第3話 前哨戦

埋められた死体を掘り返し、それを解剖医に売りつける盗掘団。


ダニーは窃盗もナシだと言ってみせたが、実のところ、これも嘘ではない。

骸自体は誰の所有物でもないからだ。


このビジネスモデルが一般大衆の間で広く知られているということはなかったものの、権威と実績を持つ外科組合が解剖用の遺体を次から次へと求める以上、提携する彼らの行いはそう目くじらを立てられる程のものでもなかった。



おそらく本人たちもそれを自覚してのことだろう。アジトと呼ばれた建物は町の中に何食わぬ顔で鎮座しており、死体の搬入用に建て付けられた裏口だけが、やや人目を憚るように裏通りに面していた。



「着いたぞ。雑な連中が多いが、取って食いやしないから、安心しろよ。」


ダニーは慣れていたために気を留めなかったが、エリオットは玄関に繋がる橋の下で、三人の男たちが何やら激しく口論しているのを発見した。


「あれは?」

「んん?…個人客に値切りでもされてるんだろう。よくあることだよ。」


ダニーが下を覗き込むと、それに気付いた男の1人が、安堵したように声を上げた。


「頭、来てくだせえ!厄介なことになっとります…!」


どうやら男のうち1人が今にも馬車を出発させようとしていて、叫んだ男と残る1人がそれを引き留めている形のようだ。


馬車には、一つの遺体と思われる麻袋が横たえられている。

その腹部は、外から見ても明らかに大きく膨らんでいた。


「ちょっと待て、どうした?何をやってる?」


橋の縁に手をついたダニーは、そのまま飛び降りて三人の傍らに着地した。


仲間の1人と馬車の男は言い争いの後で興奮しており、互いに顔が火照っている。


ダニーはまず、残る1人に声をかけた。

この状況でも極めて冷静そうに見え、眼鏡の奥から覗く瞳はまるで絵画のように動かない。

立ち位置から考えるに「こちら側」の人間だが、顔を見たことがなかった。


「お前さんは?」

「…私は外科組合の者です。」

「なぜ組合が今晩来てる?」

「今日は解剖医として、私個人の用件でしてね。…その用件は今、ここで潰えようとしていますが。」


ダニーは馬車の荷台に手を掛けている男に向き直った。


「あんたは何者なんだ?うちの客か?その商品は今、売りに出してない。」


問われた男は目を見開き、湧き上がる怒りを必死に抑えているような様子だ。


「商品…ですと?あなたたちは、人の肉体を何だと思っているのです…!それも…お腹に子を宿した尊ぶべき女性の身体を!人間の命の重さが分からぬというのですか…?」

「……もう死んでると思うが?」


ダニーの落ち着いた返答が、火に油を注いだ。


「…全く…理解できない…。あなたは自分が死した後、その身体を弄ばれて良い気分がしますか?遺族の方がそれを見て、何を思うか考えたことはありますか?それでもあなた方は、神の御下に誠実であると言えるのですか?」

「おっと、そういうことかい…。」


これによって完全に事態を把握したダニーが実に苦そうな表情を浮かべると、今度は眼鏡の男が一歩前に出た。


「…我々が解剖から手を引いたとしても、教団の方々も土葬は行うでしょう。遺体は放置すれば原理として腐りゆき、やがて土に還ります。地面の下にです。天ではありません。」

「私は魂の話をしているのです!あなた方のように気高い精神性を捨て、目の前で起こる物質的な事実しか捉えようとしない人間にはとうてい及ばない、『神の原理』があるのです!」

「魂?我々は遺体の話をしていたはずですが…。少なくとも、胸の前で十字を切るより、実際に胸を切り開いた方が、人体という構造の原理を遥かに多く知ることができますよ。」


ダニーは頭を抑えながら、口の回る解剖医を元の位置に下がらせた。


「一旦…待ってくれ。埒が明かない。折り合いを付けよう。その遺体は引き取ってくれていい。ただし、俺たちもただ、食い扶持のためだけにこの仕事をやってるわけじゃないんだ。あんたたちのように高尚な人間が少なからずいるおかげで、世界は少しずつ良くなっている。だけど今はまだ、汚れ仕事というものがどうしても必要なんだ。このロンドンが救われるなら、俺たちは敢えて地獄に落ちよう。…その辺は理解してもらえないか?」

「…今後の活動を見過ごせと、そういうことですか?」

「俺たちは俺たちなりのやり方で、誠実にあろうとしている。」


この聡明な男は、賊の頭として十分に足る器量で場を収めることに成功した。


「…今後、妊婦の収集は控えてください。」



馬車の車輪がカラカラと回りだすと、男は荷台に飛び乗って遺体を抱きかかえ、町の外へと続く一本道に消えていった。



ふう、と溜め息をついたダニーの隣で、解剖医が滲んだ汗でずり下がってきた眼鏡を鼻の上に押し戻す。


「ああいう連中って、見ていると吐き気がしてきませんか?」

「…ん…。」

「『命の重さ』…『気高い精神性』……。私はああいった決まり文句を聞く度に、胃もたれしそうになりますよ。どのような環境で育ってきたのか知りませんが、いい大人になってまで、子供の頃に抱く光に満ちた幻想を、今だ見続けているんです。よほど現実から目を背けて生きてきたのでしょう。」


エリオットは橋の上から、息を浅くしてそれを聞いていた。




「だって世界は、こんなにも常闇に包まれているというのに。」

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