったら本当に映画館である。
「そうだな」
と涼一は舞花に軽い相槌を打つと、隣から声をかけられた。
「貴方たちは二人で今回のセミナーに参加したの?」
隣席には六十代前半と思しき老女が涼一にニコリと笑顔を向けていた。
「え? ええ、今日は妹と二人で参加しました」
少々戸惑いながら言葉を返した涼一に、老女は「まあ、お二人で参加したの。それは素晴らしいことだわ」と微笑を浮かべながら言った。
老女は白髪の長髪をうなじの辺りで団子のように丸め、高価そうな着物を着ていた。
きちんと白足袋に草履を穿いて物腰が丁寧なことから、老女はどこか裕福な家の出自だろうと涼一は思った。
ついでに、こういう人間が多額のお布施をするせいで新興宗教なんてものが世間に横行するのだろうな、と涼一はすこし気分が暗くなった。
それから何かと老女は涼一に話しかけてきた。
といってもプライベートについては一切触れてこず、今回初めてセミナーに参加した感想などを主に聞いてきた。
涼一は無下に断るのも悪いのでしばらく老女の会話に付き合った。
話を聞いていくと、老女は今回だけでなく頻繁に講習会などに参加しているらしい。
そして今日は娘と一緒にセミナーに参加していると言った。
涼一は老女の隣をちらりと見ると、派手なドレススーツに身を包んだ三十代前半らしき女性が座っていた。
ウェーブがかかった茶色の長髪にサングラスをかけ、涼一のほうは見向きもせずに正面を向いている。
まあ理由はそれぞれだな、と軽く老女の話を聞き流していると、ついに涼一たちを除くセミナー参加者には待ちに待った時間になった。
数分後、いよいよ幕が上げられた。
同時にどこかに設置されているスピーカーからはファンファーレが聞こえ、席に座っていた人間たちは一斉に拍手喝采を送った。
周囲で拍手の雨が鳴り響いている中、涼一は驚いたというより呆れていた。
幕が上げられた壇上には本当に巨大なスクリーンが設置されていた。
まだ何も写ってはいなかったが、スクリーンの前には全身赤のスーツを着こなしている人間たちがいた。
人数は全部で十人。
その十人は両手を前で組んで横一列に綺麗に並んでいた。
しばらくするとスピーカーからは鮮明な女性の声が流れた。
『お集まりの皆様、本日は〈聖なる導きの会〉の講習会に参加してくださり真にありがとうございます。そして本来ならばここで
涼一はスピーカーから流れた放送を聞くなり首を傾げた。
つまりどういうことだ。
「あら、今日こそは伊久磨会長をご尊顔できると楽しみにしてきたのに残念だわ」
隣席で溜息交じりに呟いた老女の言葉を涼一は聞き逃さなかった。
「貴方は伊久磨会長の顔を直に見たことはないのですか?」
涼一は何故そのような質問を老女にしたのかわからなかった。
だが、何か引っかかるものを感じた。
忍者の勘というやつである。
「ええ、もう入会して一、二年は経つのですが未だに直接お顔を見たことはないんです」
「……そうなんですか」
初耳だった。
自分が調べた情報によると、このような新興宗教団体が大規模な集会を開いた場合、支部ならばともかく本部には必ずトップの人間が現れるとあった。
だが先ほどの放送にもあったが、今日のセミナーに裏神伊久磨本人は姿を見せない。
それどころか、老女の話によればここ一、二年は信者の間に姿を見せていないという。
「涼ニイ、さっきから難しい顔してどうしたの? もう始まるみたいだよ」
「え、ああ」
舞花に肩を揺さぶられて涼一は我に返った。
どうやら自分でも気づかないうちに老女の話を深く考えてしまっていた。
そして舞花が言うとおり、これからスクリーンを通して裏神伊久磨の演説が始まるようだった。
天井の照明がすべて落とされ、周囲が暗闇に包まれた。
その中で壇上に設置されたスクリーンだけがプロジェクターの光を受けて映像を映し出した。
白髪が混じった黒髪をオールバックにし、全身をどこかの国の民族衣装に身を包んだ一人の人間がスクリーンに登場した。
裏神伊久磨。
全国で五十万人近くの信者数を誇る〈聖なる導きの会〉会長である。
『聖なる我が子たちよ、よくぞこの場に集ってくれました。私は予言していたのです。まだ見ぬ愛しい貴方たちが私の元へ訪れてくれることを。私は幸せです。血の繋がりではない魂の繋がりを持った子供たちに恵まれた。さあ、私は貴方たちの魂の親なのです。これからは手を取り合って家族の絆を深めていきましょう』
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