第2話 信仰と解剖

墓地から幾分と離れた町の酒場にやってきた二人は、賑わう客たちの人混みを分けて、空いていたテーブルの席に腰を下ろした。



「…お前、よく見たら右腕に大怪我でもしてるのか?よく墓掘りなんてできたもんだな。」

「これは…戦争で負ったものだ。それほど深い傷でもないが、治らない。」

「…治らない?」



エリオットは包帯を何重にも巻きつけた右腕をテーブルの下に隠した。


明るい場所に来て分かったが、このダニーという男は、盗掘団の一員と言うには童顔で、いかにも人畜無害そうに見えた。



「…仕事というのは?」

「ん?ああ、話した通り、解剖だよ。訳あって一体うちが手に入れたものなんだが、そのままだと売り物にならなくてな…。絵描き屋に外注して、中身だけ写し取る。だがその切開に、誰も手を付けたがらねえんだ。」

「……どんな遺体なんだ?」


ダニーは周囲を警戒しながら、声を落とした。


「…妊婦だよ。」

「何だと?」


エリオットはあからさまに顔を歪ませた。


「死刑囚の遺体は刑の執行後に合法解剖が可能になったが、そのルートじゃ妊婦だけは手に入らねえ。なんたって、懐妊中は執行日が見送られるからな。逆に言えば、死ぬときはもう妊婦じゃなくなってるってこった。…それだけに、妊婦の死体は希少で高く売れる。俺たちもそれを外科組合に流すつもりで入手したんだが…。」

「待て。それをどうやって手に入れた?返答によっては断らせてもらう。」

「…さあな…?うちも転売目的で他から買い取っただけだから、詳しい経路はどうにも。」

「シラを切るのはやめろ。ハンターは狂っちゃいるが、殺人までは容認していない。」


ダニーは縦なのか横なのか、よく分からない方向に首を振った。


「懐妊の段階に合わせて都合良く、臓器が無事のまま死ぬことは稀だって話だろ?組合もそう言って警戒してるんだ。…だけど、そのケースも無くはない。実際にもう子宮の解剖は公に研究が進められてるし、表に立ってる解剖学者たちが死体を欲しがってるから、俺たちも食っていけてるんだ。出処なんて、詮索しない方が賢明だぞ。」

「…あんたには信仰というものが無いのか?」


エリオットが首から下げているペンダントを一瞥したダニーは、今度は明らかに首を横に振る。


「矛盾してるな、墓荒らしのエリオット。この仕事から足が洗えないなら、いっそ信仰は捨てるべきだ。さもないと、自分の方が十字架の下敷きになっちまう。」


見ると、エリオットは再び自分の右腕を持ち上げて、取り憑かれたように包帯を凝視している。


「…そんなことはできない…。俺は、神が確かに存在することを知っている。俺はいつでも、裁かれているんだ。『影』がいつまでも追ってくる…。俺が苦しみながら地獄へ堕ちるのを、今か今かと待っているように……。」



彼は暫く上の空で呟いていたが、ダニーが口を挟んでこないことを察し、元の調子に戻った。


「すまない、私は…。」

「いや、悪かったよ。何か事情があるんだろう。墓地で話した通り、嫌なら断ってくれていい。だけど、死体の出処については本当に知らないし、俺自身も殺人と窃盗はナシだと思ってる。端から見ればこれは闇仕事かもしれんが、俺たちのおかげで医学業界が発展してると考えれば、そう利己的な職業でもない。」


エリオットはその言葉を聞いて、完全に正気を取り戻した。


「君はまるで…ハンターのようだな。神に逆らうようなことを平気で言う。だがそれでも、不思議なものだ…。なぜか不誠実さを感じないのは…。」

「…あの狂人と同じにされちゃあな…。まあ誠実ってのは、『何に対してそうあるか』ってだけの話だろうよ。俺は自分の安全と利益については譲らないし、お前の信じる倫理を侵害するつもりもない。その領分が重ならないなら、今回の話はナシだ。」

「…いや。」


エリオットは、なぜか痛みの引いた右腕を差し出して、今度はダニーによく見せた。


「やはりそれを判断するのは君の方だ。今しがた私の言ったことは何も比喩じゃない。この仕事を共にするなら、相応の覚悟をしてもらう必要がある。」

「覚悟?『影』ってやつのことか?」

「…私は七年戦争でこの傷を負ってから、あれに付き纏われるようになってしまった。所以は…きっとあるはずだが、一向に完治しない。これが治りさえすれば解放されるに違いないと、私はジョン=ハンターに研究を依頼しているんだ。」


ダニーはエリオットの包帯が解かれていくのをまじまじと眺めていたが、その右腕が露わになったとき、暫くそのまま固まってしまった。


「……そうか、エリオット。分かったよ。」

「この傷について、何か知っているのか?どういう現象が起きている?私はどうすれば助かる?」

「いや、そうじゃない。俺には治し方は分からねえ…。とりあえず、しまってくれ…。」


エリオットは表情を曇らせた後、そそくさと包帯を巻き直した。


「…私が死体に近付くと大抵、亡霊たちのおぞましい怨念が闇の中から現れて、私を地獄へ引きずり堕ろそうとする…。君はその怪異に巻き込まれてしまうかもしれない。」

「………。」


ダニーは話を聞きながら俯いて考えごとをしていたが、やがて何か決心したように顔を上げた。


「…よし、こっちは問題ないぜ。俺たちも賊のはしくれだし、腹の重たいゴーストぐらい、返り討ちにできるさ。お前だって、人手があった方が安心できるだろ?傷を治してやることはできねえが、オバケ退治ぐらいは付き合ってやるよ。」

「……そうか…。」



いつも単独で仕事をしていたエリオットが、徒党を組んで怪異に立ち向かうのは、これが初めてになるだろう。きっと、幾分楽になるはずだ。


しかし彼は、襲い来る亡霊たちよりも、いつも遠くから見つめてくるだけの『影』を恐れていた。


あれを消滅させない限り、やつらは死ぬまで自分の前に湧き上がってくるのだろうと。

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