その22 身体の芯から凍りついていく

「わぁ、すっかり日が暮れてるや」


 建物に入った頃は日も高かったのに、街が暮れなずんでいたから驚いた。


「私たち、ずいぶんと長い間、珍妙な生き物展にいたんですね」

「うん、館内のどこにどんな生き物がいたかをぜんぶ思い出せるぐらいには堪能しきったね」

「うっ。なんか、ごめんなさい」

「どうして羽鳥さんが謝るの?」

「思い返すと、私があまりにもはしゃいでいるから、合わせてくれただけなんじゃないかと思ってきて」


 生き物たちを眺めまわしていた時は、夢中だったけれど。

 だんだん、申し訳ないような気持ちがふくらんでくる。

 私は楽しかったけれど、先輩はつまらなかったんじゃ……。

 うつむきかけたら、くすくすとした笑い声が隣から漏れてきた。


「そんなことないよ。すごく、楽しかった」

「本当に?」

「うん。あんなに生き生きとしている羽鳥さんを見るのは、初めてだったし。君が楽しんでくれたことが、なにより嬉しかった」


 真っ直ぐな言葉と、太陽のように眩しい笑み。

 胸が苦しいぐらいにいっぱいになってしまって、言葉も返せない。

 自分でも、もてあましてしまうようなこんな気持ち、知らないよ。


「そろそろ、帰ろうか。暗くなってきたし、明日も学校だから」

「あっ。……はい」


 本当に、あっという間だったな。

 ここに来る前は、正直、不安な気持ちもあった。

 だけど、過ごした時間は、夢のように楽しくて。

 王子先輩が、私と珍妙な生き物展に一緒に行きたいと思ってくれたことに、あらためて心から感謝したかった。

 隣を歩く彼は、館内を歩いていた時より落ち着きを取り戻しているものの、変わらず穏やかな表情を浮かべている。無言だけど、話さなくちゃいけないという焦りもない。

 夕陽の橙に染められた先輩の横顔は、ただ美しい。

 ひたすらに、やさしい時間。

 昼間に待ち合わせをした駅が見えてきた時、胸に揺らぎが生まれた。

 もうすぐ、この時間が終わってしまう。


「うそ! もしかして、王子くん!?」


 !?

 突如響いた、どこかで聞き覚えのあるその声に、体が硬直する。

 顔をあげれば、目の前に、意志の強そうな瞳を丸くした美人が立っていた。

 首周りにあったかそうなファーのついたモカ色のコート。黒いセーターにチェックのタータンスカートというフェミニンなかっこうを完璧に着こなしている彼女は、他でもない。

 学校内で、いつも王子先輩のそばにいる、あの人。

 白石先輩だ!


「どこかに出かけていたの? あれ? 隣にいるその子は……」


 彼女の注意が、王子先輩の半歩後ろに立っていた私の方に向けられて。その瞳に明確な憎しみの炎が宿った瞬間、全身にぞわりと鳥肌が立った。

 どうしよう。


「王子くん。まさかとは思うけど――」


 ――その子と、出かけていたわけではないよね? たまたま会っただけなんでしょう?


 言われるより前に、その言葉の先を予想できてしまった。

 身体の芯から凍りついていく。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。

 真っ先に頭によぎったのは、明日、どんな恐ろしい噂が学校に流れるのかということだ。


「っ、その通りです。ただ、たまたま、そこで会っただけです!」


 二人がなにか言葉を発する前に、地面を蹴り、全速力で逃げ出した。

 自分のことは、この際、どうでも良かった。

 私が悪く言われる分にはかまわない。

 でも、王子先輩に、みじめな思いをしてほしくはなかった。

 だって彼は、あきれるほどやさしい人だから。

 みんなに愛されて然るべき素敵な人だって、痛いほど知ってしまったから。

 言われなくても、わかるんだ。

 先輩は、私なんかの隣を歩くべき人じゃないってこと。


 ✳︎


「ねえ。王子とクリスマスイブにデートしてた疑惑の羽鳥さんって、どの子?」

「もしかしてぇ、あの子だったりする? やば、空気のような存在感のなさなんですけど」

「いやいや。遊んでそうなのに、特定の誰かと噂になったことだけはなかった王子の初の疑惑相手があれって……ありえないっしょ。なにかの間違いなんじゃないの」

「でも、羽鳥って苗字の子は他にいないんだよね」


 あああ……。

 やっぱり、めちゃめちゃ噂になってる!

 登校するなり、今日は各方面からやけに視線を感じた。

 昨日、ばっちりと白石先輩に目撃されてしまったから、ある程度覚悟していたとはいえ……いざこうなると胃が痛い。


 うつむきながら下駄箱を開けたら、手に、ぬるりとした感触。

 蛙?

 なぜか、大きめのアマガエルが、私の下駄箱の中に鎮座していた。

 なんで、こんなところに?

 迷いこんだにしては、さすがに不自然だよね。


「ふふっ。固まってる、固まってる」

「あんな地味な成りで、みんなの王子に目をかけてもらおうだなんて、図々しいにもほどがあるよねぇ」


 どこからともなく聞こえてきたひそひそ話で、やっと状況を理解する。

 あー、なるほど。

 この蛙くんは私への嫌がらせの一環で仕込まれたというわけね。


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ここまでお読みいただき、ありがとうございます(*´▽`*) 

不穏な流れになってしまいましたが、果たして佳奈と王子の恋の行方は……?

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