〇リロードレコーズ エレベーターホール

「やっば! 今日はKUROさんに呼び出し食らってたんだ!!」


わたしMUGIはエントランスを全力疾走する。


「うわっ、危ないっ!!」

「え?」


足が止まらなくて、入口でうろうろしているきれいな女性に

ついぶつかってしまった。


「あいたたた……だ、大丈夫ですか!?」

「ええ。こちらこそすみませんでした」


わたしが手を差し伸べると、きれいな女性はそれにつかまって

起き上がる。


黒くて長いストレートの髪に、オシャレで品のいいワンピース。

これこそ深窓の令嬢って感じだ。

こんな女の人、本当にいるんだ……。


「あ、あの?」

「す、すみませんっ! ついきれいな方だったので……」

「きれい?」


って、何初対面の女性に言ってるの? わたし。

それでも目の前の美人さんは笑顔を向けてくれた。


「アーティストのMUGIさんに褒められるなんて、

こんな嬉しいことはないですよ」


アーティスト……。

ちょっと前までは『MUGI』として認識されていなかったのに、

今は顔でわかってもらえるんだ……。

じんとしていたら、女性は困ったような顔をした。


「あの、実は私、ここの事務所の人に会いに来たんですけど……

どうやって入ればいいのかしら?」

「アポとかあります?」


その質問には首を左右に振った。

この人、誰かの追っかけでもしてるのかな。

そんな風には見えないけど、人は見かけによらないっていうし……。


「何か用事なんですか?」

「実は、私アパートの管理人をやってまして、そのたなごさんがここに所属する

アーティストなんですけど……その人に用があって」

「そういうことなら任せて……といいたいところですけど、

どこの階にいるかってわかりますか?」


わたしは自分のスケジュールしか覚えてないからなぁ。

その『たなごさん』のスケジュールも知らない。

きかれても多分答えられない。

レコーディングならスタジオだ。ミーティングなら会議室。

だけどこのビルにはたくさんの部屋がある。

受付に聞いても、そこまでは把握してないと思うんだよね。

どうしたもんかなぁ……。


「カナタくんに聞けば絶対わかると思うけど」


カナタくん?

……って、社長!?


「社長と顔見知りなんですか!?」

「えっと、従妹なんです」


それなら案内してもいいよね。

社長なら多分、社長室にいるはず……。

うちの社長、いつ仕事してるかわかんないけど、

引きこもりだし。

きっと今日も社長室に閉じこもってるはず。


「入口の守衛さんには私が説明しますから、

社長室へ行ってみましょう! 案内しますよ」

「いいんですか?」


本当はKUROさんに呼び出されてたけど……後回しでいいや。

どうせ時間通りに行ったって怒るんだから。


「それでは行きましょうか。えーと……」

「日比木です。日比木静」


わたしは日比木さんを連れて、総合受付へと

向かった。


入口を通り過ぎると、エレベーターを待つ。

そのとき、最近知り合った女の子に会った。


「あ、MUGIさん。おはようございます」

「華也ちゃん、おはよう。今日もダンスの練習?」

「はい」


華也ちゃんはStringsという双子のアイドルの

専属ダンサーで、最近事務所に所属した。

元々は違う事務所に所属していて、1年間の

ブランクを経て復帰したらしい。

彼女がいうには、『どれもこれもStringsのせいだ』と文句を言っていたけど、

ダンスは好きみたいでレッスンには真面目に出ているようだ。


「今日は自主練?」

「はいっ! ……と、そこの方は?」

「日比木静です」

「アパートの大家さんなんだって」

「大家さん?」


この説明だけじゃわからないよね。

私は日比木さんに質問した。


「たなごさんに会いに来たって、そのたなごさんって

誰なんですか?」

「えっと、3+の笹井くんよ。あと、それを追いかけて行った井ノ寺さん……。

はぁ、大丈夫かしら? 笹井くん」


3+の笹井……?

ああ、Ryuseiさんのことか!

井ノ寺さんは確か、アストって名前のSODの元キーボードだよね?


「Ryuseiさんとアストさんって同じアパートに住んでるんですか!?」

「ええ、あと吉田くんもここの事務所だったかしら?」

「吉田!? 地獄の殺人鬼のですか!?」


食らいついたのは華也ちゃん。

日比木さんの手をつかむと、真剣な目で見つめる。


「地獄の……ああ、確かそんなバンド名だったかしら」


偶然……なのかな?

こんな一か所のアパートに、3人もアーティストが暮らしてるなんて。

でも、日比木さんは社長の従妹さんって話だから、あり得るのかも。


私がそんなことを考えていたら、華也ちゃんが騒ぎ出した。


「あ、あの! 日比木さんっ! よかったら私に翔太を紹介してくださいっ!」

「吉田くんを?」


日比木さんは驚いたように目をぱちくりする。


「え? 華也ちゃん、同じ事務所なんだから、紹介なんてしなくても会えるじゃない?」


わたしが首を傾げると、華也ちゃんは大きくため息をついた。


「ずーっと、ずーっと会いたいって思ってるんですが、

バカ双子にいっつも邪魔されて……」

「カナトくんとカナムくんのこと?」


『Strings』のふたりは、華也ちゃんと同じ学校らしい。

しかも彼女を芸能界に復帰させたのも、ふたりの策略だったとか。

……その話を聞くと、双子たちは華也ちゃんのことを

よっぽど気に入ってるんだなぁって気がする。

でもその本人である華也ちゃんはすごくそれが嫌みたい。


「アイツらに私はいつもいいように扱われて~!

もう限界ですよっ!!」

「でも、どうして吉田くんに紹介してほしいの?」


日比木さんは少し天然っぽいなぁ。

『どうして』って……。


「それは……ファンだからです!! 

翔太のドラムも好きだし、その……個人的にお近づきになりたいというか!」


華也ちゃん、ずいぶんはっきり言っちゃうなぁ。

吉田くんはデビューしたばっかりだから、

スキャンダルはまずいと思うんだけど……。

それを聞いた日比木さんは、微笑ましそうに言った。


「そうだったの。きっと吉田くんもそれを聞いたら喜ぶんじゃないかしら?

女の子のお友達はレイちゃんだけみたいだし」

「え!? れ、レイって誰ですか!!」


ひ、日比木さん……そこまできたら、天然であることも罪ですよ……。

女の子の友達っていうか、それは彼女なんじゃ……?

でも、まさかね。レイさんは……。

日比木さんに詰め寄る華也ちゃんに、わたしがフォローを入れた。


「レイさんは、3+やわたしをスカウトしてくれた子だよ!

きっと吉田くんもその関係で仲良くっていうか、よく話したり

してるんじゃないかな!」

「そうだったんですか……。よし、『翔太ノート』に今のこと書いとかないと!」


『翔太ノート』って……そこまで華也ちゃん、ファンなんだ。


しばらく待っても、なかなかエレベーターは来ない。

ちょうど行ってしまったすぐあとだから、

しょうがないか。

わたしたちは、エレベーターホールで話を続ける。


「それで日比木さん、Ryuseiさんとアストさんに用って何があったんですか?」


質問すると、頬に手を当てて困った顔をする日比木さん。

そういった仕草ひとつひとつに品があり、お嬢様なんだろうなと

予想してしまう。


「私と井ノ寺さんは、いつも朝アパートの外で掃除をしてるんだけど……

笹井くん、今日のどの調子が悪そうだったの。

それで井ノ寺さんがはりきっちゃって」

「はりきる?」


華也ちゃんが不思議そうな顔をする。

日比木さんは、アストさんがどうしたのか説明した。


「なんでも『のどの具合がよくなるドリンクを作ってあとで差し入れするから』って。

私もちょっと心配だったから、そのドリンクの味見をさせてもらったんだけど、

ともかく味がひどくて……。井ノ寺さんを止めに、事務所まで来たのよ」


アストさんってそんなキャラだったんだ……。

でも、そんなことでわざわざ事務所まで来て止めようとするってことは、

もしかして日比木さん……。


「日比木さんって、Ryuseiさんのこと好きなんですね!」

「え……えぇっ!? わ、私は別に、そんなんじゃ……!」


日比木さんは真っ赤になって否定する。

それを見た華也ちゃんが、日比木さんを茶化す。


「でも、Ryuseiさんと日比木さんだったらお似合いですよ!

ほら、Ryuseiさんイケメンですし」


「でも、私なんてただの年上の大家よ?

きっと眼中にないわ」


遠慮がちにつぶやく日比木さん。

Ryuseiさんが好きなのかぁ……。

ん、あれ?

そう言えばKUROさん、この間愚痴ってたな。

『Ryuseiのやつもいい加減堂々と告白すればいいのに』って。

確かその相手……アパートの大家さんとか言ってたような。

アパートの大家……ひ、日比木さんのことじゃない!


ひとりだけふたりが両想いだという事実に気づいたわたしは、

まずいと思った。

ふたりともまだ、お互いが好き合ってることに気づいていないのに、

部外者のわたしが知っちゃったら……!

ど、どうしよう!


「でもRyuseiさんに彼女かぁ……」

「か、彼女じゃありませんよ!」


わたしが華也ちゃんと照れまくっている日比木さんの話を

聞いていると、思わぬ飛び火が来た。


「だけどこれでRyuseiさんもKUROさんも彼女持ちってことですよね」

「え? KUROさんにも彼女、いるの?」


KUROさんに彼女がいるとしたら、わたしってお邪魔虫じゃない。

KUROさんはいつもわたしを強引に食事や飲みに連行する。

彼女を放っておいて、事務所の同期とそんなことしてる場合じゃないでしょ!

先日遊園地にも連れて行ってもらったけど、

それが彼女さんにバレたら浮気だと思われちゃうかもしれないし……。


「MUGIさん、最近前みたいにKUROさんを見かけて

逃げることは少なくなったじゃないですか」

「え? うん。まぁそれはそうなんだけど……」


ちょっかいをかけられているのは変わりないけど、

それはKUROさんが悪い人じゃないってわかったから。

でも、それならKUROさんにあまり近づいちゃいけないよね。

わたしが原因で周りに誤解されても申し訳ないし……。

うーんと考えているわたしを見た華也ちゃんは、

変な顔をした。


「どうしたんですか? MUGIさん、KUROさんとつきあい始めたんでしょ?」

「……はぁっ!? わ、わたしが、KUROさんと!?」


驚くわたしを見て、華也ちゃんは呆れた顔をした。


「KUROさんがMUGIさんに絡んでるのって、どう見ても

好きな女の子にちょっかい出す男の子じゃないですか……。

気づかないMUGIさんも大概だと思いますよ?」


KUROさんが、わたしを!?

あ、ありえないでしょ! あれはおもちゃ扱いされてるだけっていうか……。

好きな人相手だったら、きっとKUROさんだって

もっと優しく接すると思うし……。

そう考えると、ちょっと胸がちくんとする。

……え、何? この感情……。


「そ、それなら華也ちゃんだって! 

男の子が好きな女の子にちょっかいかけるっていうなら、

双子からめちゃくちゃアピールされてるってことだよ?」

「それこそありませんっ! アイツらは私のことをからかって……」

「ふ、ふたりとも! 声が大きいですよ。ここ、エレベーターホールだから

声が響いて……」

「みんなどーしたの? なんかもめてる?」


華也ちゃんとわたしをなだめるように日比木さんが口をはさんでいるところに、

ちょうど通りかかったのはMITSUKIさんだった。


「MITSUKIさん! おはようございます!」


わたしと華也ちゃんが声をそろえて挨拶すると、

MITSUKIさんも返してくれた。


「うん、おはよう。で、何の話してたの?」

「華也ちゃんが、KUROさんがわたしのことを好きとか言ってきて!」

「そういうMUGIさんだって、あのバカ双子が私にちょっかいかけてるとかーっ!!」

「はいはい、どっちも正解だからケンカしないの」

「どっちも正解~!?」


わたしと華也ちゃんが真っ赤になってMITSUKIさんを見る。

それでも彼は笑顔のままだ。


「あ、MITSUKIちゃん。お久しぶり」

「静さんっ!!」


MITSUKIさんは日比木さんに抱きつく。

え!?

日比木さんも嬉しそうにMITSUKIさんに抱きしめられている……けど、

わたしと華也ちゃんはその光景を見て唖然としていた。

嘘でしょ?

まさか、日比木さんはRyuseiさんじゃなくて、MITSUKIさんを……!?

でもさっきまでRyuseiさんの話をしているだけで

真っ赤になって照れてたのに!?

驚いていたわたしたちだが、日比木さんはさらに度肝を抜くような発言をした。


「MITSUKIちゃん、結婚おめでとう」

「ありがと! 静さん。でもこのことはトップシークレットで……って、あ」


嬉しそうにしていたMITSUKIさんだが、わたしたちが目を点にしていることに

気づいた。


「やば、聞かれちゃったか~! ふたりとも、今のことは内緒でお願いね?」

「み、MITSUKIさん、相手は誰ですか!! 

一緒にトーク番組に出てるアイドルですか!?」

「いや、違うよきっと! 音楽番組の女子アナだよ!」

「え、え~と……」


MITSUKIさんは困ったように頬をかく。


「ふふっ、MITSUKIちゃん、ここでは男の子だものね」

「もう、静さんっ! 問題発言だよ、今のは。

ふたりにカナタとの関係がバレたらヤバいんだから……。

僕の正体もだけどさ」

「今のは高校のときにカナタくんを私から奪ったお返し」

「いじわるだなぁ」


そんなふたりの会話はわたしたちの耳には届いてなくて――。

チン、と音が鳴ってエレベーターは到着した。

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