第6話   室内の死闘

 玄関口で涼一は聖の名前を呼んだ。


 聖と別れてからまだ数分しか経っていない。


 呼べば聖のことだからすぐに出てきてくれると思っていた。


 しかし、聖が玄関に来る気配は一切なかった。


「どういうことだ?」


 涼一は玄関口から真っ暗な奥へと目線を向けながら訝しんだ。


 忍者特有の癖というか、危険に敏感に反応するように仕込まれた涼一の警報装置が最大限に発動した。


 いや、普通の人間でもおかしいのではないかと首を捻っただろう。


 家の中は身の毛がよだつほどの暗闇に支配されていた。


 それこそ数メートル先も満足に視認できない暗闇である。


 涼一はすぐに通路の明かりを灯すスイッチを探した。


 スイッチはすぐ横の壁にあった。


 いくら暗くても家の構造上スイッチがありそうな場所の特定くらいはすぐにわかる。


 スイッチに手を伸ばした涼一は、親指でパチンとON/OFFを切り替えた。


 だがおかしなことに、いくらスイッチを切り替えても天井の蛍光灯に明かりが灯らない。


 その瞬間、涼一は聖の言葉を思い出した。


 聖の父親は聖に誰かに殺されると漏らしていた。


 それを聖の口から聞いていたときはあまりにも突拍子もないことだったために本当か嘘か見分けがつかなかった。


 聖の父親が単なる被害妄想に悩まされていた可能性もあるからだ。


 しかし、それがもし真実だったとしたら。


 スイッチを切り替えることを止めた涼一は、着ていた革ジャンやジーンズのポケットをゴソゴソと弄った。


 明かりの代わりになるライターかスマホを探したのだが、運悪くどちらとも持っていなかった。


 ライターはともかく、スマホを持ってきていなかったのは不覚である。


 聖を送るだけだから不要だと思っていた。


「しょうがない」


 涼一はそっと両目を閉じた。


 そのまま十秒ほど目を閉じたあと、今度はゆっくりと両目を開けた。


 するとどうだろう。


 暗闇に支配されていた廊下の内観がぼんやりと見え始めてきた。


 涼一はたった十秒間目を閉じただけで強制的に夜目にしてしまったのである。


 これは忍者の特殊技能の一つであった。


 はるか戦国の昔、諜報活動に命を賭けていた忍者たちは暗闇に乗じて任務を遂行しなければならないことが多かった。


 そのため、忍者たちの間では日光の下から急に暗闇の中に入っても常人よりも何倍も早く暗闇に目を慣れさす「明眼之法めいがんのほう」や、視力を向上させるために遠く離れた灯火の炎を凝視する「灯火目付とうかめつけ」の法と呼ばれる修行を何年にも渡り積み重ねてきた。


 さすがに現代に入るとそのような修行は廃れてきたが、それでも視力を落とさないように日頃から気をつけ、闇夜でも特別な器具に頼らないための修練は欠かさない。


 涼一は靴を脱がずに廊下を歩いて行った。


 常識的に考えれば、夜分に人様の家に文字通り土足で上り込むなど無礼極まりない。


 だが、そうしなければならないほどの〝何か〟を涼一は感じ取った。


 知らずうちに額に生温い汗が浮き出てくる。


 直線の廊下を静かに歩いていくと、涼一はわずかに扉が開かれていた部屋を発見した。


 何となくリビングではないかと思った。


 これもいわゆる潜入経験で培った勘である。


 その扉まで歩いてきた涼一は、扉の隙間からそっと中を覗き見た。


 瞬間、完全に闇夜に慣れていた涼一の目が拡大した。


「聖っ!」


 叫びながら扉を乱暴に開けて部屋の中に入った涼一は、まさにその現場を目撃してしまった。


 その部屋は涼一が睨んだとおりリビングであった。


 ゆったりとした白いソファーに大型のプラズマテレビが堂々と置かれ、フローリングの床の上には豪奢なカーペットが敷かれていた。


 面積も広く、軽く四十畳はあった。


 そこまではいい。


 建物の外観からこれくらいの調度品が置かれていることは容易に察していた。


 だがその中で唯一察していなかったのは、リビングには今まさに聖をどこかへ連れ去ろうとしている複数の人間たちがいたことである。


 涼一がリビングに侵入してくると、部屋の中にいた人間たちは一斉に振り返った。


 人数は全部で四人。


 顔が判別できないようにヘッドマスクを被り、身体に着ていた服も漆黒のシャツにズボン、ポーチつきのベストを羽織っており、涼一たちの仕事着に瓜二つであった。


 涼一は雰囲気で直感した。こいつらも自分たちと同じ忍者だと。


「聖をどうするつもりだ!」


 リビングの中にいた人間たちは窓を半開きにして脱出する準備をしていた。


 聖は人間たちの中でも比較的体格のよい人間が肩に担いでいた。


 聖は死んだようにぐったりとしている。


 おそらく薬物で眠らされたか、当て身を食らって気絶させられたかのどちらかだと涼一は判断した。


 姿形を隠していても人間にはある種の微弱な気配が放たれている。


 それを涼一は正確に感じ取った。


 全員は緊張しつつも、涼一に向けて殺気を放ち始めた。


 涼一は床を蹴って間合いを詰めようとした。


 立ち位置から推測して涼一から忍者たちまでは六メートルくらいの距離があった。


 直線状には障害物になりそうな調度品はないので戦おうと思えば存分に戦える。


 だが、相手も馬鹿ではなかった。


 涼一が行動を起こす前に先手を打ってきたのである。


 二人の人間は腰に装備していたナイフを瞬時に抜くと、一気に涼一に襲い掛かってきた。


 その身のこなしからして忍者には違いなかった。


 ナイフを逆手に握って滑るような歩法を使ってくるのがその証拠である。


 襲い掛かってきた二人の人間は抜群のコンビネーションを駆使してきた。


 互いに近すぎず遠すぎない絶妙な距離を保ち、涼一から見て右側の人間のナイフは首筋に、左側の人間は涼一の足元を狙ってナイフを斬りつけてきた。


 普通の人間ならば何が起こったかわからずにあの世行きは間違いなかった。


 普通の人間であったならばだ。


 涼一は瞬時に二人の攻撃部位を見極めると、逃げるどころか逆に向かって行った。


 まず対処するのは右側の人間からだ。


 首筋に向かってくるナイフではなく、そのナイフを持っていた忍者の手首部分を空手の上段受けの要領で受け止めた涼一は、そのまま受けた右腕を操作して相手の腕をしっかりと摑んだ。


 すかさず追撃。


 すでに腰だめに構えていた左腕を矢の如く放って右側の人間の脇腹に突き刺した。


 手応えは十二分に感じた。


 続いては左側の人間だ。


 涼一は足元を狙ってきた人間が一瞬だけ怯んだことを肌で感じると、すかさずその隙をついた。


 涼一はその場で真上へと膝を上げて跳躍した。すぐ下にナイフが通り過ぎたことを確認すると、空中で身を捻った涼一は左側の人間の頭に渾身の踵落としをお見舞いした。


 左側の人間は足元を狙ってきていたので身を低くしていた。


 それで涼一の踵落としをまともに頭に食らってしまった。


 ある意味、自業自得である。


 自分たちが攻撃を受けるなど微塵も予想していなかった二人の襲撃者はたまらず涼一から離れた。


 二人の襲撃者は隠していたヘッドマスクの下で驚愕の色を浮かべていたことだろう。


 涼一から離れたあともオロオロとしていたのが何よりの証拠であった。


 涼一は左右に飛んだ二人の襲撃者から奥にいた人間に視線を向けた。


 この忍者と思われる襲撃者たちのことも気になったが、今は聖を助けることが先決である。


 すると、襲撃者たちの中で一番背丈が低かった人間が目の前の空間を薙ぎ払うように手を振った。


 その行為を見るなり、涼一を襲った二人の人間たちは慌ててその合図を送った人間の元に帰った。


 あいつがリーダーか。


 妹の舞花と同じような背丈と体格であった人間を見るなり、涼一はこの人間が一番危ない人物だと読んだ。


 気配がいまいちよく読めないのである。


 殺気は確かに感じるが、その他にも色々と感情の波が漂ってくる。


 不気味な人間だった。技量が正確に読めない。


「ここは私に任せろ。お前たちは早く連れて行け」


 リーダーと思われる人間がくぐもった声で命令すると、他の三人の人間は軽く頭を下げてリビングの窓から外に出て行った。


「おい、待てッ!」


 もちろんその人間たちを黙って見過ごす気はなかったが、涼一は怒声を発しただけでその場から動けなかった。


 目の前に一人残った小柄な人間。


 両手をだらりと下げた自然体のまま、涼一の前に悠然と立ちはだかっていた。


 涼一はさりげなく視線を彷徨わせた。相手は武器を手にしていなかった。


 だが、相手が忍者ならばそんな見た目の判断はなくしたほうがいい。


 素手を装って隠し武器を忍ばせている可能性のほうがはるかに高い。


 だがいつまでもじっとしているわけにもいかない。


 膠着状態が続けば続くほど聖を助け出せる好機を失う。


 普段から沈着冷静を心がけていた涼一だったが、このときだけは心が逸った。


 聖を一刻も早く助けなければならないという思いに心を縛られたのだ。


 床を蹴って跳躍した涼一は、リーダー格の人間に飛び蹴りを放った。


 数メートルの距離を一足で飛んで間合いを詰めた涼一の身体能力も驚異的だったが、相手はさらにその上をいった。


 涼一の飛び蹴りは虚しく空を蹴った。


 リーダー格の人間は残像を残したまま涼一の飛び蹴りを紙一重でかわしたのだ。


 床に着地した涼一は、気配の流れを読んでいたため自分の右斜め後方に相手がいることを察した。


 顔を振り向かせるよりも数段速く右の裏拳を払い打つ。


 刹那、裏拳が空を切ったと同時にリーダー格の人間が放った回し蹴りが涼一の脇腹に叩き込まれた。


 ドズン! という相手の体格から考えればありえないほどの重い衝撃が涼一を襲った。


 太い丸太で殴られたような衝撃であった。


 床を二、三度転がりながら、涼一の肉体は食器棚に衝突したことで回転を止めた。


 そのせいで食器棚の一部は崩壊し、棚に収められていた食器が床に落ちて粉々に砕け散る。


「ぐは……」


 口から大量の唾液を吐き出しながら涼一は悶絶した。


 強い。身体能力、戦闘能力ともに凄まじいほどの使い手であった。


 リーダー格の人間は脇腹を押さえている涼一を一瞥すると、もう興味をなくしたように開いている窓の手すりに足をつけた。


 そのままリーダー格の人間は影のような速さで窓から抜け出ていった。


 涼一は必死に身体を動かそうと努力したが、予想以上に受けたダメージが大きくしばらくは動けない。


「くそ……聖」


 一人だけリビングに取り残された涼一は、開いている窓に向かって手を伸ばした。


 しかしすぐに力尽き、涼一の意識は混沌の闇の底に落ちていった。

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