第2話   運命の出会い

 涼一は今朝の星座占いの結果を思い出していた。


 五月十七日生まれだった涼一の星座は牡牛座。


 そして毎朝放送している占い番組で、今日の最悪の星座が確か牡牛座だったと記憶している。


「あんまり信じてなかったんだがな」


 頭をぼりぼりと掻きながら涼一はどうしようかと迷っていた。


 父親の言葉に従ったわけではないのだが、ゆっくりと歩いて帰っていた涼一は、ふと帰り道にある公園内で見たくはないものを見てしまった。


「ねえねえ、お嬢ちゃん。どこから来たの?」


「こんな夜に一人でぶらついていたら危ないよ」


「なあ、俺らでこの子をもっと賑やかな場所まで送ってやんねえ?」


 などと心底腹が立つ言葉を発している人間が五人いた。


 全員が金色や茶色など何かしら派手な色に髪を染め、肌などは十一月だというのにあざ黒かった。


 日焼けサロンのお得意様なのだろう。


 そして高価そうな革ジャンを羽織り、一人の少女を逃げられないように囲んでいた。


 ここ白鷺公園は団地に囲まれた場所に作られていた。


 昼間には子供連れの母親たちの憩いの場所になっているが、夜ともなると人間の姿は皆無になる。


 涼一は額に人差し指を置いて唸った。


 公園内にいるチンピラ五人衆がただのナンパをしているのか見極めていた。


 これがただのナンパならば自分が出る幕などない。


 だが、五人が一人の少女を囲んでいる時点でただのナンパでないことは明らかであった。


 だからこそ涼一は悩んでいた。


 あまり自分の力をおおっぴらに使うわけにはいかなかったからだ。


 しかし、そうも言っていられない事態になった。


「ねえねえ、早く行こうよ。大丈夫、俺らが楽しい場所に連れてってやるからさ」


 一人の金髪の男が少女の腕を摑んで強引に引っ張ったのである。


 金髪の男が行動を起こすと、周囲にいた人間たちも感化されて行動に出た。


 無理やり少女の身体を押さえつけ、どこかへ連れて行こうとしたのだ。


 このまま見過ごせば少女の人生に多大な被害がでるだろう。


 迷っている暇はもうなかった。


「人助けも立派な仕事だよな」


 覚悟を決めた涼一は、スポーツバックを地面に置いた。


 その瞬間には涼一は影のように走っていた。




「てめえ、何しやがるッ!」


 チンピラたちは目の前に現れた人間を見て激しく戸惑った。


 公園のブランコに一人で座っていた少女を見つけ、その少女を自分たちがよく利用する廃墟に連れて行こうとした矢先、いきなり目の前に革ジャンを羽織った少年が冷やかな視線をこちらに向けていたのである。


 それもその少年は自分たちの仲間の一人をあっという間に倒してしまった。


 涼一は足元でぐったりとしている茶髪の男を跨いだ。


 茶髪の男は短気な性格だったのか、突然姿を現した涼一を見るなりいきなり殴りかかってきた。


 涼一は自分の顔に向かってきた蝿が止まりそうな鈍い拳をひらりと避けると、交差するように茶髪の男の腹部に強烈な拳撃を放った。


 それだけで茶髪の男は「うげえ」と情けない嗚咽を吐きながら昏倒した。


 他のチンピラたちは涼一の早業を目撃していたが、動体視力が並以下のチンピラたちには涼一がただ茶髪の男とすれ違ったようにしか見えなかった。


 だからこそチンピラたちは焦った。


 自分たちよりも三歳は年下と見える少年が異常な存在だとようやく気づいたのである。


 残ったチンピラたちの中で比較的リーダーのような立場にあった金髪の男は、他の三人に「囲め!」と命令した。


 チンピラたちの動きはそのときだけは速かった。


 逃げ場を封じるように涼一を取り囲んだチンピラたちは鬼の首を取ったように笑うと、ポケットから煌びやかに光るナイフを取り出した。


 バタフライ・ナイフやコンバット・ナイフ、サバイバル・ナイフといった比較的簡単に入手できるナイフ類であった。


 おそらく通信販売で購入したのだろうが、涼一はまったく臆することなくチンピラたちの戦闘能力を計測した。


 例えチンピラたちがあと十人いたとしても自分の足元にも及ばないだろう。


 涼一とチンピラたちでは実戦経験に雲泥の差があった。


 プロフェッショナルの格闘家と幼稚園児ぐらいの差だろうか。


 チンピラたちは薄笑いを浮かべながらじりじりと涼一に歩み寄っていく。


 四対一という立場であり、武器を持っていることが有利だとでもチンピラたちは勘違いしたのだろう。


 チンピラたちには今の涼一から発せられている静かな闘気に気づく感受性すらもなかったので、当然といえば当然である。


 次の瞬間、チンピラたちは涼一に向かってナイフを斬りつけた。


 本来、ナイフとは斬りつけるのではなく突くのが有効な使い道なのだが、戦闘訓練を受けていないチンピラたちはそんなことなど露も知らなかった。


 四人の間合いを正確に把握した涼一は、その場で円を描くような歩法を駆使して小型の竜巻のように回転した。


 その回転に四人のチンピラは吸い込まれると、顎や顔面に涼一が放った裏拳が命中していった。


 瞬殺とはまさにこのことだった。


 公園内に一陣の風が吹き荒れたかと思うと、回転を止めた涼一の足元にはチンピラたちが意識をなくして倒れていた。


 全員が口を半開きにしたり顔を腫らしたりしてだらしなく気絶している。


 涼一はチンピラたちから視線を外すと、絡まれていた少女に視線を転じた。


 てっきり少女はもう逃げていると思ったが、少女はその場に立ち尽くしていた。


「おい、大丈夫か?」


 少女に近づいていくと、涼一は優しく声をかけた。


 まるで汚泥の中に美しく咲く蓮の花のような少女だった。


 身長は百四十三センチ、体重は四十キロ前後というところか。


 年の頃は十三、四歳。


 肩まで伸ばした黒髪が月光に照らされて青黒かった。


 そのせいか肌は青白く見えたが、日の光に晒されれば雪のように白く見えただろう。


 そして少女はこの寒空の夜にワンピース一枚という格好をしていた。


 そのせいで驚くほど細い四肢が覗いていたのだが、寒くはないのだろうか。


 涼一の問いかけに少女はキョトンとしていた。


 その少女の態度を見て様子がおかしいと涼一は思った。


「おい、大丈――」


 もう一度同じ質問をしようとしたとき、涼一は疑問の謎が解けた。


 少女は両目をしっかりと閉じていた。


 最初はチンピラたちに恐怖していたせいで目を閉じていたのかと思っていたが、どうやら違うようである。


 少女は周囲の様子を探るように虚空に手を伸ばしていた。


 見えない壁を触っているようにも見える。


「君、目が見えないのか?」


 少女は虚空を彷徨わせていた右手を涼一の身体に当てた。


 しきりに胸元や腹部を擦りはじめる。


「あの……どなたですか?」


 どうやら本当に視覚障害者のようであった。


 ほんの少し触っただけでチンピラの仲間ではないと判断したようである。


「怪しい者じゃない。君がチンピラに絡まれていたから俺が助けた。ただそれだけだ」


 少女は顔を見上げた。


 返ってきた言葉が上から聞こえてきたので、相手が自分よりも身長が高いと思ったのだろう。少女は桜色の唇を動かした。


「絡まれていた? あの人たちは親切でしたよ。どこか楽しいところに連れて行ってくれると仰っていました」


 涼一は呆れて言葉も出なかった。


 チンピラが女を口説くときの常套手段を親切心だと少女は勘違いしていた。


 今時珍しい少女だ。


 あまりにも世間にうとすぎる。


「あのな」


 涼一は呆れ顔で少女を見下ろした。


 小さな顔に収まっていたパーツは形容するならば温かさをもった人形のような印象であった。


 だからこそなのか、涼一は目の前に存在している少女が本当に人間なのか一瞬迷ってしまった。


 見とれてしまうほどの美少女である。


「どういう経緯で絡まれたのかは知らないが、こんな夜更けに一人で外出するなんて無用心にもほどがある。夜の街にはああいう人間がそこら中に徘徊しているんだ。そして君のように可愛くて目が見えない少女は奴らにとって格好の餌食になる。わかったらさっさと親御さんの元に帰れ。この近くにいるんだろう?」


 涼一は少女の頭をポンポンと軽く叩くと、首を動かして周囲を一望した。


 自分の読みが正しいのならば、この近くに少女の親がいるはずである。


 そうでなければ盲導犬の一匹もつけずに視覚障害者の少女一人がこんな公園にいるはずがない。


 おそらく、待ち合わせをしているのだろう。


 涼一はそう思った。


 涼一は少女の両親が公園内にないことを確認すると、道路のほうに行けば見つかるかもしれないと思い歩き出した。


 そのとき、少女の細い手が革ジャンの裾を摑んだ。


「何だ?」


 赤ん坊のような力で裾を握った少女に涼一は振り向いた。


 少女は眠っているような表情で涼一の顔を見上げる。


 同時に身体を小刻みに震わせはじめた。


「おい、どうした? 寒いのか?」


 少女の両肩に涼一は手を置くと、少女はぼそりと呟いた。


「……お父さんが」


 と一言だけ呟いた少女は、ゼンマイが切れた人形のようにふっと倒れた。


 涼一は持ち前の反射神経を駆使し、地面に落ちる前に少女の身体を受け止めた。


「何なんだよ」


 涼一は軽く混乱した。「お父さん」とだけ呟いて気絶した視覚障害者の少女をどうすればいいのか迷ったのだ。


 野良犬を拾ったとはわけが違う。


 ほんの少しだけ力を加えれば粉々に砕け散ってしまうような少女の身体を抱きながら、涼一は未だに革ジャンの裾を摑んでいた少女の右手に注目する。


 少女の人差し指の付け根には、銀色に光る指輪がはめられていた。


 その指輪は――。


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