その26 わかってしまった
赤いレンガ作りの洒落たマンションのエントランスで、百面相をしながら立ちつくす。
結局、先輩の家の前まで来てしまった。
ここまで訪ねてきて今更だけど、このまま突撃して良いものか。冷静に考えると、これって、かなりストーカーっぽいんじゃ……。
なんで学年が違うのに風邪で学校を休んだことを知っているのかとか、あまつさえ家の住所まで手に入れているのかとか……考えれば考えるほど、気持ち悪いと思われるんじゃないかという恐怖で足が地面に縫いつけられたようになる。
だけど、今日このプリントを渡さずに、後々先輩が困ることになったらそれはそれで責任を感じるし。
なによりも、風邪の時に一人きりでいるのって辛いんだ。
健康な時にはなんでもない全ての行動がとっても大変で、しんどくて、寝る以外にどうすることもできなくて。純粋に、心配でもある。
思考地獄におちいり悶々としていたその時、マンション内の住人がエントランスに降りてきて――
「あ、れ……?」
――巡りつづけていた思考回路が停止した。
自動ドアの向こう側から、マスクを身につけたスウェット姿ですらカリスマオーラを隠しきれていない人物……もとい王子先輩が、おぼつかない足取りで現れたからだ。
「なんで……羽鳥、さんがここに……?」
心の準備をする前に当の本人に見つかってしまったことで、それまで考えていたことの全てが吹き飛んだ。
「それは後ほど説明させていただきます! それよりも、こんなにフラフラなのにどうして出歩いてるんですか!?」
「え……。家に、食べれそーなものがなんもなかったからだけど」
「買い物なら、私が行きます。顔まで、赤くなってるじゃないですか……。家で大人しく寝ていないとダメですよ!」
勢いに任せて、早口でまくしたてたら。
先輩は、小さな子供みたいにぱちぱちと瞳をまたたかせて、へらりと嬉しそうに笑ったんだ。
「うん……。ふふっ。ありがと」
っ。
違う違う。病人にときめている場合じゃないから!
先輩に手を貸しながら、マンション内へUターン。
身体も熱くなっている気がする。これは、相当しんどかったんじゃ。
やっぱり、来てよかったな。
さっきまでいろいろと考えこんで立ち止まっちゃったけれど、実際に弱っている先輩を前にしたら、普通に心配でしかない。
「ここが僕の家だよ。いらっしゃい」
「ええと……おじゃま、します」
やや緊張しながら足を踏み入れた先輩のお家は、綺麗に片づけられていた。入ってすぐのリビングには、深緑色のラグが敷かれている。その上にローテーブルとソファが設置されていた。
「僕の部屋は、こっち」
彼は、リビングから繋がっている一つの部屋に、私を招きいれた。
ここが、王子先輩の部屋。
ごくりと唾をのみこんで、恐る恐る、足を踏み入れる。
まず目についたのは、黒を基調とした勉強机。その上に、教科書と資料集がびっしりと立てかけられていたから驚いた。この量だと、全ての教科を持ち帰っているんじゃないだろうか。今は、テスト期間でもないのに。そういえば、勉強は得意な方だと言っていたっけ。あまり物が置かれていないシンプルな部屋だけに、黒い楽器のケースらしきものが壁にたてかけられているのが目についた。
それにしても、見習いたいぐらいに整理整頓が行き届いている。
「あー……。やっぱり、だるい」
先輩はといえば、よろよろとした足取りで、そのままベッドの上にぽすりと倒れこんでしまった。
「先輩。なにか食べますか?」
「んー。やっぱり、まだ要らないや」
うとうとと、目をつむりかけている。
やってきたはいいものの、見守ることぐらいしかできないのが歯痒いところだ。先輩のお家で、あんまり勝手に動き回るわけにもいかないし。
「熱い……」
熱冷ましに、氷まくらでも用意してあげたら良いのかな。
あとは、目覚めた時に、さっと口にできる食べ物があったら嬉しいよね。
いったん買い出しにいってこよう。
思いたって立ち上がったら、ベッドの方から伸びてきた手に腕を掴まれた。
「まっ、て……。どこ、いくの?」
「ちょっと買い物に行ってこようかと」
「嫌だよ……。だって、やっと、やっと会えたのに……」
とろんとした瞳で、すがるように見つめられて。
「僕を、置いて行かないで」
潤んだ瞳で、請われてしまえば、もうダメだ。
あっという間に、心臓が早鐘をうちはじめる。
「……こ、子供みたいなことを言わないでくださいよ」
「子供で、いーよ。羽鳥さんが、一緒にいてくれるなら」
離さない、というように掴んでくる手に弱々しく力がこもる。
先輩は、やっぱり、ずるい人だ。
好きでも特別でもない、ただの後輩に対して、こんな期待するような言葉をいってしまえるなんて。
喉の奥が、熱を帯びる。
嫌だな。
大した意味はないとわかっていながら、先輩の、一挙一動に振り回されてしまう。
自分の心なのに、こんなにも、ままならないなんて。
先輩は、ぴたりと動きを止めた私の心のうちがこんなにも揺らされていることなど知る由もなく、すやすやと眠りに落ちていた。
「……先輩、ごめんなさい。迷惑だとわかっているんですけど、私、やっぱりあなたのことが好きみたいです」
とどめてはおけなかった想いが、唇からこぼれ出る。
眠った先輩から、返事はかえってこない。
「あなたのせいで、恋が、わかってしまいました。こんなに苦しいものなら、一生、わからないままでよかったです」
ここに来て、欠けた最後の一ピースは、先輩だったのだと確信してしまった。
だけど、もう、これでおしまいにしよう。
明日からは、この胸の痛みにも、気がつかなかったフリをする。
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