第4話 最後の審判
アジトの建物は簡素な構造になっていたが、その分部屋の間取りが大きく、搬入した遺体をそのまま簡単に奥の倉庫へ移動できるようにしているらしい。
帰ってくるなり、急いでその倉庫を確認しに行ったダニーは、中にいた数人の男たちから一斉に寄り付かれ、怒涛の勢いで一部始終を説明されていた。
「…やられたな……。」
中央に置かれた寝台が抜け殻になっているのを改めて真に受け、ダニーは疲れたように椅子へ座り込んだ。
「君は…盗掘団の頭だったんだな。」
「すまん、エリオット。来てもらったが、肝心の遺体が持ち去られた。」
後から入ってきた件の解剖医は、興味深そうに倉庫の中を見渡している。
「他に隠している妊婦の死体は無いのですか?あるいは、組合に流せない貴重なものがあれば、私が個人的に買い取らせていただきますが。」
「…あんたはどういう了見でここに来た?うちは
「しかし妊婦は渡さずに、解剖医を外注しようとしたではありませんか。」
男はそう言って、エリオットを一瞥した。
「情報は流したはずだ。受け取りに躊躇してたのは、組合の方だろうが。」
「つまり…そのような商品を、私が個人的に取引したいのです。絵師に頼んで解剖図だけ写し取っても、正式な医学者による署名が無ければ、まともな価値は付きませんよ?」
エリオットは見下された発言を真に受けることはなかった。彼はそもそも、自分を「解剖医」だと自認した覚えはないからだ。
「それでも…商品を紙面化できれば、死体の入手ルートを多分に洗浄できる。その辺の闇医者なら気にせず遺体ごと持っていっただろうが、妊娠出産の研究というのは、やつらの言う通り、敬意を持って行われるべきだ。きちんとした権威のある医師に渡したい。」
「おや、先ほどのやり取りはクレーマーに対する方便かと思っていましたよ。このような闇仕事に従事しておきながら、あなたもまた、神に仕える信奉者というわけですか?」
「おいあんた、口が過ぎるぞ。」
エリオットが神妙な面持ちで口を挟んだ。
「信仰を持たない者でも、倫理まで捨てているわけじゃないだろう。ダニーはまともな人間だ。あんたと違って。」
男は口角を上げてエリオットに向き直った。
「エリオット…と仰いましたか?私はイーサン。外科組合で正式に解剖医を務める、権威ある資格を持つ者の一人です。私の執刀には、死体一つに対する倫理など取るに足らない、医学界の発展そのものが関わっています。貴方が首から下げているその十字架が、病に伏す現代人にその場凌ぎのささやかな慰みを与えている間、私は未来に生きる人間たちに、明らかな生命と健康を与えているのです。」
エリオットはどこかで聞いたような台詞を耳に思い切り流し込まれ、振り払うように首を振った。
「…あんたは知らないだけだ。神がもたらす、その”明らか”という罰の形を…。」
「罰を与える主そのものに、また救いを求めるのですか?矛盾していますよ、エリオット。」
ダニーが「よせ」と短く声を上げ、椅子から立ち上がった。
「部下どもの話によると、やはり誰も妊婦の情報を組合以外には漏らしていないらしい。おそらく、買い取った元の連中から教団の関係者に繋がったんだろう。さっき言った通り、他にはもうめぼしい商品はない。うちはもう、同様の仕入れも控えさせてもらう。」
「教団、というのは何なんだ?今日墓地へ向かう途中、馬車にいた同業者もその話をしていた。目を付けられるとマズいのか?」
エリオットが問うと、ダニーは頭を掻きながら、気が進まなそうに説明した。
「最近になって活発化してる、発祥不明の宗教派閥だ。俺も詳しくは知らんが、巷じゃ『聖書の拡大解釈系』だと言われてる。何でもやつらの中に、死者の怨念が視える者がいるらしく、遺体の取り扱いについて過敏になってるようなんだ。『不敬に扱うと、亡霊が闇の中から現れて、地獄へ引きずり堕ろそうとする』と言ってな…。」
エリオットはダニーの視線が自分の右腕に向けられているのを察し、さり気なく背後に隠した。
「…最後の審判、ですか…。」
イーサンが呆れたように溜め息をつく。
「世界の終焉が訪れたとき、死者は皆、神の下で平等に裁かれる。生前に悔い改めた者は天上へ、そうでない者は地獄に堕ちる…というやつですね。馬鹿馬鹿しいにも程がある。」
「…だが、彼の発言はまともだった。」
「そうだよ、エリオット。狂っているのは俺たちの方なんだ。だが俺は、自分の立場を間違ってるとも思わない。問題は、その折り合いが付けられないことだ。最後の審判において、中身をズタズタに暴かれたような穢れた遺体は甦らない。この発想は、俺たち墓荒らしと解剖医にとって、示談不能の天敵なんだよ。」
またもイーサンは、演技がましく首を振ってみせた。
「甦る…?腐って骨だけになった遺体が、棺の中から這い出てくるというのですか?さぞ、終焉後の墓地は愉快な社交場になるでしょう。」
「…しかし、死んだはずの人間が再び息を吹き返すってことは、実際にある話だ。俺達のような賊でも知ってるんだから、医学界隈じゃ話題に上っているだろう。」
「確かに死刑執行後の遺体を持ち帰ってから、解剖台の上で目を覚ます事例は、私の同僚が目撃したと証言しています。しかし、ハンター教授はそれを、『現代の処刑法では死に切れていなかっただけ』だとご教示されましたよ。」
「あんた、ジョン=ハンターの弟子だったのか?」
エリオットは俄然納得がいき、神をも恐れぬ数々の振る舞いとその既視感の正体を掴んだ。
「あなたは…ハンター先生のお知り合いでしたか?」
「エリオットはハンターの下働きみたいなものらしい。解剖の腕もある。俺はあんたの来訪を知らなくて、こいつに依頼して来てもらったんだ。…だが、白紙になっちまったな…。」
エリオットが敬愛すべき師の眷属であると知ったイーサンは、些か態度を改めて彼に向き直った。
「…エリオット、『蘇生術』に興味はありますか?神でなく、人間がその生命を死の淵から掬い上げるという御業に…。」
「…死者は甦らないんじゃないのか?」
「申し上げた通り、厳密にはまだ死んでいない死体が対象になるでしょう。私はこの分野に、多大な好奇心を唆られています。なぜならそれは、『生』と『死』を分かつ、物質的な定義を解き明かすことに繋がるからです。」
イーサンは、先ほどまでダニーが座っていた椅子に腰掛けると、太腿の上に両肘をついて、指を組んだ。
「ダニー。私から改めて、新しく個人的な依頼を申し込んでも?エリオットにも仕事を与えられるでしょう。」
「…妊婦でなければな。」
エリオットは怪しげな視線を向けられ、やや顔を背けた。
「刑場で死刑囚の遺体を奪ってきてください。…死にたてホヤホヤのやつをね。私とエリオットで、それを解剖します。」
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