〇リロードレコーズ 社長室
「九郎まで来なくてよかったのに」
「いや、レイさんに土産があってな」
僕はリロードレコーズの社長室へ向かっていた。
カナタさんから資料を受け取りにきていたのだ。
なんでも前回のミニライブでの反省点とか、次の戦略についてとか
そういったことをまとめたものらしい。
九郎はなぜかレイさんに土産……といいつつ、洋菓子の箱を持っている。
一体ふたりの間に何があったんだ?
社長室の前に着くと、僕はドアをノックした。
「はい、どーぞ」
座っていたのはカナタさんだけ。
どうやらパソコンで資料を作っていたみたいだ。
「おはようございます」
「おはよう。あれ? Ryusei、声どうしたの?」
「すみません、ちょっと体調管理が不十分でした……」
今日の僕は絶不調だ。
風邪なのか、のどをやられた。
ボーカリストだってのに、情けない……。
でも、幸いなことに今日は歌うことはない。
レコーディングもライブもないことがせめてもの救いだ。
「あれ? レイさんは?」
「ああ、レイはまだ学校だよ」
レイさんって、まだ学生だったんだ……。
あの人に関しては、存在自体謎だもんな。
僕たちをスカウトしたのだって、ずいぶん小さい頃だったし、
今学生だと言われても納得してしまう。
「でも、そろそろ来ると思うよ。レイに用事があるなら、待ってたら?」
「ういーす」
九郎は近くにあったソファに腰かける。
僕はカナタさんに近づいた。
「あの、資料を受け取りに来たんですけど」
「はい、これ」
紙束を渡される。
相変らず、ホチキスは垂直に止まっている。
ペラリと内容を見てみると、当日のトワレコでのCD売上などのデータが
事細かく書かれていた。
こういう情報をうまくまとめる辺り、カナタさんは相当神経質なのかなと
思ってしまう。
だが、そこも社長としては必要な能力だ。
「ま、データはそうなってるけど……簡単に言ったら、琉成! お前はもっと
自分のビジュアルを売りにすべきだと思うぞ?」
「ビジュアルですか?」
「ガスマスクの下はイケメンだった……。なのに、そこを売らなくてどうする!」
「僕、イケメンですか?」
その問いかけに、カナタさんどころか九郎もため息をついた。
「いるよな、こういう天然。むしろ前に好きだとか言ってた、
アパートの大家さんとお似合いかもな?」
「なんだ? 好きな人、いるのか? 琉成」
「ちょ、九郎!!」
さすがにカナタさんにバレたらまずいだろう!
確かに俺の好きな人はかなりの天然だけれどもっ!
「ちーっす! カナタ、来たよ~ん」
「おはようございますっ! カナタさん! ……と、笹井さん!?」
「レイさんと吉田くん!」
ほっ、セーフ。
これで余計な詮索はされなくて済みそうだ。
ふたりの登場で、話が誤魔化せる。
「あっ! それっ!! KURO、覚えててくれたんだ~!」
レイさんは九郎の持っていた洋菓子の箱に目をつける。
「中身なに? それ」
「ドゥーブルフロマージュ!」
九郎から箱を受け取ると、レイさんはカナタさんのデスクに腰をかけ、
さっそく開封する。
中からスイーツを取り出すと、手でそのままつかんで口に入れた。
「ん~! おいしい~!!」
「本当に好きだよね、アキ……レイは」
吉田くんも少し呆れ気味な表情を見せる。
だけど……なんでこのふたりが一緒に?
「吉田くん、レイさんと仲いいの? 呼び捨てだし」
「え!? あ、そ、そうですね。偶然同じ高校だったんですよ」
少し焦った様子の吉田くん。
そうだったのか。ふたりは同じ高校だったとは……。
というか、レイさんはまだ高校生だったのか。
しかも同じ高校とは、偶然の一致だ。
社長室への来客はこれで済まなかった。
バンッ! と扉が開くと、これまた若い男の子
ふたりが入ってくる。
「カナタ兄貴~! この間のアリーナツアー、どうだった!?」
「僕たち、ダンスなかなかだったでしょ?」
このふたりは確か、Strings……だっけ。
高校生のダンスユニットだ。
僕らや吉田くんたちとはまた違った音楽性のグループも
所属してるよなぁ……。
でも、やたらStringsのふたりって、カナタさんに似ているような……。
僕がじっと見つめているのに気づいたカナタさんが、
説明を入れる。
「Stringsのカナムとカナトは双子で、俺の弟なんだよね」
「えぇ!? そうだったんですか!?」
「ま、親父は当然ふたりともクラシックの道に進めたがってたみたいだけど……
こういうのは本人たちの気持ち次第だからね」
「そっ! ってことで、オレたちは兄貴を選んだの!」
カナタさんの家も色々大変なんだな……。
そんなことを思っている僕をさておき、カナムくんとカナトくんは
吉田くんにキッと向き直る。
「お前が吉田翔太?」
「え? はい……あの、オレに何か用ですか?」
「とぼけんなぁっ!!」
「うわっ!?」
Stringsのふたりは、なぜか吉田くんに飛びかかる。
だけど殴ったりはしない。
身体や顔をべたべたと触って、じっと見つめている。
「……確かに腕の筋肉はすごいよね」
「バランスはいい。顔も爽やか系だし」
ふたりはそれぞれつぶやいた後、
ため息をついた。
「華也ちゃんはこんな男が好きなのか~……」
華也ちゃん?
一体誰のことだ?
僕やKURO、レイさんや吉田くんは呆気に取られている。
ふたりのことを説明してくれたのが、またもカナタさんだった。
「華也ちゃんっていうのは、
カナムとカナトのダンスを手伝ってくれた女の子なんだ」
「で!? 翔太は華也ちゃんのこと、どう思ってるの!?」
ずいっと双子に身を乗り出された吉田くんだが、
当の本人は戸惑っていた。
「えっと……オレはその『華也ちゃん』を知らないですし……」
「……そっか!」
双子はパンッ! と手を叩き合わせる。
「翔太と華也ちゃんが出会わなければいいんだ!
翔太が華也ちゃんを知らなければ、愛だの恋だのの話にはならないっ!」
「オレたち天才~!!」
そういうものだろうか……。
どうやら、彼らも色々大変みたいだな。
「そうだ! この際、翔太の好きな女の子ってどんな子か教えてよ!」
「ええ!?」
吉田くんは少しの間考えて、にこっと笑った。
「オレ、今はドラムが命なんで!」
その言葉に双子はヒソヒソ話をしていた。
「ドラム命とか……」
「マジ爽やかイケメンって、レベル違うな」
「あの~?」
「でも吉田はレイさんとよく一緒にいるじゃん」
九郎がツッコむと、吉田くんとレイさんは
どちらも首を振った。
「お互いそれはないっ!」
声がハモる。
レイさんだったらかわいいから、
吉田くんにも似合うと思うんだけどな。
「面白いね、こうやって若い子の恋バナ聞くの」
完全に傍観者になっているカナタさんは笑顔で僕たちを見つめる。
まったく、この人は……。
「KUROはMUGIとどうなの? MITSUKIから聞いてるよ?」
「へ!? お、俺ッスか!?」
九郎の声が珍しく裏返る。
九郎のやつ、最近MUGIさんをよく食事や飲みに誘ってるんだよね。
確かに気になるところだ。
「別に……何もねぇッスよ……。
あいつ鈍感ですから」
深いため息をつく九郎。
まあ、九郎が『誘ってる』っていうよりも『連行している』っていうように
見えるから、もしかしたらMUGIさんは九郎のこと好きとか嫌いとか
そういうレベルじゃないのかも……。
「くそっ、あのお花畑っ……!
遊園地にまで連れてってやったのに」
やっぱりそんな感じみたいだ。
最近は慣れてきたのかとちょっと思ってたんだけどなぁ。
普通に話すように見えてきたし。
でもまだ九郎が強引に見えるんだよね。
もっと優しく食事とかに誘えばいいのに、
MUGIさんの都合お構いなしだもんなぁ……。
「そ、そういう琉成はどうなんだよ! 例の大家さん!」
「大家さん? あ、もしかして日比木静のこと?」
「え……カナタさん、静さんのこと知ってるんですか!?」
俺はその言葉に真っ青になる。
カナタさんがライバルだったら、正直勝てないだろう。
カナタさんは社長だし、MITSUKIさん専属だけど現役の作曲家だし、
プロデューサーだし、静さんよりも年上だし、
元バンドマン……。
僕が勝てる要素、0だよ。
僕が動揺していると、カナタさんはへらへら笑った。
「あはは、大丈夫、大丈夫。静とは従兄妹の関係だけど、
恋愛対象じゃないから。静も同じだよ」
「そうだったんですか……」
安心していいのか?
カナタさんはそのつもりだけど、
静さんの気持ちはわからないし……。
従兄妹っていっても、恋愛関係にはなるからな。
心配していると表情に出ていたらしく、さらに笑われてしまった。
「そんなに心配してるなら、静にきけばいいと思うよ」
「きけたら苦労しませんよ」
僕は公私ともに認めるヘタレだ。
そんな質問ができてたら、もうすでに告白してる。
いや、告白らしきことは何回かしてるか……。
ただ、静さんが天然すぎて気づいてもらえないだけなんだよね。
……待てよ。天然なのは演技で、実は僕の告白から
逃げてるだけなんじゃ!?
どうしよう! ……と不安に駆られていると、社長室のドアが
勢いよく開いた。
「笹井琉成はいるか!!」
「井ノ寺さん!?」
「アスト、どうしたの?」
そこにいた数人が驚く。
九郎に関してはSODのアストがサラリーマンみたいになっていて
驚いてるし、
カナタさんも久々に顔を合わせたらしかったから
びっくりしている。
レイさんと双子はなんで井ノ寺さんがこんな場所に来ているのかと
言うこと自体に驚いていた。
「何の用ですか? 井ノ寺さん」
吉田くんがたずねる。
吉田くんはお父さんの影響で昔のバンドも好きらしくて、
SODを知っていたみたいで、この間サインをもらってたなぁ。
「琉成! お前、今日、のどをやられてるんだろう?
井ノ寺さん特製ジュースを持ってきた! ボーカリストはのどが命だからな」
「でも、わざわざ持ってこなくても……」
「歌わない日でも安静にしておかないといけないだろう?」
正論だけど、ここまで持ってこなくてもよかったのに。
申し訳ない気持ちもあるけど、井ノ寺さん、暇なのかな……?
この人一応警備員だから、アパートを守ってなきゃいけないと思うんだけど。
「ほら、とりあえず飲むように」
「あ、ありがとうございます」
持ってきた水筒を手渡されると、僕はさっそくふたをあけて
コップに中身を注ぐ。
「うっ……!?」
中の液体は緑で、泥臭い変なにおいがする。
大丈夫なのか? これは……。
見た目からしてアウトなんだけど。
「さあさあ飲まんか! のどにいい材料を使っているんだから、
遠慮しなくていいんだぞ?」
遠慮じゃなくて不安なんですけど……。
僕は勇気を出して、コップに口をつける。
その瞬間、泥臭さ以外にも生臭さとスースーするミントという合わない成分が
口内に広がり、吐き出したくなる衝動に駆られる。
だけどここは社長室だ。
吐きたくても吐けない。
意地で飲みこむと、そのままひざから崩れ落ちる。
「どうした!? 琉成!」
「笹井さん!?」
九郎と吉田くんが心配してくれる。
しかし井ノ寺さんはドヤ顔でメガネをくいっと
持ち上げた。
「……のどのイガイガが取れただろ?」
イガイガは確かに取れた。
だが口の中は気持ち悪い。
早く何か水かウーロン茶みたいなのが飲みたい……。
「Ryusei、これ」
レイさんがありがたいことに水をくれた。
「ありがとうございます」
なんとか口の中をさっぱりさせると、ようやく落ち着いた。
だが井ノ寺さんはさらに謎のジュースを勧めてくる。
……もう無理だって。
ここは話題を変えないと。
「そ、それより井ノ寺さんは、現在お付き合いされてる女性はいるんですか?」
「は?」
「そうそう! 今僕たち恋バナしてたんだよね~!」
双子のカナトくんかカナムくんが井ノ寺さんにたずねる。
すると眉間にしわを寄せて、メガネをまた持ち上げた。
「恋バナって……お前らは女子か?」
その言葉に、全員言葉を失う。
確かに女子だな……うん。
「そ、それでも知りたいじゃん!」
レイさんも興味を持つ。
「俺も聞いてみたいッス!」
九郎もだ。
井ノ寺さんは少し考えたのち、口を開いた。
「……正直今まで興味がなかったな。付き合った女性もいないし……」
「え!? アスト、それって本当!?」
一番驚いていたのがカナタさんだった。
カナタさんは確か高校時代から井ノ寺さんと一緒だったんだよね。
その彼が知らないってことは……。
「まさか童貞?」
双子が聞くと、井ノ寺さんは堂々とうなずいた。
「その通りだ! 貞操は結婚初夜まで守らなければな!」
「えぇぇ!?」
メンバー全員が声を上げる。
聞いた話、元不良でSODという大人気バンドのキーボード。
しかも性格はともかく、そこそこのイケメンだ。
芸能界にいたら、そういう甘い誘いもあるだろうに……。
その上堂々と童貞宣言したな、井ノ寺さん。
「あはは! アラサーでそれはヤバいでしょ!!」
カナタさんは大笑いするが、井ノ寺さんはいたって真面目だ。
「何がおかしい? まぁ、今日まで女性と付き合うということに
興味がなかったからな」
こんな人がいるんだな……。
井ノ寺さん、やっぱりちょっと変わってるというか。
でも彼は静さん狙いではなさそうだから、心配は必要ないかな。
「で、兄貴、さっきから人の話を聞いてるだけだけど、
相手はいないの?」
「いるよ? 先日入籍したし」
………。
…………。
……………。
「にゅ、入籍~!?」
双子は当然だが、全員が大声を出す。
カナタさんが入籍!?
しかも弟ふたりにも伝えてなかったみたいで、双子は気が動転しているみたいだ。
「ちょっと! 相手は!? 相手は誰!?」
「オレたちも知ってる人!?」
「……内緒。彼女は特別な人だからね。俺ひとりで独占したいから
誰にも教えな~い」
独占したくても、そりゃあ親族には言わないといけないだろ……。
「カナタさん、パネェな」
九郎がぼそっとつぶやいたのが聞こえる。
カナタさんだけはにやにやしていたが、他のメンバーは驚きのあまり
呆然と立ち尽くしていた――。
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