その20 振り回されるな

 待ち合わせ場所は、目的の展示がやっている水族館の最寄り駅の改札前。


 今日の私の服装は、モスグリーンのタートルネックニットに、ふんわりと広がる黒いプリーツのスカート。

 その上にダッフルコートをはおり、白いスニーカーを身につけてきた。

 たくさんは持っていない私服の中から選んだ、お気に入りの一着だ。

 出かける前、お母さんに『あら? もしかして、彼氏とデート!?』と騒がれたのは恥ずかしかったけれど……。

 そういう関係でないとはいえ、先輩の隣を歩くんだもの。

 地味なりに、それなりの格好をしていきたかったんだ。


 寒さでかじかんだ手を吐息であたためながら、待ち合わせ場所のホームに降りたつ。雑踏にまぎれて駅の階段を降りながら、自然と鼓動が高鳴った。

 ドラマで見たそわそわとする感覚って、こういう感じなのかなぁ。


 もうすぐ、先輩に会える。

 顔を合わせるのは、ものすごく久しぶりな気がした。

 離れていたのは、たった一週間なのに。

 こんな気持ちになるなんて、ヘンなの。


「ねえねえ! 改札前に立ってるあの人、めっっちゃイケメンじゃない?」

「ホントだ、やばい格好良い! うわあぁ、芸能人とかかな」


 まさか……!

 目の前を歩いていた女性たちの色めきだった声に、顔をあげれば。

 改札を通り抜けた先の大きな柱の前に、彼は立っていた。


 今日の王子先輩は、ショート丈でグレーのダッフルコートに、スキニーのジーンズ姿。なんてことのないシンプルな装いが、彼のスタイルの良さを引き立てていて、道行く人々の注目をこれでもかというほどさらっている。


 少し離れたこの場所からも、その輝かしい姿は飛びこむようにして目に入ってきた。


 うわぁ、どうしよう。

 とんでもなく、かっこいいんだけど!

 いや、王子先輩がきらきらしていることなんて、前々から分かってはいたけれど……。初めて見る私服姿が想像の十倍もかっこよかったから、つい呆けてしまった。


「やっぱり、彼女と待ち合わせとかかなぁ」

「あれだけ格好良くて、クリスマスイブに独り身ってのは考えづらいしねぇ。あんな人の彼女なんて、いったいどんな美人?」


 先輩は、黒いマフラーに半分ほど顔をうずめるようにして、携帯をもてあそんでいる。顔の抜けるような白さがきわだっていた。

 改札を通り抜けるのも忘れて見入っていたら、彼は周囲を見渡して、ため息を吐いた。


 いけない。

 先輩があまりにも人目を引いているから、怖気づいてしまったけれど。

 彼の待ちあわせ相手は、あくまでも私なのだ。


「先輩! お待たせしました」


 小走りで向かってきた私の姿を認めると、先輩は無邪気に笑った。


「羽鳥さん! 良かった、ちゃんと来てくれて」

「失礼な。私は約束を破るような人間ではないですよ」

「考えてみれば、それもそうか」


 先輩は今にも鼻唄を歌いだしそうなぐらい上機嫌。

 私はといえば、先ほどから周囲の視線が刺さるようで痛い。さしづめ、『えっ。あんな地味な子が待ち合わせ相手なの?』とでも思われているのだろう。


「羽鳥さんの顔を見るの、久しぶりな気がするな。不思議だね。一週間ぐらいしか経っていないのに」

「あぁ、分かる気がします。私も同じことを思っていました」

「うそ! ほんとに!?」

「えっ? そ、そんなに、驚くことです?」

「うん。そっかぁ、羽鳥さんもそう思ってくれていたんだね」

「いや。やっぱり、気のせいだったかも」

「ええっ! 羽鳥さんのいけず!」

「いけずって言葉、日常生活で使う人がいるんですね。ほら。無駄口をたたいていないで、はやく行きますよ」


 最近、先輩と一緒にいると恥ずかしさが勝ってしまって、なぜだか素直に言葉が出てこない。

 照れを隠すように、早く目的地に向かおうと足を踏み出したら。

 さっそく、急いでいた通りがかりの人にぶつかりそうになった。


「危ないよ、羽鳥さん」


 とっさに先輩から腕を引き寄せられて、なんとかセーフ。


「あ……。えと、ありがとうございます」

「ふふっ」

「な、なにがおかしいんですかっ」

「ううん。羽鳥さんってしっかりしてそうに見えるけど、意外に抜けてるところもあるよね。かわいいなぁと思って」


 っ。

 振り回されすぎるな。王子先輩にとっては、『かわいい』なんて挨拶みたいなものなんだろうし。動揺するな、羽鳥佳奈。


「手、つないだままでいいよね?」

「え?」

「ダメって言われても、離さないけど。また、誰かにぶつかりそうになられても困るから」


 握られた手に力がこもった時、どうしようもなく、胸が締めつけられた。

 同時に、誰からも愛される先輩にとっては、こういう言葉や行動にも特別な意味なんてないのだと思ったら、息苦しくもなった。

 こんなの、知らない。

 他人に簡単にペースを乱されるなんて、私じゃない。


「それにしても、先輩はすごいですね。さきほどから、ただ歩いているだけなのに、ものすごく視線を感じます。いつも、こんな感じなんですか?」


 今こうして目的の場所に向かっている間にも、彼は道行く人々の視線をさらっている。私まで巻き添えにしながら。

 高校内だけではなく、どこにいても、常にこんな感じなのだろう。目立たずひそやかに暮らしてきた私には、到底、信じられない世界だ。


「あー……僕は、もう慣れてることもあって、あまり気にしないようにしているんだけどね。ごめん、やっぱり気になる?」

「先輩。また、謝ってますよ」

「あっ」

「何度も言わせないでくださいよ」

「うん。ごめん、じゃなかったね」

「そうです。先輩のことだから、目立たずにはいられないことなんて想定の範囲内ですよ」

「え、その想定はなんかやだなぁ」

「わがままを言わないでください。ほら、目的地に着きましたよ!」

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