6章 わかってしまった

その24 一生、知りたくもなかったな

 今日は、冬休み前、最後の登校日だ。

 昨日は結局、るりに生物室に避難させられた後、教室には戻らなかった。

 人生で初めて、学校を仮病で休んだ。

 あのまま教室に戻っても、また嫌な思いをしただろうし、いたしかたなかったけれど。

 私の両親は共働きだから、そのまま家に帰ったところで、心配されずにすんだことだけは幸いだった。


 気分的には、今日も休んでこのまま冬休みを迎えたいぐらいだったけれど、愛しの生きものたちへの餌やりの使命感に駆られ、気合だけで登校してきた。


「あの地味子、やっぱり王子に遊ばれてたらしーよ」

「なーんだぁ。ま、そんなことだろうとは思ってたけどぉ」


 各方面から、自分と王子先輩の噂話が耳に飛びこんでくるところまでは、昨日と変わらない。

 だけど、その内容はといえば、打って変わっていた。


 遊ばれていた……?

 思わず、下駄箱の前で足を止め、ひそひそ話に聞き入ってしまう。


「クリスマスイブデートにあの子を誘ったのは、気まぐれだってさ。別に深い意味はなかったって」

「にしても、あんな見るからに純情そうな子をもてあそぶなんて、王子も酷なことするよねぇ。本気になっちゃったら、かわいそーじゃん」

「まー、王子くんは前々から、誰かを特別にする気はないって公言してるしね~。ってか、一回遊んでもらえただけでも、バリ羨ましいんだけど」


 やっぱり。

 先輩は、私のことをなんとも思っていなかったんだ。

 わかりきっていたはずなのに、想像以上に動揺している自分がいた。

 なんて、自分勝手なんだろう。

 彼は、私と特別な仲なのだと広まるほど困るのだから、これで良かったはずなのに。平静ではいられないほどショックを受けているなんて。

 胸が、痛い。

 私にも心があったことをこんな形で知るなんて、皮肉なものだ。こんなに辛いのなら、本当に、心なんてなければ良かったのに。

 こんなに苦しい気持ち、一生、知りたくもなかった。


 最後の登校日に、王子先輩が生物室に顔を出すことはなかった。

 メガネくんとるりが、先輩のことには触れず、いつも通りくだらない会話をしてくれたことだけが救いだった。


 ✳︎


「あけましておめでとう、佳奈! 今年もよろしくね」

「あけましておめでとう、るり。今年もよろしく」


 早いもので、もう年が明けてしまった。

 冬休みに入ってからは、ろくなことをしていない。

 休みの間も、生き物たちの餌やりがあるから学校には行っていたけれど、それ以外での外出は今日が初めてだ。


「初詣だ~! なにをお願いしようかなぁ」


 るんるんと鼻唄を歌っている親友を見ていたら、沈んでいた気持ちが少しだけ和らいだ。やっぱり、出かけてみて良かったな。外の空気を吸いこむのって、大事だ。


「先生と両想いになれますように、とか?」

「それだけは願わない!」

「どうして?」

「だって、自力でどうにかしたいもん。神頼みでどうにかなっても、うれしくないし」


 ピンクの手袋をぐっと握りこむるりは、今年もひたむきに恋をするようだ。


「さすがだね」

「まっ、言うだけなら、簡単なんだけどねぇ。あー、なにかの間違いで真ちゃん振り向いてくれないかなぁ」

「間違いじゃ困るでしょ」


 いつも通りのやりとりをしながら、やってきた神社に足を踏み入れる。家族連れにカップルと沢山の人たちで賑わっていた。


「あっ、みてみて! じゃがバターも気になるけど、焼きソバも良いなぁ」


 参道には数々の屋台が並んでいて、食欲をそそる良い匂いが流れてくる。


「佳奈は、どれが気になる~?」


 例年通りなら、瞳を輝かせて、なにを食べようか懸命に悩むところなのだけど……。


「んー、私はパス。なんでも好きなの買ってきなよ」


 今年は、あんまり気乗りがしないな。


「ウソでしょ!? 佳奈に食欲がないなんて、そんなの異常事態だよ……! もしかして体調が悪かったりする?」

「大袈裟だよ。今朝、お雑煮をたくさん食べたから、まだお腹いっぱいなだけ」

「なんだ〜、そういうことかぁ。ま、元気なら良いけど」


 実は、食べ過ぎたわけでもないけれど、そういうことにしておこう。

 正直なことを言えば、冬休みに入ってからというものの、いまいち食欲がわかない。そうかといって、まったく食物が喉を通らないというほどではないから問題ではないはず。

 新年早々るりを心配させたくはないし、あえて言わないでおこう。

 二人でお参りをした後に、焚き木で暖をとりながら、屋台で購入した甘酒を呑んだ。


「はあぁ。あたしって、このまま一生、真ちゃんに片想いしてるのかなぁ……。あたし、たとえ真ちゃんがあたし以外の女の人と結婚してたとしても、あきらめきれる自信がないよ!」

「ついさっきまで自信満々だったのに、なに言ってんの」


 あきれて振り向けば、るりの頬は朱く上気していた。

 瞳も、心なしかとろんとしているような……。

 これって、もしや。


「ううっ……佳奈にとってはどうでも良いことかもだけど、あたしにとっては人生がかかってるんだよ!?」


 ……やっぱり、酔っぱらってる!


 目を凝らして甘酒を購入した屋台に注目したら、張り紙に微量のアルコールが含まれているという注意書きがしてあった。なるほど、まったく気がつかなかったな。


「真ちゃんってさあ、八つも年上なのに、ぜんっぜん大人っぽくないの。あたしが小学生で、真ちゃんが中学生だったころなんて、いっつもくだらない言い合いしてた。ほんっとひねくれてるし、口悪いし、いつも素っ気なくてちゃんとかまってくれないのにさぁ……たまーに、すっごくやさしいんだよ。あたしがお化け屋敷であんまりに怖くて足がすくんじゃった時も、『黙って、つながれとけ』って手つないでくれてた。今でも鮮明に覚えてるの」

「そっか。原先生は、不器用な人なのかな」

「わっかんない。あたし、真ちゃんが何考えてんのか、さっぱりわかんないよ」


 るりは、酔うと情緒不安定になるタイプだったらしい。

 これは大人になって、飲みにいくことになった暁には大変そうだ……。


「先生がなにを考えているかは、先生にしかわからないよ」

「うっわ、ど正論! ちぇっ。佳奈ってば……自分が、恋愛事に関心がないからってさぁ」


 恋愛事に、関心がない。

 本当にその通りでいられたら、こんなに苦しい想いをせずにすんだのかな。王子先輩のことなんて知らなかったあの頃のわたしに戻れたら良いのに。

 もたげてきた暗い考えを振りはらうように、話題を変える。


「それはそうと、これから福袋を見に行くんじゃなかったの?」

「あーっ、そうだったぁー! はやく並びにいかないと」


 るりが甘酒で酔っぱらうというプチ事件はあったものの、初詣からのお買い物はおおむね楽しかった。

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