第5話 しあわせなもの
アトスの実家と話がまとまらないよ、と父から連絡が来たのは最初に家に連れて行ってから三か月後のことだった。
連絡ないから順調かと思ったよ! アトスに確認したら、びっくりしたような顔だったから実家から聞いてなかったらしい。
二人で私の実家に行って話を聞くことになった。
「婿にという話はすんなりと通った。
ただ、うちに養子に入って当主となるか、婚姻するだけで当主代行権限をつけるかという話で決裂」
よくわかってない顔をしていた私たちに父が説明してくれたことによれば、婿にもらうというのも二種類あるらしい。
その1。婿に入り養子にも入る。この場合は権限も譲渡する。
その2。婚姻関係のみ。その場合には権限は婚姻相手が決める。
女性の場合には、その2が自動的に選択される。というかそこ疑問にも思わないところだった。
ごくまれに発生する男性側が婿に入るときも2の場合が多いそうだ。うちの兄もそう言えば、そうである。代行権限はもらってるけど非常時用でいつもは使えないと聞いたし。
アトスの実家はその1を要求してきた。
「え、別にいいけど。店やれればいいし」
「俺にそういう権限はちょっと……」
お互いに顔を見合わせた。
譲り合うと書いて押し付け合う。そんなナニカが見えた。
「そういうわけでな。いつもは使われない共同権を提案することにした。どちらかが優位のほうが意見が対立したときにまとめやすいんだが仕方ない。
君たちは対等である。これでいいな」
さらっと流されたけど、今、すごいこと言われたような?
「うちとしては娘に対して公平であると信用して譲歩した。
向こうの家の言いなりにはならない。相応の努力をしてくれ」
あ、その1だと相手の家の意向ががっつり入る可能性もあるのか。そうか。ふむふむと頷いている私に父が白い眼を向けてくる。そのくらい、わかれ、ですか。そうですか。
無理。
アトスも同じような顔してるし。
「……後継者教育は公平に行うのでそのつもりで」
ぎろりと睨まれて私たちは頷くしかなかった。
そこから休みのたびにみっちり知識を詰め込まれ、宿題さえ持たされることになったのだった。同室の子が気の毒そうにこちらを見てきたので、貴族の常識クイズをしてみた。ふふ。苦悩を思い知れよと思ったら、今度は庶民の常識クイズで返され、ぐぬぬと唸ることになった。
おかげで針子部屋でちょっと浮いてた理由が分からなくもないというか……。
私、いいところのお嬢様でしたわ。うち貧乏な方の貴族だと思ってたけど、それ以外からだとちゃんと貴族でしたわ。
少し反省した。
ただ、あちらも少しは思うところがあったのか、勉強の手伝いをしてくれるようになった。なんか、どっかで役に立つかもしれないしというけど、家系図、役に立つのか?
そういう一か月を経て、父はアトスの家と縁談をまとめてくれた。なんだか、商船契約もついでに結んできたというが、そっちが本命だったのではないかと思う。海の向こうからくるまだ見ぬ布地と浮かれていたそうだし。私も欲しい。
そして、アトスと私は正式に婚約し、一年後に結婚式をすることになった。本当は半年後くらいでという話だったんだけど、最高に美しい一着、という概念に憑りつかれた父とアトスにより延期になった。ウェディングドレスが出来上がらないので延期しようとかなに。
ま、まあ、それはさておき。
アトスは騎士団を退職し、父に弟子入り兼花婿修行をすることになった。なんだか、仲良しで妬ける。うちの父もそうだったわぁと母が遠い目をしていたので、血なのかもしれない。
それと同類を見つけるのが難しかったりするからなぁ。
私のほうも針子を辞めたんだけど、時々お城には呼ばれている。
どうも私にしかできない技法というものが存在したらしく、日雇いで仕事してくる。持ち出し禁止なので数日通うことも。それはそれで楽しいと思えるようになったのだから色々変わったものである。
だから、私はあの針をなくした日、にやにや笑っていた彼女にこう言うことにした。
「あなたのおかげで幸せになれるの。ありがとう」
ぽかんとした顔をされたけど、私なりの落とし前である。
さて、予定通り一年後結婚式ができたかというと出来はした。
二回もした。
アトスの実家でも一回である。うちの坊ちゃんをよろしくねぇと屈強な海賊、じゃない海の仕事人たちに囲まれたのはちょっとびびった。いや、頭上を会話が常に通り過ぎるなぁと笑うしかない。
それから、アトスのご両親と祖父母と兄たちにも意外と泣き虫でとか、気弱なところがあるからとか色々心配されていて、アトスがやめてくれと顔を覆って恥ずかしがっていたのがちょっと楽しかった。うん。親戚ってそうだよね! 私も故郷でされたからおあいこだ。
距離は遠いけど、親戚付き合いは普通にできそうでよかった。
それからの私たちはというと。
変わらずお互いに手仕事しながらのんびりと話を楽しんだりする。
「クレア殿はいつ見ても美しい」
「ありがとう。そのクレア殿はそろそろやめてほしいですね、旦那様」
「……クレア」
ものすっごい葛藤の末に呼ばれた。顔が赤いというレベルではない。
「はい。なんでしょう」
私は照れずに平然と答えた。ただ、ちょっと針で指刺した。痛い。
「君が、きれいだって話をしているんだけど、届いてる?」
「……はい?」
てっきり、刺繍が麗しく咲いたという話だろうと思っていた。
「私が、きれい」
「クレアが、そうやって縫っている姿はとても尊いもののようでそばにいるだけで幸せになれる」
「いったーっ」
がっつり指刺した。今までにない失態と流血。
「だ、大丈夫か」
「今までそんなこと言って」
言ってた。綺麗だのかわいいだの。それ全部、作ってるものへの賛美だと思ってた。
あれ? すごい鈍かったのか私。
顔がどころか全身が熱い。
「すみません。
今までもありがとうございます。こんごもよろしく」
「こちらこそ」
神妙に返されてなんだか悔しかったので、アトスの良いところを告げることにした。なんか、私ばっかり好きでもなぁと変な対抗心があったんだ。
お互いに赤くなって黙るまでそんなに時間がかからなかった。
「……なにやってんの?」
たまたま来ていた次兄に突っ込まれても話なんかできる気もしなかった。
……まあ、概ねこんな感じで平和に暮らしていくことになるのである。
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