第7話 カメレオン俳優

「あの失礼ですが、どなたですか?」


菅原すがわら光暉みつきのマネージャーです」


「マネージャー?すみませんが、ご家族じゃない方は、ご退出して頂けますか?」

弥月心療内科の診察室で弥月天四郎が黒い丸椅子に座る患者の後ろに立っている高級スーツの痩せ型の中年男性に言うと、その中年男性は、眉を吊り上げた。

「私は、まだ彼が10代の下の毛も生え揃ってない頃からの彼のマネージャーですよ!」


「でも、家族ではないんですよね?」


「確かに血縁関係は、ありませんが、マネージャーは、タレントと一心同体!家族も同然です!」


「では、出て行って下さい。医者には、守秘義務というものが、あります。ご家族以外の方に患者のプライバシーに関わる情報を漏らすわけには、いけません。どうか、待合室でお待ち下さい」


弥月天四郎の杓子定規な喋り方にマネージャーを名乗る高級スーツの男は、眉間にしわを寄せ、唾を飛ばすような勢いで何か怒鳴ろうとしたが、

黒い丸椅子に座る通常の男にはない清潔感を持つ男性患者が、

「僕が許可するなら、いいでしょ、先生。僕がマネージャーに同席してほしいんです」

と先に言う。


弥月天四郎は、それでも断っても、良かったが、目の前の美青年の雰囲気に押され、

「患者様のご要望なら、仕方ありません」

と了承した。

「では、菅原光暉さん。今回は、どういった症状で当院に受診なされたのですか?」


「ええ、急に演技ができなくなってしまったんです」


「演技?」

弥月天四郎は、眉を寄せ、菅原光暉をじっと見つめる。


「仕事柄、演技ができなくなってしまうと非常に困るんです」


「失礼ですが、菅原光暉さん、あなたは、なんのご職業をされてる方ですか?」


弥月の言葉に菅原光暉は、目を丸くし、

「役者です」と答えた。


「知らないんですか?うちの光暉を?月9や大河や朝ドラに出てるでしょ?CMだって何本も」

菅原光暉のマネージャーが信じられないと言ったような目を弥月に向ける。


「すみません。テレビやネットを普段、あまり見ないもので」

弥月は、形だけ謝った。


「いいですよ。そういう人も中には、いるでしょう。国民全員に知られてるなんて、ただの思い上がりというものです」

菅原光暉は、まるで精神疾患を患っているとは、思えない爽やかな微笑みを弥月に向ける。


これも演技なのだろいか。

誰に対して?

あまり、患者として、彼は、誠実ではないかもしれない。と弥月は、思った。

医者の前だからと、症状を演技でごまかされ、歪められたら、治せるものも治せない。

弥月は、若干、菅原の笑顔に騙されないように気をつけながら、

「何か原因となるストレスに覚えは、ありますか?」

と訊いた。


「いえ、大きな役を任されるとプレッシャーは、かかりますが、今までずっと大丈夫でしたし、精神的ストレスが原因ではないと自分では、思ってるんです」

菅原の言葉を聞きながら、弥月は、危ない兆候だなと思った。

強い思い込みと精神病は、相性が悪い。

当人の自覚してないストレスも病気を悪化させるし、自分は、病気ではない、ともし、思い込んでいたら、それだけ精神病は、治りにくくなる。

弥月は、知らず知らず手にしたカルテをペンで叩く。

面倒くさい患者になりそうだ。


そんな予感を吹き飛ばすように

菅原は、

「というか僕、憑かれてると思うんです」

と言う。


もう、その時点では、明白だったが、弥月は、

「何にですか?」

と一応、訊ねた。


菅原は、ひどくはっきりと、

「幽霊に」

と言った。


弥月は、ふーっと息を吐く。

そっちの客かぁ。

考えてみれば、当たり前だ。彼は、東京からわざわざこのO阪に来てるのだから。

普通の精神疾患なら、東京の医者に診てもらうだろう。

「あの、ここの事は、誰から聞きましたか?一応、ここは、表向きただの心療内科という事になってるんですが」


「檸檬畑かぬれさんからです」とマネージャーが答える。


「あの女……」と弥月は、小さくつぶやいたが、そう言えば、彼女にここの事は、口外しないようにと、口止めするのを忘れていたと気づく。


「前までは、カメラが回って、役に入ると、変な話、何かが憑依したように演じる事ができたんです」


「光暉は、その役に入り込んだ普段とは、別人のような演技力で世間からカメレオン俳優と呼ばれてるんですよ。どんな役でも、その役柄に合わせて、人格やキャラクターを使い分ける事ができる天才なんです」

菅原光暉の話をマネージャーが補足する。

「でも、ある日を境にカメラの前で演技する事ができなくなってしまって、今は、別人のような暗い表情しか光暉はできない」


「カメラが回ってないところでは、見ての通り、大丈夫なんですけど、カメラが回りだすと、陰鬱な表情になってしまって、自分でも原因がわからないんです。これは、悪い霊でも取り憑いてるんじゃないかと、心霊系YouTuberの檸檬畑かぬれさんに相談したところ、ここを紹介されたんです」

檸檬畑かぬれは、例の一件以来、自身のYoutubeで幽霊を罵倒するのを辞め、今は、幽霊の存在を認める幽霊肯定派になり、自身のYoutubeで積極的にお焚き上げ動画やお祓い動画を上げている。


弥月天四郎は、数秒、菅原光暉を見つめ、黙り込む。

菅原光暉は、不安になり、

「あの僕には、やはり、何か霊が取り憑いてるんでしょうか?お祓いとか、した方がいいですか?」

と弥月に訊く。


「いえ、お祓いは、あなたの為にもしない方がいいでしょう。それに私は、霊を祓うという考え自体が嫌いです。彼ら彼女らも元は、人間なのに、その事実を無視して、その存在を全否定するやり方は、彼ら彼女らの尊厳を踏みにじる行為であり、暴力で解決するのと、一緒です」


「では、僕は、これからどうすればいいのでしょう?」


「何もしない事ですね。これ以上、事態を悪化させない為にも、それが一番、いいです」


「光暉にこのままでいろというんですか?それじゃ、もう役者の仕事は、もう諦めろと言ってるのと同じですよ!先生!」

菅原光暉のマネージャーは、怒りを露わにする。医者の仕事を放棄するのか、病気を治さず、患者を投げ出すのか、と詰め寄らんばかりだ。


そんな鬼クレーマーぎみの本性を見せるマネージャーに弥月は、

「役者として生きていくのだけが、人生じゃありませんから」

と言い放つ。


マネージャーが梅干を食べたような表情でくっと息を吸い込み、次の言葉を吐く前に弥月は、菅原に

「菅原光暉さん、世界の実態は、あなたが思うよりも、不確かでボーダレスです。あなたは、霊に取り憑かれたと今、不快に感じ、不当な扱いを受けている、本来の自分を損なわれているように感じているかもしれません。ですが、大概の人間は、知らず知らずのうちに周りの霊の影響下にあり、周りの霊と融合し、人格を形成しています。霊と人間を分ける境界は曖昧で、世界は、グラデーションでできているのです。意識というのは、魂のほんの一部分で、あなたがあなたと思ってないところも含め、あなたは、形成されているのです」

と言葉で処方箋を出そうとした。


だが、菅原は、

「あのお薬を下さい。退化薬というので、霊的現象は、ある程度、抑えられるとかぬれちゃんに聞いて、僕は、ここに来たんです!」

と必死な形相になって、訴えて来た。


弥月は、首を横に振り、

「お薬は、必要ありません。あなたには、逆効果です」

とかわいそうなものを見る目を菅原に向けた。


菅原のマネージャーは、沸点に達したようで、

「話にならない!これ以上、こんな霊感詐欺師の話に付き合う必要は、ない!光暉、行くぞ!」

と菅原光暉の腕を引っ張り、菅原光暉と共に診療所を出ていった。

「光暉、何も心配しなくていいからな!私がもっといい霊能力者を探して、かならず、君を治してやる!何が心霊内科医だ!まったく!」

そう言ったマネージャーが1週間後に菅原光暉の前に連れて来たのは、心霊外科医・神津継次だった。


「今回の心霊手術の費用は、1600万だ。俺は、先払いじゃないと仕事を受けない主義だ。それが嫌なら、帰らせてもらうが、どうする?」

赤いロングコートに黒シャツ、黒ズボンの神津継次は、依頼者である菅原光暉のマネージャーを険のある目で見る。


「もちろん、払わせてもらいます!先生、どうか、光暉を治してやってください!」

マネージャーは、弥月の時とは、打って変わって、低姿勢に神津継次に頭を下げた。


神津継次は、携帯の画面を見て、頷き、

「入金を確認した。で、この肉体から切除するのは、どっちの魂だ?」

と訊く。


「どっちとは?」とマネージャー。


「取り憑いてる霊の魂を切除するのか?それとも、取り憑かれた人間の魂の方を切除するのか?」


「何を言ってるんです!そんなの霊の方を切除するに決まってるでしょ!」

マネージャーは、神津継次の言葉を聞き、いつもの調子で怒鳴る。


「俺は、本人に訊いてるんだが」

と神津は、菅原光暉を見つめた。

菅原光暉は、力強く頷き、神津に視線を合わせる。


「たいした自信だ。自分を信じてるんだな。まぁ、俺は、頼まれた仕事をやるだけだ」

神津は、そう言って、右手の人差し指と中指だけを立て、菅原光暉の方を向き、斜めに袈裟斬りするように、振った。

空を切っただけで、何にも触れていない。

それだけで、神津は、

「終わったぞ」

とマネージャーの方を向いて、言った。


これだけで、1600万!?


マネージャーは、騙されたと思い、神津を怒鳴りつけようとしたが、菅原光暉の表情を見て、固まる。


そこには、爽やかな美青年は、姿を消し、陰鬱な表情の男だけが、立っていた。


翌日、弥月心療内科の診察室に菅原光暉だけが、訪れていた。マネージャーの姿は、無い。

菅原光暉は、弥月天四郎に開口一番に言った。

「弥月先生、元に戻してください」と――。


弥月は、陰鬱な菅原の表情を見つめ、

「やはり、あなたが本当の菅原光暉さんでしたか」

と言った。

「幽霊の中には、生前の記憶を失っている者もいる。記憶を喪失した状態で、あなたにたまたま取り憑いた霊が、今まで、ずっと自分の事を菅原光暉だと思ってたんですね?いったい、いつからですか?あなたは、いつから、彼に菅原光暉をやらせていたんですか?」


「小学生低学年くらいからです。私は、暗い性格で当時、友だちもできず、彼は、とても明るい性格だったので、その頃から今までずっと利用していました」


「菅原光暉さん、あなたの意識は、ずっとあったんですね?憑依されてある間、ずっと」

言いながら、弥月天四郎は、カルテに何か書き込んだ。


「自分じゃない意識が、ずっと喋ってるのは、わかっていました。でも、彼は、私と違って、とても社交的で彼に任せておけば、人間関係が全て上手くいったので、私は、ずっと黙って、見ていたんです。彼の動かしたいように身体を動かし、彼に主導権を与えておけば、人生が全て好転していくので、私は、彼に自分の人生を任せることにしたんです。自分が主人公のよくできた映画を見てる気分でした」


「でも、彼に演技の才能は、なかった。カメレオン俳優と呼ばれていたのは、あなたの方ですね?」


「ええ、普段、ずっと彼の明るい性格に助けられていたので、彼の演技が上手くいかない時、カメラの前だけ、私が交代して、彼の代わりに演技をしていました。彼への恩返しのつもりで。でも、次第に世間からカメレオン俳優などと呼ばれ、私の演技の評価が高くなると、大作を任されるようになり、私の演技力のキャパオーバーになってしまったので、私は、演技するのを辞めたのです。これでも、自分なりに頑張って来ました。月9に大河に朝ドラ。でも、頑張れば、頑張るほど、ハードルは、上がっていき、任される仕事は、大きくなっていくばかりで、終わりがありません。私がカメラの前で演技を辞め、彼が俳優を辞めれば、また、全てが上手く回りだすはずだったんです」


「でも、彼は、俳優以外の人生を拒否した。元のカメレオン俳優に戻ろうとした。心霊外科医に頼ってまで。そして、結果的に肉体にあなただけが残ってしまった。誤算でしたか?」


「まさか、本当に彼を私の肉体から、剥がせる人がいるとは思わなくて……、先生、どうか、元に戻してください。これからの人生を一人きりで生きていくなんて、私には、無理です」


「それは、できない相談ですね」


「どうして、ですか?先生は、彼が幽霊だと気づいていた。それでも、薬も渡さず、何の治療もしなかったのは、彼が私の肉体に残るのが、先生も正解だと思ったからじゃないんですか?」


「あの時は、そうです。でも、今は、違います。彼は、今まであなたの方が幽霊で、自分は、肉体を奪われ、乗っ取られたんだと、思っていました。でも、今、あなたの話を聞いて、自分の方が幽霊で今まで、ずっとあなたに利用されていたんだと、気づきました。あなたを呪い殺してやると言ってるのを、今、私の知り合いの幽霊のオリベ君が止めている状態です。仮に今、彼があなたの肉体に戻ったとしても、以前のようなあなたにとっての良好的な関係は、築けないでしょう」


「では、私は、これから、どうすればいいんですか?」

菅原光暉は、すがりつくように陰鬱な瞳を弥月天四郎に向けた。


「彼には、悪いですが、その肉体の主役は、本来、彼ではなく、あなたなんです。人生に代役なんて、いないんですよ」

弥月に言われて、菅原の瞳がぶるぶると揺れる。

「自分の人生を生きてください。私から言える事は、それだけです」


それから、弥月の言葉の処方箋が効いたのかは、わからないが、菅原光暉は、バラエティで時折、おどおどした表情を見せながらも、翌年度のアカデミー最優秀主演男優賞を受賞する。

しかし、それで終わったわけではない。菅原光暉の人生は、まだ始まったばかり。これからも続いていく菅原光暉の人生がどうなるかは、菅原光暉自身に懸かっているのである。

EPISODE2 END

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心霊内科医 弥月天四郎の処方箋 紙緋 紅紀 @efunonifu

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