7章 あふれる気持ち

その27 放課後なんて、待ちきれない

 原先生からプリントを押しつけられて、王子先輩の家を訪れた翌日。

 学校に到着するなり、奇妙な噂が流れていた。


「王子先輩、風邪は治ったみたいだけど、なんか様子がおかしいんだって」

「えっ! 今度は何があったの?」

「今朝、女の子に挨拶をされても、ひたすら素っ気なかったんだってよ! 想像できないよねぇ」

「ウソウソ、あの王子先輩が!? 一言も話したことのない私たちの挨拶にすら、優しく応じてくれていたのに!?」


 先輩が、女の子に対して、笑わなくなった……?

 それは、たしかに事件だ。


「おはよー、佳奈。今日も寒いねぇ」


 もしかして、まだ風邪を引きずっていて、本調子じゃないんじゃ……。というか、後輩である私たちのクラスにまで、すでに先輩が昨日風邪だったことが当たり前のように共有されているのがさすがだ。


「かーなー? 聞・こ・え・て・る?」

「うわっ!? ご、ごめん。るり」

「ボーっとしてたけど、どうかした?」

「いや……なんでも、ないよ」

「あっ、嘘ついてる」

「えっ」

「なんでもない、って顔じゃない。あたしの目は誤魔化せないよ」


 じーっと大きな瞳にのぞきこまれて、バツが悪くなる。


「ごめん、嘘ついた。ちょっとだけ、みんなの話していた噂が気になって」

「噂? あっ、王子先輩の?」


 観念して、うなずくと。


「ここのところ、佳奈の様子なんかヘンだなぁとは思っていたけど……やっぱり、先輩に関係があったりする?」


 耳打ちをしてきたるりは、しょんぼりと眉尻を下げた。

 少し前までの私なら、強がって、「関係ない」と言いきれていたと思う。

 だけど、今の私は、そんな嘘すらつけない。

 すっかり、弱くなっちゃったな。

 口をつぐんでうつむいたら、るりは今にも泣きそうな顔をしながら、私の両手を握りこんだ。


「ごめん、佳奈。あたし、冬休み前の佳奈の言葉を鵜呑みにしていたけど……もしかしたら、大変なことをしちゃったかもしれない」


 どきり、と心臓が高鳴った。

 一体どういうこと?


 まだ一時間目の授業が始まるまで時間があったので、人気のない空き教室に移動して、るりから話を聞くことになった。

 彼女がうなだれながら語ったところによれば、王子先輩に、もう私とは関わらないでほしいと言ったらしい。


「佳奈にその気がないなら、先輩と関わっても辛くなる一方なんじゃないかと思って……。だけど佳奈、あの日からなんかぼーっとしてるし、冬休みに会った時も食欲なかったし」


 もしも、その話が本当だとしたら。

 王子先輩が、私のことを何とも思っていなかったと宣言したのも、本心ではなかったんじゃ。

 雲間に一筋の光が射しこむように、今まで考えもしなかった可能性が見えてくる。


「……やっぱり、佳奈は、先輩のことが好きだった? そうだとしたら、あたし、最低だ」


 震えながら蒼白な顔をしている親友の手を、勇気づけるように取った。


「ううん。るりは、私に良かれと思ったことをしてくれただけでしょ。そんなに自分を責めるような顔をしないで」

「でもっ」

「それにね、私も悪いの。強がりで、先輩に特別な感情はなかったって、るりに言っちゃったから」


 るりが、小さく息を呑む。


「教えてくれて、ありがとう。それに助けようとしてくれたことも。私ね……自分のせいで、先輩の評価を下げちゃうことが怖かったんだ。だけどね、いざ先輩は私のことを何とも思っていなかったんだって知ったら、想像以上に傷ついた。思っていたよりもずっと、この気持ちは大きいものだったんだって気がついたの」


 先輩が、みんなからどう思われるかとか。

 本来なら気にするべきことに、頭をひねる余裕もないぐらい。


「私は……王子先輩のことが、好き。先輩に、恋をしている」


 言葉にしてみたら、今まで重しをのせられているみたいだった胸が、すっと軽くなった。

 緊張が解けて、口元がほころんでいく。

 一度認めてしまえば、抵抗していたことが嘘だったみたいに、前々から心の中にあった感情に思えた。

 先輩のことが好き。

 飾ることのない、ありのままの気持ち。

 ぽかんと口を開いていたるりも、私につられるようにして目元を和らげた。


「佳奈から、そんな台詞を聞ける日がくるなんて」

「ちょっと、るり。なんで、涙ぐんでるの」

「だってっ……。嬉しくて」


 この後、るりから散々あれこれと聞き出されていたら、授業に遅れてしまった。でも、一時間目は物理で原先生の授業なので『遅れても、まぁいっか』と思っていた節もあり、半分ぐらい確信犯であったことは二人だけのひみつだ。


 噂のことも気になるし、もう一度、ちゃんと王子先輩に向き合いたい。

 たとえ、彼が、この想いを受けいれられなくても、ちゃんと伝えたいと思った。

 今度は、寝ている時にこそこそとではなく、面と向かって。

 傷つくこと以上に、この初めての恋がなかったことになってしまう方がよほど悲しいと思ったから。

 王子先輩に、会いたい。

 一度はっきりと自覚してしまえば、想いはふくらむ一方で。

 放課後なんて、待ちきれない。

 今すぐに、会いにいきたい!


「るり。私、二年生の教室に行ってくるね!」


 目を丸くしたるりが、親指を立てながらにっこりと笑う。


「りょーかいっ! いってらっしゃい」

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