3章 恋とはどういうものですか?
その10 泣いていなかったのは
十一月も下旬になり、吹く風が冬の厳しさを帯び始めたこの頃。
文化祭と体育祭という二大行事を終えて、校内には日常が戻ってきた。私も、生物部員として生き物たちを愛でながら、平穏な日々を送っている。
身の回りで変わったことといえば、
「見てよ、ほら。かめきち、僕の顔を覚えてくれたみたい」
今や王子先輩が、すっかり生物室に馴染んでいるということだ。
いやあ、人生ってなにが起こるかわからない。
数か月前の私が聞いても、確実に信じないだろう。
よもや校内随一の有名人が、校内随一の弱小マイナー部に入り浸ることになるなんて……かめきちの愛らしさは、もはや罪なのでは?
「……すっかり、懐きましたね」
「ふふ」
「なにがおかしいんですか」
「羽鳥さん、不機嫌そう。もしかして、僕に嫉妬してる?」
「ウルサイですよ」
そう。
かめきちを筆頭に他の生き物たちも、私とメガネくん以上に先輩に懐いているような気がしてならない。この人には、人間だけでなく、あらゆる生物をたらしこむ才能があるのか? うーん、なんだか悔しいなぁ。
「先輩も熱心に活動されているのだし、そろそろ入部届を出して、本格的に生物部に所属したらどうだい?」
「あー……」
メガネくんの提案に、口ごもる王子先輩。
先日はあれだけ盛大にキレちらかしたメガネくんだけど、決して、王子先輩自身を嫌っているわけではない。なによりも生物室の平穏が大事というだけだ。その証拠に、今でも隙あらば先輩を入部させようとしている。
今のところは、『時間をズラして裏口から来てもらう作戦』がうまくいっているおかげで、平和に過ごせているけれど。彼が生物部に入部したという噂が漏れたら、話が違ってくるかもしれない。
先輩も、先日の女子生徒押しかけ騒ぎを思い出したのか、なんともいえない顔つきをしている。
「いまのところは、仮部員のままで良いかな。本格的に入部したからといって、何かが変わるわけでもないでしょ?」
「仰る通り、何も変わらないかと」
「そんなことはない! 先輩が入部してくれさえすれば、やる気のない坂本くんを退部させることができる!!」
「メガネ、いまだにそんなことを企んでたの?」
それまで熱心にスマホの画面をのぞきこんでいたるりが、やっと会話に加わってきた。彼女は、最初のうちこそ王子先輩に興味を示していたものの、すでにどうでも良くなったらしい。さすがは長年、真ちゃん一筋の女。
「キミは生物室に来ても、携帯をいじっているばかりじゃないか! 先輩を見習いたまえよ!」
「一人ぐらいやる気のない部員がいても、別に良いでしょー。先輩が入部したところで、人手不足は変わらないんだし」
「ぐぬぬぬ……ああっ! そんな長い爪をしていたら、まともに餌やりもできないじゃないか!」
「メガネが、あたしの分までたっぷりと餌やりをしてあげれば良いじゃない」
この短時間で、またケンカになってるし。ここまでくると、いっそのこと仲が良いんじゃないかと思う。口には出さないけど。
火花を散らしはじめた二人から離れて、かめきちに大根の葉っぱを与えていたら、王子先輩も私に並んで屈みはじめた。
「はい」
手に持っていた残りの葉っぱを手渡したら、先輩は「ん?」と首を傾げた。
「餌やりをしにきたんでしょう? 言われなくてもわかりますよ」
「あー、うん。それもあるけど、どちらかといえば羽鳥さんとお喋りしたいというのが本音かな」
息をするようにこういう言葉が出てくるあたり、やっぱりチャラいよなぁ。
「はぁ。何を話すんですか?」
「んー、そうだね」
彼は彼で、私の塩対応に慣れてしまっている。
「そういえば聞いていなかったけど、羽鳥さんは、どうして生き物好きになったの?」
思いがけない質問に、固まってしまった。
『佳奈ちゃん。これから、かめきちに日光浴をさせてあげようね。甲羅を大きく健康に成長させるのに、大事なことなのさ』
耳の奥から、おばあちゃんの声が蘇ってきて、首を絞めつけられたように息が浅くなる。
「羽鳥さん……?」
先輩も、さすがに様子がおかしいと思ったのだろう。怪訝そうにのぞきこまれて、とっさに顔をそむけてしまった。
「……別に。ただ、なんとなくですよ」
やっとのことで、そう返答するのが精一杯。
彼は、私をじっと見つめてきたけれど、それ以上尋ねようとすることはなかった。
*
『
『ちょっと前まで、あんなに元気そうだったのに』
私のおばあちゃんが亡くなったのは、高校に入学したばかりの頃。ちょうど、桜の花びらが夢のように舞っている時期だった。
喪服に身を包んで葬式の会場に足を運ぶと、たくさんの参列者がいて。その全員が、鼻をすすりながら、顔をゆがめて涙を流していた。
おばあちゃんは、明るくて、愛嬌があって、多くの人たちから慕われている素敵な人だったから。
『それにしても、千代さんのお孫さんの佳奈ちゃんだっけ? あの子は、なんだか……千代さんとは違ってクールな感じの子ね』
『たしか、両親が共働きだったんじゃなかったっけ?』
『あらぁ、そうなの? 二人がかまってやれなくて、愛情不足のまま育っちゃったのかしらね』
トイレに向かおうとしたら耳に飛びこんできた、遠い親戚の何気ない会話。
無表情のまま、あえて聞こえなかったフリをした。
そう言われても仕方がないと、自分でも思ってしまったからだ。
あの場で泣いていないのは、私だけだった。
誰もがおばあちゃんを偲んで泣き濡れていたのに、私だけが、涙の一滴すらも流していなかった。
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