第8話   忍者兄妹の潜入

 雑賀家の中庭は驚くほど広い。


 中庭にある池には伝蔵の趣味で購入した何匹もの鯉が優雅に泳いでいた。


 その池の前に涼一は立ち尽くしている。


 すぐ後ろには追いついてきた舞花がいた。


「涼ニイ、待ってよ!」


 涼一は舞花に顔だけを振り向かせた。


「止めるな。俺は聖を助けに行く」


 決意はすでに固まっていた。


 正義や伝蔵にいくら反対されようと関係ない。


 何が何でも聖を助けにいく。


「でも聖ちゃんがどこにいるか涼ニイは知ってるの?」


「そ、それは……」


 舞花は痛いところをついてきた。


 意気揚々と助けに行くと口にしても、今の涼一には何のアテも情報もなかった。


「やっぱりね。涼ニイのことだからそんなことだろうと思ったよ」


 くすっと舞花は笑った。


 そこで涼一はようやく気づいた。


 舞花は右手に何やら茶色の封筒を持っている。


「はい、これ」


 舞花は涼一に封筒を差し出した。


 涼一は「何だ?」と問いかけても、舞花は「いいから中身を見てよ」と言うだけであった。


 涼一は封筒を手に取った。


 感触で中には数枚の書類が入っていることがわかった。


「これは?」


 封筒の中身は涼一が思ったとおり書類であった。


 しかし書類の内容を確認した涼一は、信じられないという表情で書類と舞花の顔を交互に見た。


 書類に記載されていたのは、〈聖なる導きの会〉の集会パンフレットと構成員の詳しいリストであった。


 驚いている涼一の疑問を解いてあげようと、舞花は一から説明した。


 涼一を自宅へ連れ帰って寝かしている間、舞花から事情を聞いた正義がすぐに調べ上げたらしい。


 決定的なことは涼一が持っていた指輪だったが、現代の情報化社会ではそれなりの技術があれば短時間で多くの情報が手に入る。


「じゃあ、親父は初めから」


「そう、知ってたよ。それに涼ニイがこうやって行動を起こすのもね」


 さすがにまいった。


 正義は常に先手先手を打つ人間だとは知っていたが、まさかこんなところでもその力を発揮するとは思わなかった。


「そのパンフレットに書いてあると思うけど、二日後に新規参加者を募って教団の本部でセミナーがあるんだって。と言っても実のところセミナーじゃなくて勧誘らしいけどね。お父さんの話だと間違いなく聖ちゃんはそこにいるって言ってたよ。それで涼ニイが行くんだったら私もついて行くから」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべている舞花を見て、涼一は途端に恥ずかしくなった。


 結局、自分以外の人間たちはすでに準備を進めていたのだ。


 おそらく、居間で正義があんな言い方をしたのも自分の反応を確かめるためにやったのだろう。


 聖を助けに行かないと言ったならば放っておき、聖を助けに行くと言えば情報を渡す。


 まったく我が親ながらややこしい性格をしている。


 涼一はパンフレットの中身をきちんと把握した。


 セミナーが開かれるのは土、日を利用した二日間。


 参加希望者はJR高志摩駅のバスターミナルに集合となっている。


 好都合であった。集合場所はよく使っている駅だ。


「舞花、本当についてくるつもりか? 下手したら命の危険だってあるんだぞ」


 真剣な表情で涼一が舞花に言うと、舞花はくすりと笑った。


「私だって伊賀流の忍者なのよ。自分の身ぐらい自分で守れるし、それにイザとなったら涼ニイが助けてくれるでしょ?」


 自信満々に答える舞花を見て、今度は涼一が笑った。


 我が妹ながら肝っ玉が据わっている女である。


 確かに舞花ならば自分の身は自分で守れるだろう。


 体術はともかく、忍者としての技量は自分よりも上かもしれない。


 涼一は舞花の肩にそっと手を添えた。


「舞花、これから色々と調べることや準備がある。手伝ってくれ」


「うん」


 雑賀家の中庭でお互いの結束を高めた兄妹は、すぐに準備に取り掛かった。



 二日後。


 JR高志摩駅のバスターミナルには、数十人の人間たちに混じりながらスポーツバックを手にした二人の兄妹の姿があった。


 十一月十七日、午前九時二十分。


 JR高志摩駅からは立派なマイクロバスが発進した。


 席は満席であった。


 ふと見回しただけでも年齢も職業も実にまばらで、全員は憑き物が落ちたような晴々とした表情をしている。


 発進してから十分ほど経っただろうか。


 運転席の隣で立っていた二十代前半と思われるバスガイドの女性がマイクを片手に挨拶を始めた。


『皆様、おはようございます。これから皆様を〈聖なる導きの会〉のセミナーにご案内するガイドの新城と申します。セミナーが開かれる場所まではあと一時間ほどかかりますが、ごゆっくりおくつろぎください』


 ガイドの女性が挨拶をすると、バスの中は拍手喝采の雨が鳴り響いた。


 バスの中は何故か異常なテンションに支配されていた。


「う、予想はしてたけどやっぱり何か変」


 涼一の隣に座っていた舞花は周りの異常なテンションに中てられ、先ほどから溜息ばかりをついていた。


 涼一は小声でそっと耳打ちする。


「いいから回りの態度と合わせろ。不振な人間だと判断されたら後々厄介になる」


 右列席の前から四番目に涼一と舞花は隣同士に座っていた。


 その中で舞花は窓際、涼一は中央際に座っており、涼一はさりげなく周囲の状況を確認していた。


 まず注目したのがバスガイドの女性だった。


 明らかに雇われたガイドではなく、〈聖なる導きの会〉の信者だということがわかる。


 指輪である。


 ガイドの女性の人差し指には、聖から貰った同じデザインの指輪がはめられていた。


 どうりで饒舌なはずである。


 先ほどから運転席の後ろに設置された液晶画面には、〈聖なる導きの会〉がいかに素晴らしい団体かなどの宣伝番組が流されていた。


 自分たちで作った特別番組だ。


 提供が〈聖なる導きの会〉になっている。


 まるで自分たちは即興〈桂男けいだんの術〉だな、と涼一は苦笑した。


〈桂男の術〉とは敵の中に刺客を潜り込ませる術であり、桂男とは月の中に住む仙人のことだと言われている。


 澄み切った月のように敵の中にスパイを紛れ込ませることからこう命名されたらしいが、本来、この術を使用する人間は敵の風習や人間関係を熟知した人間でなければ効果がない。


 あっさりと疑われて即、始末されてしまうからだ。


 その点、涼一たちは二日間しか情報を集める時間がなかった。


 だが、昔と違って今ではインターネットなどで手軽に情報が得られるため、二日間でも少なくはなかったが。


 バスが発進してから一時間が経過した頃、いよいよ周囲の風景は緑一色になってきた。


 奥深い山林が軒並みつられ、遥か戦国の世の伊賀の里もこのような風景だったのかもしれないと、涼一は少し感慨に耽ってしまった。


 しかし今は感傷に浸っている場合ではない。


 バスガイドの女性は頃合いを見計らって再びマイクを手に取った。


『ええ、皆様、大変長らくお待たせいたしました。当バスは間もなく到着いたします。どうぞお忘れ物のないようお確かめください』


 ガイドの女性が言うように、それは見えてきた。

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