第4話 往診

「しばらく、来なかったので、もう、完治したのかなと思ってましたが、その後、ご加減は、いかがですか?今日本朋花さん」

弥月心療内科の診察室で弥月天四郎は、いつものわざとかと思えるバカ丁寧な喋り方で私に接した。


「この一ヶ月ぐらい、先生のおかげで調子良かったんですが、また始まりました」


「ほう」と言って、弥月医師は、自らのスキンヘッドをぺたぺたと触る。


「また見えない男達にもてあそばれる夢を見るようになって、起きると顔写真が表紙の雑誌がお尻からズレてて……」


「自分で動かした、という事は、考えられませんか?」


「まさか、寝相で?私、そんな寝相の悪い方じゃありません」

と言いつつ、私は、自信がなかった。寝てる時の自分が何をしてるかなんて、見てもいないので、わからない。わかるはずもない。

でも、寝相だったら、どう対処しろというのか。ベッド全面に人の顔写真でも貼れというのか。


しかし、弥月医師が言ってるのは、そういう意味ではないらしく、

「少し、症例は、違いますが、毎晩、蛇に犯される夢を見ていた女性がいます。ある日、女性は、蛇に犯されてる途中で蛇を捕まえ、飛び起きました。すると、目覚めた彼女が掴んでいたのは、自分の左腕だったそうです」


「私が寝ている途中で自分で自分の意思とは関係なく、雑誌を動かした、という事ですか?どうして、そんな事が」


「憑依。幽霊が今日本朋花さん、あなたに憑依して動かした、という事でしょう。幽霊が念動力などで物を動かした、と考えるより、よほど現実的です。物を自由に動かせる幽霊なんて、めったにいませんからね」


「でも、幽霊は、先生の言ったとおりの方法で、私に触れられないはずじゃありませんか。触れられない相手にどうやって、憑依すると言うんですか?」

私は、弥月医師が私にデタラメな方法を教えたのではないか、と少し疑った。


「さて、問題は、そこです。今日本朋花さんの霊道化が上手く進んでないからだけなのかもしれませんが、そもそも人の身体を自分の意思通りに動かす憑依なんて、そんな簡単にできる事でもありませんからね。これは、往診して、今日本朋花さんの御住まいを見る必要がある症例かもしれません」


「先生が来るんですか?私の自宅に?私の自宅、東京ですよ?」

私は、弥月医師の自宅訪問に拒否感があった。

アイドルが会って数回のよく知らないおっさんを自宅に上げるなんて、いや、アイドルじゃなくても、良識ある女性なら、誰だって、拒否感は、あるはずだ。

でも、弥月医師が実は、ドルオタでアイドルの自宅に上がりたいだけで、言っているなんて事は、ないだろうし……、弥月医師の言われた通りにして、私は、一ヶ月間、平穏に過ごせたわけだし……


「問診だけでは、これ以上の治療にも限界があります。ひょっとしたら、今日本朋花さんが住んでる場所自体に問題があるのかもしれません」


「場所、ですか?」


「ええ、霊的な現象の起きる原因の7割は、場所です」


「残りの3割は?」


「人。その人自身です」

弥月医師は、まっすぐに私を見つめる。

「身に覚えは?」

と聞かれ、私は、少しの間、黙ってしまう。

やはり、弥月医師は、元から檸檬畑かぬれとしての私の事を知ってるんじゃないだろうか。

いや、そんな事より、今は、私を悩ます霊障を治してもらう事が最優先だ。

「わかりました。先生、私の自宅に来てください」



私は、その日に自宅の赤坂のマンションに弥月医師と共に帰った。

「東京でこの広さだと、やっぱり、家賃100万ぐらいするんですか?」

と弥月医師は、リビングを見回す。


「70万です」

と私は、正直に答えた。


弥月医師は、私に目を合わせず、スタンドグラスを見つめながら、

「実は、あなたに黙ってた事が」

と話を始める。

今さら、ドルオタでした。と仮に言われても、別に驚かないが。

「フェアじゃないと思いましたが、治療の為、必要だと思ったので、テレビやネットであなたの情報を収集しました。檸檬畑かぬれさん」

ほら、来た。

「あなた、心霊系YouTubeをやってますね。怪談師や自称霊能力者と一緒に廃墟やトンネルなどの心霊スポット巡りをしている」

私の知名度が爆上がりしたきっかけだ。心霊系YouTubeをやるまで、私は、カメラの前で自己表現できない地味子だった。それこそ、笑い話みたいだが、黒沼爽子みたいと今は、言われている黒髪ストレートのロングヘアも貞子みたいと言われていた。

それで、画的に面白いからという理由で、所属事務所に言われるまま、心霊系YouTubeを始めた。

そこで、私は、ハネた。今風に言うなら、バズった。

「YouTube内で何回も幽霊の事を低級霊とバカにしてますよね。低級霊、何かできるもんならやってみろりゃ、バーカ、うぇいうぇいうぇい。などと心霊スポットで言っているあなたを見たんですが、あなたで間違いないですか?今は、ディープフェイクというものがあるんで聞いてるんですが、念の為」


「私です」

私は、白状した。

当時、世間から地味子認定を受け、伸び悩んでいた私は、幽霊否定派だった事もあり、霊能力者だと言って飯食ってる連中を心霊系YouTubeで呼び出し、霊感詐欺師、イカサマ師と罵倒した。それが、ウケたので、今度は、心霊スポットで幽霊に罵詈雑言を浴びせるというのをコーナーでやり始めた。私は、地味子から怖い物知らずというキャラがつき、バラエティでも思い切った発言ができるようになった。

幽霊肯定派からひどいバッシングを浴び、あなたに呪いをかけましたなどの脅迫状が届いたりもしたが、私は、そういうものの力を信じてなかったので、ただ自分の知名度が上がっていく事に喜びを覚え、調子に乗り、そういう活動を続けていた。

そして、現在に至る。全国の名だたる霊媒師、お祓い屋、霊能力者は、全て、詐欺師だのイカサマ師などと暴言を浴びせていたので、当然、助けてくれず、助けてくれたとしても、今までバカにしていた連中に頭を下げるなんて、私のプライド的に無理だった。

私が、芸能活動の休止を発表した際、一番、多かったコメントが「無事、呪われて乙」などの誹謗中傷だった。

あんたらも楽しんでたじゃん、あんたらが今の私を作ったんじゃねぇか、なんで私だけ呪われなきゃいけねぇんだよ、呪われるなら、お前らも呪われろよ、とSNSで打とうとして、何度、やめたか。

誰が、お祓い屋なんかに行くもんか、誰が霊能力者に助けてくれなんて頼むもんか。

それじゃ私が負けたみたいじゃないか。

そんな私が最後にすがりついたのが、弥月心療内科、心霊内科医弥月天四郎だった。


「あれだけ罵倒して、バカにして、懲らしめてやろうという霊が一人もいないと思ってたんですか?」

弥月医師の言うことは、もっともだ。ごもっともだが、私から出た言葉は、


「だからって、レイプしていいわけねぇーだろ!犯罪だぞ!レイプされた側とレイプした側がいたら、レイプした側が悪いに決まってんだろ!」

だった。私は、正直、性格が悪いのかもしれない。でも、絶対、私が正しい!!私は、間違ってない!!


「ええ、法律うんぬんは、幽霊には、関係ありませんが、倫理的には、そうです。だから、普通は、こういう事が起こる前に守護霊や先祖の霊が守ってくれるのですが、……最後にお墓参りに行ったのは、いつですか?」


「小学生ぐらい」


「お墓参りなんて、面倒くさいし、行っても意味がない、大概の霊障に合う人がそう思っています。でも、昔の人がやる事には、ちゃんと意味があるんです」

説教かよ。とは、さすがに言えない。

この人は、私を助けてくれる最後の人かもしれないのだ。

「あと、もう一つ、あなたに謝らなければ、いけません。実は、今日、往診に来る必要など本当は、無かったのです」

え?

何を言いだすのだろう、この医者は。

「前に私には、少し、霊感があると言いましたが、私には、聴力の霊感があり、霊の言っている事が聞こえます。私に喋りかけてくれる友人の霊が何人かいて、その中にアイドル好きのオリベ君という男子高校生がいます。そのオリベ君にあなたの生活を監視してもらいました。だから、ここに来る前から、あなたの霊障の原因が何か私には、わかってたのです」


「何?あなた、私の生活を覗いてたの?」

私は、顔がぽっぽっと熱くなり、きっと赤面している。


「私ではなく、オリベ君が覗いていたのですが、私が指示したので、私も同罪です。で、本題ですが、あなた、犬とヤッていますね?」

と弥月医師は、私の隣のベロを出し、はぁはぁ言ってるゴールデンレトリバーのポン太を指差す。


「はっ、はぁ!?あんた、何、言って」

私は、どう言い返したら、いいかわからない。

こんなに恥ずかしい事は、ない。

ポン太は、弥月医師の前でペロペロとスカートから出た私の太ももを舐める。

「やめてよ!」

私は、ついポン太に手を上げてしまう。

ポン太は、寂しそうにクゥンと鳴き、ぺたんとフローリングに寝そべるように、座る。


「心配なさらず、私は、医者です。守秘義務があるので、患者の事は、口外しません」

弥月医師は、いつもと同じ冷静そうな声音だ。

そこに性的興奮、いやらしさの響きは、ない。

「その犬とあなたがヤッてるのを見て、普段からあなたを快く思ってなかった霊達が、興奮して、霊障を起こしたのではありません。その犬が霊達を煽り、扇動せんどうし、あなたを犯させたのです」


「ポン太が?犬が幽霊に命令できるわけないでしょ」

隣のポン太を見てみるが、いつもと一緒。舌を出して、はぁはぁ言ってるだけだ。くりりとした目がかわいい。

「そのポン太くんは、元々、この部屋を縄張りにする地縛霊の40歳代の男性です。ポン太くんがこの部屋に始めてきた瞬間にポン太くんに取り憑き、それ以来、ずっとポン太くんに憑依したまま、この部屋で過ごしているので、すでにポン太くんの肉体から出られなくなってます。雑誌をあなたのお尻の下から、引き抜き、動かしていたのは、ポン太くん、に憑依したおっさんです。そのおっさんは、手下の男達の霊があなたを弄ぶのを見て、楽しみ、自分は、犬の身体で何も知らないあなたと交わっていたのです」


私は、恐る恐る視線を下に向ける。

「ポン太……」

ポン太は、クゥンクゥンと鳴きながら、私の太ももに頬ずりしている。

「まさか、ポン太が!そんなわけない!」

私は、弥月医師に怒鳴りつける寸前までヒートアップした。が、……

「もういいから、こいつら、帰らせて、早く一発ヤらせろよ」

という聞き馴染みのないおっさんの声が、私の足元から、ポン太の方から聞こえてくる。

「ポン……太?」


「聞こえたでしょう。今、オリベ君に頼んで、私の耳だけを幽体離脱させ、あなたの耳とくっつけ、あなたも幽霊の声が聞こえる状態にしてもらったのです」


「マジでか?このヤリマン女、俺の声、聞こえてやがんのか?」

ポン太は、くりりとした瞳で見つめ、首をおかしいなぁとでも言うように傾ける。それが、とても人間っぽくて、急激に気持ち悪くなりだした。

私は、震えながら、一步二歩とポン太から後ずさる。

ぺたぺたとそれを追うポン太。

「ヤダ!来ないで!」

手で近づくのを抑えようとする私にポン太は、喉を鳴らし、牙を剥く。


「やらせろ!最後に一発、やらせろや!ねぇちゃん!また、気持ち良くしてやるからよぉ!」

ポン太に似合わないドスの効いた声にたじろぐ私。目には、すでに涙の粒が集まり、決壊しそうだ。


「あなたを犯してた男達の霊を扇動していたのは、そのポン太です。ポン太さえ、始末すれば、男達の霊もおとなしくなります」


「始末って、私にどうしろと?」

私は、涙目で弥月医師に訊いた。


「すでに、保健所の手続きは、済ませてあります。その犬が誰かを噛んだことにしてあるので、いつでも殺処分できます」


「ポン太に取り憑いてるおっさんだけ、殺すことは、できないの?」


「無理ですね。魂が完全に融合してるんで、少なくとも、私の専門ではありません」

弥月医師は、やけにはっきりと断言する。

まるで、こういう事は、今まで何度もやってきたように――。


「でも、ポン太を殺しても、ポン太に取り憑いてるおっさんは、幽霊でしょ?幽霊は、死なないから、ポン太、殺され損じゃん。それにおっさんの霊が、また復讐に来るんじゃ」


「それは、ありません。幽霊は、二度死ぬと消滅して、無になります」


「本当に?」

断言続きの弥月医師に私は、眉唾を感じる。

霊感を少ししか持っていないという彼に、どうして、そこまでの事が確信を持って言えるのか?

私がそう思ってると、ポン太は、牙を引っ込め、ペロペロと私の足を舐めだす。

「ねぇちゃん、保健所だけは、後生だ。勘弁してくれい。また気持ち良くして、やっからよぉ。」

と気持ちの悪いことを言いながら――。


「今日本朋花さん。幽霊が何故、そもそも霊障を起こして、人間を苦しめるのか、わかりますか?彼ら彼女ら幽霊は、自分が呪い殺した人間を奴隷にして、操ることができるのです。あなたを襲っていた男の幽霊達も元は、このポン太に取り憑いた男の霊に呪い殺された人間です。彼らは、ポン太に取り憑いた男の命令に逆らえず、従ってただけ。意思もなく、記憶もなくね。悪霊が人を呪い殺すのは、殺した相手を奴隷にできるだけじゃなく、殺した相手の霊力を自分のものにできるからです。霊力が増えると呪える人間の数や場所を増やすができ、他にも色々とできる事がある。だから、霊力が高く、悪目立ちしていたあなたが狙われたのです」


「だから、私、霊感なんて、本当に無いんだって!!」


「前にも言いましたが、霊感が無い人は、霊障を受けません。退化薬の効果が薄かったのも、あなたの霊力がそれだけ強力だったからです。どれだけ、あなたが否定しようが、幽霊があなたを奴隷にしようとしてる時点でそれがあなたに霊力がある証拠です」

弥月医師は、再び、私の目をまっすぐに見つめる。

「少なくとも、この犬より、先にあなたが死ぬ事があってはならない」


「奴隷になるから?」


「ええ。それにあなたには、死んだら、悲しむファンがいっぱいいるでしょ」

ポン太が私の様子をくりくりとした目でお伺いを立てているのは、視界の端に映っていたが、私は、まるで弥月天四郎の瞳に吸い込まれるように彼から目が離せなくなった。

「犬を犠牲にするのか。自分を犠牲にするのか。これからの人生の選択は、私ではなく、あなたがする事ですよ。今日本朋花さん、いや、檸檬畑かぬれさん」


私は……。

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