その25 一ピースだけが見つからない

 光陰矢の如しというけれど、冬休みが明けるのもあっという間だった。年始をはさむから親戚との顔を合わせもあるし、そもそも休み自体が短いもんね。


 学校に行く。

 ただそれだけのことに、ここまで緊張している理由は一つしかない。

 もしかしたら、王子先輩の姿を見かけるかもしれないからだ。

 ずいぶんと長い間、彼と会っていないような気がした。

 同じ学校に通っているのだし、先輩はとにかく目立つ人だから、遠くから目にする機会はあると思うけれど。

 もう、一緒に他愛のない話をしたり、笑い合ったりすることはないんだろうな。


『うん。あんなに生き生きとしている羽鳥さんを見るのは、初めてだったし。君が楽しんでくれたことがいちばん嬉しかった』


 ふと思い出してしまうたびに、どうやってすんなりと呼吸をしていたのかを忘れる。

 先輩の言葉は、全てがでたらめで、一つたりとも本心はなかったのかな。

 そんな軽い言葉に、私の心は、揺らされていたのかな。


 休み明けの学校では、休み前と打って変わり、ほとんどの生徒が私への興味を失っていた。

 王子先輩自身が、私のことはなんとも思っていないと明言したことが、大きな影響を及ぼしたようだ。

 知らない人に後ろ指をさされることもなく、陰口を叩かれることもない。

 静かで、平和だ。

 放課後になったら、生物室に行って、生き物たちと戯れる。

 裏口から、ひょっこりと王子先輩が現れるようなこともない。


 全てが、彼と出逢う前に戻ったんだ。

 これこそが、私の求めていた平穏。

 そのはずなのに……どこか満たされないような気がしてしまうのは、どうしてなんだろう。まるで、最後の一ピースだけが見つからないジグゾーパズルみたいに。


「あけましておめでとさん、羽鳥。また一人なのか? なんか、俺が来る時に限って、お前いつも一人だな」

「原先生、あけましておめでとうございます。ちなみに、るりはバイトですよ」

「別に、坂本がいてもいなくても、どっちでもいーけどな」


 先生は頭の裏をかきながら、部屋の真ん中の椅子にどかりと腰かけた。


「にしても、羽鳥。新年早々、なんか辛気くせえ顔してねえか?」

「気のせいじゃないですか? 私の不愛想は、今に始まったことではないです」

「まー、それはそうなんだけどよ。生物と戯れてんのに、浮かねー顔してる羽鳥は初めて見た」

「そんな、ことは」


 ムキになって唇を尖らせたら、先生は私の手にしていた餌の瓶を指さしながら、なんともなしに言ってのけた。


「おい。それ、あげる餌、間違ってねーか? ヤモリにメダカの餌を与えたら、さすがにヤバいんじゃねーの?」

「えっ!?」


 嘘!? 指摘されるまで、まったく気がついてなかった! 危うく、ヤモさんにヘンな物を食べさせるところだったよ……。

 自分のあまりの不注意さに落ち込んでいたら、先生は、食い入るようにじいっと見つめてきた。


「おかしい、やっぱりおかしいよ。お前ともあろうものが、飼育している生物の餌を間違えて危うく死に至らしめるかもしれなかったなんて、不自然でしかない」

「うっ」

「なーんか隠し事してねえか? ほれ、先生に話してみ」

「先生に話す義理はないです」

「おいおい、かわいくねーな」


 先輩への想いは、このまま、誰にも言わずに隠し通すつもりだった。

 この胸の中にとじこめて、このまま、存在もしなかったことにしようって。

 だけど……。


「……ただ、人生で、初めての失恋を経験しただけです。よくある話でしょう」


 ずっと一人きりで抱えるにしては、重たくなりすぎていたようだ。

 気がつけば、ぽつりぽつりと、今までの成り行きを話していた。

 もちろん、人名は伏せて、誰のことだかはわからないように。

 原先生に打ち明けられたのは、普段それほど関わりがないからこそなのだと思う。深くはない繋がりだからこそ、聞かせられる話もあるものだ。


「ふうん。失恋、ねぇ」


 すべてを聞き終えた先生は、腕を組みながら、なにか考えこむように天井を見上げた。


「立ち入ったことを聞くようで悪いけど……それって告白をして振られたのか?」

「いいえ。他人の口から、私に対してそういう感情はなかったと聞いたんです」

「んーー……なるほどねぇ。なぁ、羽鳥」

「はい」

「話は変わるが、お前、うちのクラスの王子慧ってわかるか?」

「えっっ!?」


 やばい。驚きすぎてヘンな声が出た。

 こめかみの辺りから、だらだらと汗が流れ出る。

 なんで? あれだけ細心の注意を払いながら話をしたのに、どうして先生は相手が先輩だってわかったの。 

 わからない。焦りすぎて、動悸までしてくる。


「あ、ああー……。王子先輩。有名、ですよねぇ」


 先生は、ニタリと口元をゆがめた。

 あああ、白々しい演技に見えてしまったかな。


「ええと……なぜ、いま、王子先輩の話が出てくるんですか? 私は、失恋の話をしていたんですけど」

「悪い悪い。いや、急に思い出しちゃったんだけど、アイツ、実は今日学校を休んでるんだよ」


 ウソ、そうだったんだ!


 目を見開いたら、原先生は、ぺらぺらと事情を話しはじめた。


「どーやら、風邪をひいたらしくてさ。アイツの両親は共働きらしいし、今頃、看病する人もいなくて一人でうなってるんだろうな。かわいそうに」


 わざとらしい物言いに、ますます警戒心が高まっていく。

 先生は、どういうつもりなんだろう。


「……なぜ、その話を私に?」

「実は、アイツに今日の内に渡さなきゃいけないプリントがあるんだけど、クラスの奴らに頼み忘れたんだよなー。というか、前にも、王子が学校を休んだことがあったんだけど、その時にプリントを届ける人間を募ろうとしたら女子の乱闘騒ぎになったことがあってだなぁ……。かといって、男子は男子でアイツの異様なモテぶりに嫉妬してるのがほとんどでツレねーんだよ」


 ……なんというか、王子先輩は、つくづく大変な人生を送っていそうだ。


「そこで、羽鳥の出番なわけ!」

「はあ!? 嫌ですよ、どうしてそうなるんですか!」


 なにが悲しくて、失恋したばかりの相手の家に、のこのことプリントを届けに行けと? 冗談じゃない!


「だって、考えれば考えるほど適任だし。落ち着いてる、騒がない、風邪で弱ってるアイツを前にしても襲わない。うん、完璧だ」

「お、襲わないって……」


 先輩は男の人なのだから、むしろ襲う側では……?

 いや。そういう問題じゃなくて、どんどん話の方向がおかしくなってるんですけど!?


「お前も知っての通り、王子は絶世のイケメンだぞ~~~。あれだけのイケメンの顔を近くで見たら、失恋の傷もすぐに癒えそうだ」

「はああ!? なに適当なこと言ってるんですか、行かないですって!」

「頑固だなぁ。大体、体調不良で苦しんでるいたいけな高校生を放置していて良いのか?」


 そう言われると、心が揺らぐ。

 私の両親も、共働きだから。風邪をひいた時に一人きりでいる心細さも、誰かが看病に駆けつけてきてくれた時の心底ホッとするあの気持ちも、手に取るようにわかるのだ。


「で、でも……。それなら、先生が行ってくれば良いじゃないですか。大体、今どき、教師が生徒の家の住所を勝手に他の生徒に教えて良いものなんですか? ダメですよね? それって教師失格ですよね!?」

「くくっ。ははっ!」

「なっ、なにがおかしいんですか!?」


 原先生はなぜだかお腹を抱えながら、爆笑していて。


「いや? いつもクールなお前が、こんなに必死になってるところ初めて見たなぁと思って」


 しまった、すっかり先生の策略にのせられてる……!


「まー、お前の言う通り、ホントは俺の仕事だよな。でも、俺が届けに行くのもめんどいし、羽鳥は失恋の傷をイケメンで癒せてウィンウィンじゃん。っつーわけで、よろしく頼んだぞ!」


 かくして。

 まんまと原先生のペースにのせられた私は、届けるべきプリントと王子先輩の家の住所を押しつけられてしまったのだ。

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