その16 どうして、こんなにも
返事を求めているわけじゃない。
ただ、こぼさずには、いられなかったんだ。
コップから水があふれ出るように。
「昔から、情に薄いというか、淡泊だった自覚はあるんです。周りの子たちがはしゃいだり騒いだりしているのを、理解できないという気持ちでぼんやりと眺めてた。その程度なら、まだ個性のうちだと言えたのかもしれないですけど……私は、春におばあちゃんが亡くなった時でさえ、泣けませんでした。あんなにかわいがってもらっていて、私自身も、大好きだと思っていたのに」
心の奥底に、鍵をかけてしまいこんだ苦々しい記憶だ。
今まで、誰にも話せなかった。
話したところで、共感してもらえるわけがないと思っていたから。
「……かめきちのことも、本当の家族のように思っていたの。かめきちは、おばあちゃんに大切に、育てられてきたから……私も、それに負けないぐらい、ちゃんと大切にしたいと思っていた」
先輩だって、こんな話を聞かされても困るだけだとわかっているのに。
止められない。
まるで、壊れた蛇口みたいに、言葉が出てきてしまう。
「でも……また、泣けなかった。私なりに、大事にしてきたつもりだったけど……全部、気のせいだったのかな。私の心は、壊れているから」
「羽鳥さん」
彼が、私の肩に手を置く。
私が自分を傷つける言葉を、さえぎるように。
「ごめんね。嫌だったら、僕のことをつきはなして」
次の瞬間、私は彼の腕の中に閉じこめられていた。
陽だまりを吸いこんだような、安心する香り。
「話してくれて、ありがとう。そっか。君は、ずっと苦しんでいたんだね」
回された腕は固くて、しなやかで、あたたかくて。
ただ身を任せたくなるような、心地の良さしかなかった。
顔をあげられないままうずくまっていたら、引き寄せる力が、より強くなった気がした。
「でもさ、泣けないことはそんなに悪いことなのかな。そうやって、自分を責めなきゃいけないほど?」
喉の奥が、ひゅっと細まる。
悲しいのに泣けないのは、心がどこか壊れているから。
私が、みんなと違っているからだとばかり思っていた。
「泣いている人が、全員、本気で悲しんでいるわけではないよ。さして悲しいわけでもないのに泣ける人もいれば、嬉しくて泣く人もいる。僕自身が、笑いたくもないのに愛想笑いを浮かべてばかりだから、よくわかるんだけど……外から見ているだけでは、その人の本当の心なんて、わかるはずもないんだ」
先輩が普段浮かべている、作り物のような笑顔が脳裏に浮かんでくる。
「悲しい時は泣くべきだ、という決まりなんてどこにもない。悲しみ方も、喜び方も、人それぞれなんだと思う。顔や性格がみんな違っているのと同じように、感性だって違う形をしていて当たり前。全員が同じように悲しんでいたら、逆に怖いでしょ?」
感性も、違う形をしていて、当たり前。
「羽鳥さんには誰よりも真っ直ぐな心が備わっていると、僕は思うよ」
先輩の大きな手が、ふわりと頭の上に載せられる。
小さな子供を、あやすみたいに。
「君は、わからないのが当たり前のはずなのに、それでも親友の気持ちに寄り添おうと一生懸命だった。それに、おばあちゃんのことでも、かめきちのことでも、こんなに苦しむほど胸を痛めているじゃない。僕には、君が悲しんでいるようにしか見えない」
とくん、と。
それまで時が止まっているようだった心が、ゆるやかに波打ちはじめる。
その言葉は、不思議なぐらい、すとんと身体の真ん中に落ちてきた。
「他人からどう見えるかは、関係ないんだと思うよ。君自身が感じていることが全てで真実なんだ」
恐る恐る、それまで上げられずにいた顔を持ちあげると。
「やっと、僕の方を見てくれたね」
王子先輩は宝石のような瞳を細めながら、口元をゆるめた。
「……っ」
――なんだろう。
眩しすぎて、直視できない。
「ん? まだなにか不安なことがある……?」
見当違いなことを言って首を傾げている先輩が、きらきらとして見える。
いや。
先輩が見目麗しいことなんて誰の目から見ても明らかで、私だって『だから、なに?』とずっと思っていたのに……。
どうして、こんなに心がそわそわするの?
こんなに近い距離にいることがとてつもなく恥ずかしいことに思えてきて、胸がぎゅううっと締めつけられたようになる。
「羽鳥さん?」
固まる私を不審に思ったのか、先輩の整った顔が近づいてきて。
先輩の額と、私の額が、こつんと一瞬だけぶつかった。
ひゃ、ひゃあ……っ!
麗しすぎるお顔が、ほぼゼロ距離の位置に!
「大丈夫? まだなにかあるのなら、なんでも聞くよ。僕で良ければだけれど」
吐息が交わりそうなほどの、顔の近さ。
見つめていたら吸いこまれそうなほど、きれいな瞳。
こんなに近づいているのにすこしも美しさを損なわない先輩の全てが、心臓を狂おしいほど締めつける。
彼はただ、かめきちを喪った私を心配してくれているだけだ。
でも……、先輩は、すこし仲が良くなった女の子が落ちこんでいたら、その全員にこんなにも優しくするの?
そう考えた途端、今まで味わったことのないような鈍い痛みが、胸に走った。
「あ、あの。……も、もう、私は大丈夫ですっ! その……、ありがとうございました」
さりげなく距離を取るように顔を離したら、彼はまだ私を気遣うような瞳をしていた。
「本当に? 無理をしてはいない?」
ダメだ。
王子先輩に見られていると思うと、息が浅くなって、無性にドキドキとする。
彼は生きる芸術といっても過言ではないほどにきれいだ。本当に近くで見ても、その感想は変わらない。
でも、逆に、至近距離で見る自分の顔はどうだっただろう?
今更すぎるけど、あんなにも近い距離で素朴な顔を見られてしまったことが、とてつもなく恥ずかしい。
さっきから、私の思考回路、ものすごくヘンだ。
まるで、自分が、自分でなくなってしまったみたいに。
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