第3話 忍者たちの団欒
「この未熟者が」
朝起きて居間に向かった早々、祖父にかけられた第一声がそれだった。
雑賀家の居間は純和風の佇まいを残した十畳ほどの空間である。
部屋の真ん中にはちゃぶ台がぽつんと置かれ、五人分の朝食が用意されていた。
炊き立ての白飯、食欲をそそる良い匂いを放つ味噌汁、脂が乗った鮭の焼き魚、ダシが効いた卵焼き、そして香の物という朝食も見事に和風の献立であった。
「じゃあ、どうすればよかったんだ? 黙って連れてかれるのを見過ごせばよかったのか? それともどっかに捨ててくればよかったのか? 俺は何も悪いことはしていない」
自分の席に目くじらを立てて座った涼一は、上座に両腕を組みながら座っている祖父を睨みつけた。
純白の上着に紺色の袴姿。
頭頂部は年輪のせいか薄まってきていたが、背中まで伸びている白髪は銀色のようでもあった。
正義の父親であり涼一の祖父に当たるこの老人は、現代に生きる伊賀流の忍者の中でも達人中の達人と呼ばれ、その腕前は徳川家康の三大危難の一つと呼ばれた〝伊賀越え〟で一躍有名になった服部半蔵と並ぶのではないかと噂されていた。
伝蔵は眉間に皴を寄せながら涼一の眼光を真っ向から受け止めている。
動かざること山の如し、という言葉が全身から放出されているような伝蔵の雰囲気に、実のところ涼一の膝はかすかに震えていた。
伝蔵は目の前に置かれていた湯飲みを手に取ると、ずずずと飲み干した。
「誰も助けたことを咎めておるわけではない。年端もいかぬ少女を悪漢どもから救ったことは大いに評価できる。だが、そのあとがいかん。何故、警察に届けずにうちに連れ帰ってきた? 色々と手はあったはずだ」
うぐっ、と涼一は口をどもらせた。
事の発端は昨夜の出来事である。
いつも通り家業である忍者の仕事を父親の正義と遂行したあと、涼一は帰り道であった公園内で一人の少女をチンピラたちから救った。
普通ならば助けたあとはさっさと姿を晦まし自宅へと帰ればよかったのだが、昨夜はそうもいかなかった。
事情を聞く前に少女は意識をなくしてしまったのである。
涼一はそれでも少女を自宅へと送り届けようとも思ったが、少女は身分証と呼べる物は一切持っていなかった。
そして伝蔵の言うとおり警察に事情を説明して保護してもらおうかとも考えたが、すでにそのときの時刻は深夜十二時を過ぎていた。
絶対に余計なことまで詮索されるに決まっていた。
だが伝蔵の言い分も理解できる。
事情を説明しなくても置手紙の一つでも書いて警察署に勝手に置いてくればよかったのである。
そうすれば民間人に優しい地方公務員である警察の人たちは少女を手厚く保護してくれただろう。
しかし涼一はそれができなかった。
自分でもよくわからないが、何故か少女を手放したくないと思ってしまった。
それでおめおめと少女を抱きかかえたまま自宅へと帰ってきてしまったのだ。
今では少し反省している。
「そんなに叱らなくてもいいじゃない。お爺ちゃんは少し堅物すぎるのよ」
そう言いながら居間続きであった台所から顔を出したのは、学生服を着た少女。
ショート・ボブの髪型にシャープな顎、毎日きちんと手入れをしているのか眉も肌もきめ細かに整えられていた。
そして尖った鼻梁につぶらな瞳も印象的だった少女は、歯並びのよい真っ白な歯を覗かせながら伝蔵の肩を優しく叩いた。
涼一と同じ私立乱桜高校に通っており、年齢は涼一より一つ年下。
口うるさいところもあるが、涼一にとっては可愛い妹である。
舞花は涼一の右隣に正座した。
「舞花、お前は涼一に甘すぎる。昨日の仕事もそうだ。たかが数十人規模のヤクザどもを制圧するのに十七分もかかった。普段から修練に熱を入れていない証拠だ」
涼一の左隣で経済新聞を見ていた正義がさっそく愚痴をこぼしはじめた。
涼一はうんざりした顔で聞いていたが、仕事のあとは必ず言われる小言なのであまり気にしない。
左耳から右耳へと軽く聞き流していた。
「まったく、何で朝からうちの家族はこう口うるさいんだ……あ、忍者だからか」
溜息混じりに呟くと、涼一は味噌汁を飲もうとしていた舞花に尋ねた。
「それで、あの娘の様子はどうだ?」
「うん、よく寝てるよ。よっぽど疲れてたんだね、さっきも少し覗いてきたけどまったく起きる気配はなし」
「そうか。じゃあ、事情を聞くのは学校から帰ってきてからだな」
涼一は正義の後ろに設置されていたテレビに視線を向けた。
画面の中ではびしっとスーツ姿で決めていた報道アナウンサーが、昨日の夜に何者かに襲撃された指定暴力団の事件を熱心に報道していた。
その中でアナウンサーは警察の調べでは同じ暴力団同士の抗争と見て捜査を続けていると語っていた。
涼一は報道を聞きながら頭を掻いた。
いくら仕事だったとはいえ、朝食のときに自分が原因の事件を聞くのはあまりよいものではない。
続いてアナウンサーは桃源教と言う宗教団体の報道を伝えていたが、涼一は興味がなかったため軽く聞き流しながらテレビの左上に表示されている時刻を確認した。
午前七時五十三分。
八時には朝食を済ませて学校の準備をしないと遅刻してしまう。
「いただきます」
両手を合わせた涼一は、山盛りに装われた白飯から箸をつけた。
腹の虫の催促に忠実に従い、次々に舞花が作ったおかずに箸を伸ばしていく。
「涼ニイ、もう少し味わって食べてよ」
隣でぎゃあぎゃあ喚いている舞花を無視して、涼一はあっという間に朝食を平らげてしまった。
最後に熱いほうじ茶を一気に胃に流し込んで終了である。
「ごちそうさま」
湯飲みをちゃぶ台に置くと、涼一は立ち上がった。
すでに乱桜高校指定の学生服を着ていたが、授業の準備はまだ終わっていない。
私室に戻ろうとした涼一は、居間から出る際に正義と伝蔵に念を押した。
「親父もジーサンも絶対に余計なことはするなよ。特にジーサン。あの娘が目覚めてから勝手に追い出すようなことだけはしてくれるなよ」
伝蔵は昔気質の忍者なので極端に他人を嫌う。
正体を知られるのを恐れているためだ。
そのせいか子供のころは仲のよい友人すら家に呼べなかった。
忍者という家系からすれば正体を知られる可能性を低くする必要があるのは涼一も理解できるが、少女の件に関しては自分が蒔いた種である。
ならば刈り取るのも自分の役目。
せめて自分の口から事情を聞いて親御さんの元に帰したい。
味噌汁をすすっていた伝蔵は素っ気なく答えた。
「そんなことはせん。元はといえばお前が連れ帰ってきた娘さんだろうが、ならば最後までお前が面倒を見ろ。わしは知らん」
香の物を摘んでいた正義も同意した。
「父さんと同じで私も関与はしない」
涼一は一安心すると、居間を出て私室に戻った。
急いで教科書を鞄に詰め込む。
最後にハンガーにかけていたコートを取って袖を通した。
私室から出る頃には時刻は八時を回っていた。
電車の時間を考えるとそろそろ出ないと間に合わない。
「涼ニイ、準備はできた?」
玄関に行くとすべての準備を終えていた舞花が待っていた。
朝の登校は二人一緒に行くことが習慣になっている。
「待たせたな。じゃあ、行くか」
涼一は舞花とともに駆け足で駅へと向かった。
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