第7話   聖なる導きの会

 気づいたら涼一は自室のベッドの上に寝ていた。


 最初は呆然と天井のしみを眺めていたのだが、しばらくして完全に目覚めた涼一はベッドから飛び起きた。


 ふと窓の外を見るとまだ薄暗かった。


 勉強机の上に置かれた目覚まし時計で時刻を確認すると、午後十時を少し過ぎたばかり。


 急いで涼一は居間へと向かった。


「あ、涼ニイ。やっと起きた!」


 居間に着くなり、血相を変えた舞花が胸に飛び込んできた。


 薄っすらと目元に涙を溜めている。わけがわからない。


「涼一、いったい何があった? 正直に話してみろ」


 畳に胡坐を掻いていた伝蔵と、仕事から帰ってきていた正義の厳しい眼光が容赦なく突き刺さってきた。


 もちろん涼一は話す気だったが、その前に確認したいことがある。


「俺はいつ帰ってきたんだ?」


 胸にしがみついていた舞花が顔を見上げた。視線が交錯する。


「だって涼ニイったらいつになっても帰ってこないんだもん。スマホも持っていってなかったから連絡もつかないし、それで心配になって迎えに行ったの……聖ちゃんの住所は私も聞いてたから」


 そのあと詳しく話を聞くと、舞花は聖の家に到着したと同時に複数の人間が聖の家から立ち去る姿を目撃したらしい。


 悪い予感を感じた舞花は、涼一と同じ門を駆け上がって聖の家に無断侵入。


 玄関から入ってリビングに行った舞花は倒れている涼一を発見し、すぐに正義に連絡を取って迎えに来てもらった。


 と、いうことだった。


 舞花を退かした涼一は、まだ鈍痛が残っていた脇腹を押さえながら座った。


 自分がいつの間にか帰ってきた真相はわかった。


 あとは自分のことである。


 隠すつもりはなかったから涼一は正直に聖の家で起こった出来事を家族に話した。


「未熟者が」


 伝蔵と正義は二人同時に同じ言葉を放った。


 普段なら軽く聞き流すところだが、今日はそうもいかなかった。


 二人に聞きたいことがあったからだ。


「あいつらは忍者だった」


 神妙な顔つきで涼一は口にした。


 正義はちらりと伝蔵を見ると、伝蔵はちゃぶ台の上に置かれていた湯飲みを取って口につけた。


「なるほど。一概に断言はできぬが、涼一が出遭った人間は甲賀流の忍びやもしれん」


 伝蔵はずずずと茶を啜った。


「何でわかる? もしかしたら俺たちと同じ伊賀流かもしれないじゃないか。それか戸隠流、根来流、北条流、霧隠流と数え上げたらキリがないぞ」


 涼一が聞き返すと、伝蔵はほうと一息ついて湯飲みを置いた。


「他の忍び衆はともかく、甲賀流の忍びには特徴がある。すなわち、甲賀流の忍びは組織的に動くということだ」


 伝蔵は揉み上げの部位まで繋がっている白い顎鬚を擦った。


「飲み込みの悪いお前にあれこれ言ってもわからないだろうが、簡単に説明するとそうなる。甲賀流の忍びは集団の駆け引き術に優れ、またそれを真髄としている集団だ。伊賀流は下忍、中忍、上忍と技量に分けて区別しているが、甲賀流の忍びは下忍、上忍という区別がなく全員が中忍として扱われるのがその証拠だ。まあこれは戦国の世の話だが、風の噂によればその伝統は未だに受け継がれているらしいが」


 伝蔵の話を聞いて涼一は親指の爪を噛んだ。


 今になって思い出してみれば、あの卓越されたコンビネーションや指揮系統の迅速さは並みのものではなかった。


 伝蔵の言葉を信じるならば、聖を連れ去った人間たちは本当に甲賀流の忍者かもしれない。


 しかし、もしそうだとしたら余計にわからない。


 何故、甲賀流の忍者が聖を連れ去ったのだろう。


 誰かに依頼されたのか。


「涼一、お前、あの娘のことをどこまで知っている?」


 今度は正義が聞いてきた。涼一は首を傾げた。


 質問の意味がよくわからない。


「どこまでって……小さい頃から研究員の父親とともに各地を転々として」


「そのあとのことだ」


 珍しく正義の言葉に怒気が感じられた。涼一は記憶の底から情報を掬いだした。


「そのあと? 確か父親はどこかの教育施設で働き、そこで聖は教育を受けていたと聞いたけど」


 正義は涼一の言葉を聞くなり溜息をついた。


 そして着ていたポロシャツの胸ポケットから小さな物体を取り出すと、おもむろにちゃぶ台の上に置いた。


「おい、それを何で親父が持っている!」


 正義がちゃぶ台の上に置いた物体は、聖にお礼として貰った銀色の指輪であった。


 涼一はすかさず穿いていたジーンズのポケットを弄った。


 ない。


 確かにポケットに入れていたがなくなっている。


 だとしたら正義が取り出した指輪は聖から貰った指輪に間違いない。


「いつの間に盗み取りやがった!」


「人聞きの悪いことを言うな。お前を運ぶときに落ちたのを拾っただけだ。逆に感謝してほしいぐらいだ。この馬鹿者が」


 涼一を一喝した正義は、ちゃぶ台の上に置いた指輪を摑むと、指輪に彫られていた太極図のようなデザインを涼一に見せ付けるようにした。


「お前、これが何の指輪か知っているのか?」


 涼一は首を小さく横に振った。


「いや、どこかの高級店で売っている指輪じゃないのか?」


 正義が呆れるように溜息をつくと、伝蔵が呟いた。


「〈聖なる導きの会〉……表向き児童福祉に力を注いでいると口外している新興宗教団体だ。信者数はここ数年が数倍に膨れ上がり、それにともない色々と黒い噂が絶えない」


 伝蔵の言葉を聞いて涼一は驚愕した。


「じゃあ、聖がいた教育施設ってのはその宗教団体の施設だっていうのか?」


「十中八九、間違いあるまい。だとすると、甲賀流の忍びが動いているのも頷ける。前に伊賀全県一揆に参加したときに甲賀流の噂を聞いたことがある。常に世の裏で動いている本来の忍びの性質を嫌い、表舞台に出ようと密かに暗躍している一派がいるらしい」


 伊賀全県一揆というのは各都道府県に散らばっている伊賀流の一族が同盟を結成し、連合体として外敵からの自衛や情報交換を行う組織である。


 だが組織といってもそんなに大規模な組織ではなく、平たく言えば親戚の集会であった。


 前身は伊賀惣村一揆といい、今よりもっと大規模な組織であったが、天正九年(一五八一年)三月に隠し国と呼ばれた伊賀の里を織田信長が攻め滅ぼしたことにより崩壊してしまった。


 それでもわずかに生き残った伊賀流の忍者たちは全国に散らばり、子孫に伊賀流忍術を密かに伝えてきた。


 もちろんその中に雑賀家も含まれている。


 それどころか近年に入って一度は消滅した伊賀惣村一揆を復活させ、新たに伊賀全県一揆と名をつけたのは何を隠そうこの場にいる伝蔵であった。


 涼一はちゃぶ台に固く握り締めた拳を叩きつけた。


「ちょっと待て! 何故、その宗教団体と甲賀流が繋がっている?」


 伝蔵は鷹のように鋭い眼光を涼一に叩きつけた。


 涼一は臆することなく睨み返す。


「言っただろう。甲賀流の忍びの中で表舞台に出ようとする一派があると。もしそうならばまず奴らは資金源を確保する。昔も今も行動を起こすには金がいるからな。おそらく奴らは色々と免税特権を持っている宗教法人に目をつけ、裏から操るつもりなのだろう。頭の回転がいい忍びならそう考えてもおかしくない」


 涼一は額を人差し指で激しく突いた。


 聖の家で遭遇した人間の正体はわかったが、それならば何故、聖が狙われたのかがわからない。


 考えあぐねている涼一を見て、正義は残酷な言葉を言い放った。


「あの娘のことはもう忘れろ」


「何だと!」


 正義は涼一に視線を向けずに淡々と言葉を並べていく。


「この時世に表立って他の忍びと争うわけにはいかん。それにあの娘は本来あるべき場所に戻ったにすぎん。それが自分の足か甲賀の者の手によるかの違いだけだ。一日預かった飼い猫だったと思えばいい」


 バガンッ!


 瞬間、居間の中央に置かれていたちゃぶ台が真っ二つに叩き割れた。


 怒りに震えた涼一が本気で拳を振り下ろしたのだ。


 伝蔵と正義は飛び散ったちゃぶ台の破片を軽々と避けたが、舞花はひどく驚いて後ず去った。


「ふざけんなッ! 飼い猫だと思えだと? 目の前で聖は連れ去られたんだぞ!」


 涼一は振り向き、凄まじい形相で居間から出て行った。


 舞花も慌てて涼一の後を追う。


 居間には正義と伝蔵の二人きりになった。


「まったく、あいつはすぐに感情に流される。だからいつまでも未熟なんだ」


 伝蔵が呆れた様子で呟くと、正義はふっと鼻を鳴らした。


「父さんの言う通り涼一は忍びとしてはまだまだ半人前です。しかし、人間としては上出来ですよ」


 正義は胡坐を掻いた状態で跳躍すると、すっと畳の上に立った。


「どこへ行くんだ? 正義」


「少し、古い馴染みに会ってきます。帰宅するのは明け方になるでしょう」


 そう言った後には、正義の姿は居間から消えていた。


 徐々に気配が遠ざかっていく。


「やれやれ、親子揃って騒々しい奴らだ」


 ただ一人居間に残っていた伝蔵は、半ば嬉しそうに顔をほころばせた。

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