間章その1 王子さまの知られざる苦悩
間章その1 王子さまの知られざる苦悩
「王子くん! あたし、教科書忘れちゃったんだけど、良かったら見せてもらえない?」
「あっ、抜け駆けズルーい! ってゆーか、教科書忘れたって、嘘じゃん! ホントは持ってきてるけど、王子くんに見せてほしいだけでしょ?」
「えへ、その通りー! そしたら、眠い授業も頑張れるかもぉ?」
隣の席の女子に近づいてこられた時、甘ったるい香水の匂いが鼻についたので、本人に気づかれないようにさりげなく距離を取った。
「あー……ごめんね? これ以上、先生に目をつけられたらさすがにマズいから、しばらくは真面目に授業を受けようと思ってるんだ」
「えー、ツレない~」
「ごめんってば」
「じゃあ、その代わりに今度の放課後遊んでくれる?」
「んー。考えとくよ」
適当に笑顔を取り繕ったら、彼女はうっとりとした顔をして引き下がった。
はぁ……やっとあきらめてくれた。
隣の席の女の子に教科書を見せるのは危険だと、これまでの経験から散々思い知らされている。
純粋な善意から、教科書を見せやすいように机と机をくっつけたが最後、彼女たちは何をしでかすかわからない。こっちは真面目に授業を受けたいのに、なにかとちょっかいを出される羽目になるのだ。
じいっと穴があきそうなほど見つめられたり、つんつんと小突かれたりするのはまだかわいいほう。太ももの上にそっと手を載せられた時には、さすがに悲鳴を上げそうになった……。
あれって、よく考えなくてもセクハラだったよなぁ。
ちなみに、先生から目をつけられたというのも、それが原因。
強面の数学教師から『授業中にイチャつくな』と、僕の方がキレられた。それはむしろ僕の台詞だったけれど、真実を話して女の子を糾弾するのも気が退けて、ぐっと堪えた。理不尽だ。
『王子くん……あたしのせいで、ごめんね?』
女の子の涙って、ズルい。
そんな顔をされたら、強く言えないじゃないか。
「あれ!? 王子くん、どこ行った?」
「さっきまで、教室にいたよね?」
「おっかしいなぁ……一緒に帰りたかったのに」
疲れて一人になりたい時は、男子トイレの個室で、息をひそめるほかない。
「ひゃははっ。王子、まーた、女子たちからかくれんぼしてんの?」
「あーあ。俺も人生で一回ぐらいは、困るほどモテてみてえなぁ」
そのせいで、男子からは笑われるわ、嫉妬されるわで散々だ。
他人事だと思って、適当なことを言いやがって。
代われるものなら、代わってくれよ。
自分で言うのもなんだが、僕、
女の子たち曰く、甘いマスクで整った顔立ちなのだとか。
なにも考えずに過ごしていた中学時代は、思い出すだけでも眩暈がしてくるほどガチ告白の嵐だった。断って泣かれるたびに、自分が悪者になったかのような罪悪感にかられた。思い出すだけでも、息苦しい毎日。
その苦々しい失敗を踏まえて、高校に入ってからは、軽薄そうな軟派キャラにおさまろうと決意した。
作戦が功を奏し、断りづらい空気の本気告白は減ったものの、今度は『遊びでもかまわない』というチャラい女子が群がってくるようになった。
本気ではない分だけ、無下にはしやすくなったけれど。疲れることに、変わりはない。
いっそのこと、笑いたくもないのに愛想を振りまくのをやめてしまえば、この状況は変わるのだと思う。だけど、どうにもあの『傷つけられた』というような顔が苦手で、強硬な態度が取れない。
この目立つ容貌に感謝していることといえば、『王子』だとかいうふざけた苗字でも、ネタにされず受け入れられていることぐらいだ。
それ以外で良いことなんて、一つもない。
数十分ほどトイレにこもってから教室に戻ると、誰もいなくなっていた。
「はぁ……」
ようやく、一人になれた。
安堵からため息が出てくる。
スクールバッグにあらゆる教材を詰めこむと、パンパンに膨れ上がった。
本当は、僕だってみんなと同じように家で使わない教材はここに置いていきたい。だけど、そういうわけにもいかないのだ。
「おー、王子か。今日もすごい騒がれようだったなぁ、お疲れさん」
顔をあげれば、担任の原先生が教室に顔をのぞかせていた。
黒い髪に切れ長の瞳、白衣をなびかせている先生は、今年で二十四歳になる新米教師だ。
気だるげでゆるい空気感が、一部の女子には人気らしい。
「お前、なんで、そんなに荷物がパンパンなわけ? 帰宅部のくせに」
「教材は、全部持って帰るようにしているんです」
「はあ? もしかして、資料集とかも全部? お前ってそんなに勉強熱心だったっけ。放課後は、かわいい女の子とちゃらちゃら遊んでんじゃねーの?」
「失礼極まりないですね」
この人、なんで教師になれたのかな。
仮にそう思っていたとしても、普通、口には出さないでしょ。
「遊んでいるかどうかはともかくとして。ぜんぶ持って帰らないと、面倒なことになるんですよ」
「面倒?」
「盗まれたりするんです」
僕にとって、いつの間にか私物がなくなっているのは、割と日常茶飯事。
純粋だった昔は、あまりにも物を失くす自分のうっかりさにたびたび落ちこんでいたけれど、最近では、単に盗られているだけだとわかってきた。
「うわー……。お前、平然とすげーこと言うな。犯罪に遭ってるじゃん」
「まあ、あまり普通でないとは思います」
「訴えねーの?」
「もし、今まで以上の被害に遭ったら考えますが、過ぎたことはもう考えないようにしているので。逆恨みされても怖いですし」
訴えたら訴えたで、自分の罪を潔く認める人は少ない。
『たまたま拾っただけ』だとか、『これから職員室に届け出るところだった』とか、あらゆる言い訳をはじめるのが人間だ。そうなると、なぜか被害に遭ったこっちの方が悪者みたいになる。
原先生は黙りこんで僕を見つめた後、唐突に述べた。
「俺、クソガキだった頃は、お前みたいなイケメンに対して滅びろとしか思ってなかったな」
「はぁ、そうですか」
「けどさ、イケメンすぎるっつーのも大変なんだな」
初めて、言われた。
今まで『そんだけ顔が良ければ、人生ベリーイージーモードだろう』としか言われてこなかったから、呆気にとられた。
癪だけど、すこしだけ嬉しい。
「……先生もまぁまぁイケメンだと思いますけどね」
「うっせえわ。お前に言われると、嫌みにしか聞こえねえよ」
本当に思ったから言っただけなのに。やっぱり、理不尽だ。
「っつーかさ、ちゃんとした彼女でも作れば解決するんじゃねーの? 王子がチャラチャラしてるから、女子も夢を見るんだろ」
彼女か……。
考えたこともなかった。こんな調子で、まともに女の子を好きになれるのかも怪しいし。
首をかしげていたら、ふと、僕のことよりも脱走した亀に夢中だった彼女の姿が頭をよぎった。
黒髪セミロングで、校則を遵守したスカート丈の真面目そうな一年生。
あんな風に、女の子から興味の欠片もなさそうな態度を取られたのは、人生で初めてだった。
「……名前すら、教えてもらえなかったな」
「お? もしかして、すでに気になる子でもいたりすんの?」
これを、気になるというのかはわからない。
だけど。
逃げ出されると追いかけたくなるのが、人間の心理というものらしい。
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