その12 そんな風に想う相手がいるんですか?

 どんなに考えたところで、私に恋する親友の気持ちはわかりそうにない。

 わからないのなら、いっそのこと知っていそうな人に尋ねてみよう。

 幸いにも、今の私には、恋愛の第一人者といえそうな人物とつながりがある。


「王子先輩。恋とは、どういうものなんでしょうか?」

「ぶふっっ」

「いきなり噴き出さないでくださいよ。かめきちがビックリするじゃないですか」

「いや……。今のは、羽鳥さんが悪くない?」


 王子先輩は、なぜか不満そうな顔つきをした。

 結局、今日のるりは始終上の空だったな。

 お昼休みに、大好きな購買の肉まんをおごってあげても『味がしない……』とめそめそしていたし。恋がうまくいかないと、食べ物の味もわからなくなるのか。三大欲求の一つである食欲すら失うなんて大変だなぁ。みんながそんな一大事を経験しているとは、どうにも信じられない。


『ごめん! 辛気臭いオーラを振りまいちゃいそうだから、今日は、部活休むね』


 挙句の果てには、生物部にも顔を出さずに帰っちゃうし……。

 るりは、言ってしまえば不真面目な部員だけど、今まで休んだことはなかった。きっと原先生の噂の一件が、よほどショックだったんだ。


「どうして、いきなり恋がどうのと言いはじめたの?」


 聴いていると落ち着く声で尋ねられたら、ありのままの気持ちがするりと口から出てきた。


「……私には、恋がわからないんです」

「へえ」

「みんなが自然にわかるはずのことが、私にはわからない。だから、どうして親友があれほど落ちこんでいるのかもよくわからないんです……。だけど、わからないなりに、少しでも知りたい」


 なまぬるい沈黙が流れた後。

 頭上にやさしい温もりが降ってきた。


 ――あれ?

 それが、先輩の手のひらだと気がついて、驚きに目をみはる。


「あっ……えと、ごめん。つい、その」


 視線が交差して、先輩は慌てたように、手を引っ込めた。


 えっ?

 いまの、なに!?

 先輩にとっては、たかがスキンシップ。

 女子の頭を撫でるなんて、挨拶みたいなものなのかもしれない。

 だけど、私にとっては、完全に未知の世界で。

 動揺から口をぱくぱくとさせることしかできずにいたら、先輩は目元を和らげた。


「他人の気持ちなんて、わからなくて当然だと思うよ」


 当然?


「それでも、一生懸命に寄り添おうとしている。羽鳥さんは、やさしい子だね」


 息を、呑んだ。

 彼が浮かべていた笑顔が、あまりにも輝いて見えたから。

 今更のように『さっき、あの大きな手で頭を撫でられたんだ』と鮮明に理解して、頬がじわりと熱くなる。


「……っ。べ、べつに、お世辞を聞きたかったわけじゃないです。私は、純粋に、恋とはどういうものなのか聞きたかっただけで!」


 急激に襲ってきた恥ずかしさを隠すべく、早口でまくしたてたら。

 彼は、そうだなぁと顎に手をあてて、思いのほか真剣に考えはじめた。

 やがて、これだというようにうなずいて、唇をほころばせたんだ。


「たぶんだけど。恋は、きっと、もっとこの人のことを知りたい、近づきたいって願う気持ちなんじゃないかな。この人の特別になりたいって焦がれるような、抗いようのない気持ち」


 胸が、どきりと高鳴る。

 そう口にした彼が、とびきりやさしい顔をしていたから。

 てっきり、先輩のことだから『やっぱりチャラいなぁ』と白けてしまうような回答が返ってくるかもと思っていたのに。


「先輩にも、そんな風に想う相手がいるんですか?」


 彼は悪戯っ子のように笑って、長細い指を唇に当てた。


「さあね。それはひみつ」


 望めばなんでも手に入りそうなこの人に、そんな切実な思いを抱かせる人がいるなんて信じられないな。相手は一体、どんな魔性の美人さんなのだろう。


「やあ、遅れてすまんね。思っていた以上に、日直の仕事に手こずってしまったよ」


 あっぶな!

 ついさっきまで、本気でメガネくんの存在を忘れかけたことを、心の中で平謝りしたのは内緒だ。



 その日以降も、るりはしばらく部活に顔を出さなかった。

 さすがに学校は休んでいないけれど、かなり無理をしていそうだと傍から見ていて思う。

 今日なんて、生気を失って、いつも輝いている大きな目が落ちくぼんでいた。


「ねえ、かめきち。原先生の噂は本当なのかなぁ」


 かめきちは、私の問いかけそっちのけで、与えた人参に夢中だ。


「なにやってんだよ。亀に聞いたところで、わかるわけねーだろ」


 なんと、噂をすれば張本人が登場!

 白衣をなびかせながら訪れてきたその人を、この場所では久しぶりに見た。


「原先生。ここでは、お久しぶりですね。何しに来たんですか?」


 黒髪に、切れ長の瞳。

 身長もあり、黙っていれば普通にかっこいい彼こそ、我が生物部の顧問にして、るりが一途に想っている相手。

 原真司郎先生だ。


「教材準備に飽きたから、気分転換にな。今日は、羽鳥一人か?」

「そうですね。メガネくんは、今日は塾の見学だと言っていました」


 そういえば、王子先輩も見かけないな。

 まぁ用事でもあるんだろう。ここのところ生物部の生き物たちばかりにかまけていたし、そろそろ女の子たちと遊びにでも出かけたのかも。

 そうだったとしても、ベツに私には関係のない話だ。


「へえ。ちなみに、坂本は?」


 真ん中の空き椅子にどかりと腰かけながら、先生はさりげなく尋ねてきた。


「るりのこと、気になるんですか?」

「……別に? アイツも生物部の部員だから、いちおう聞いてみただけだよ」


 口ではそう言っているけれど、その割に、片眉がぴくりと上がったような。

 本当にどうでも良いと思ってるのかな。それにしては、ちょっとムキになっているような気がする。


 甲羅の中に身体をひっこめて小さく丸まっているかめきちを眺めながら、ふと良い考えが浮かんだ。

 この際だから、本人に例の件の真相を尋ねてしまおう。


「そういえば、先生。最近、生徒の間で噂になっているみたいですよ」

「はぁ。噂だって?」

「先生が、数学科の早乙女先生と良い感じらしいって」

「あー……その話か」


 先生は長い脚を組みかえながら、後頭部をぽりぽりとかいた。


「つーか、羽鳥も噂話とかするんだな。なんか意外だわ」


 正確に言えば、その類の話はるりから聞くのがほとんどで、自分からはしない。でも、ここは濁しておくのが正解だろう。


「まあ、いちおう女子高生ですし」

「でも、羽鳥って、俗世とは遠い世界で生きてる仙人的な雰囲気あるじゃん? 達観してるよな、すでに人生二周ぐらいしてそうだし」

「それ、軽くけなしてませんか?」

「いやいや。つまりは大人っぽいってことだよ、喜びなさい」

「相変わらず、適当ですね」

「人生なんてかったるいもの、クソ真面目に生きてたら、すーぐ疲れちまうよ? 羽鳥もちょっとは肩抜いて、たまには不真面目なことしてみてもいいんじゃねえの」


 にししと笑う先生を見ながら、つくづく思う。

 この人、よく教員採用試験に受かったなぁって。

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