その7 現代の光源氏かよ
おかしい。
「わぁ。亀ってカボチャも食べるんだね」
「ちょっと王子先輩。うちのかめきちに勝手に餌をあげないでくれませんかね」
「ごめんごめん。この子が物欲しそうな顔をしていたから、ついね」
なにが、おかしいかって?
なんで当たり前のように、王子先輩が生物部に来ているのかってことだよ!
「最初は、地味でせまーいこの部室に王子先輩を滞在させること自体がなんだか申し訳なかったけど、いつの間にかちょっと馴染んできてますよね」
王子先輩は先週の『また来るね』という言葉通り、放課後になると頻繁に生物室を訪れるようになっていた。
「えっと、坂本さんの中での僕のイメージって、どんなだったの?」
「うーん。とにかくゴージャスな人?」
「ねえ、雑すぎない? ひどいなぁ」
王子先輩は、とびきりかっこいいけれど、話してみると意外なほど気さくだった。一見、近寄りがたささえ感じるほど美しい顔をしているのに威圧感がないのは、ひとえに先輩のやわらかい空気感のおかげなのだろう。
そう。
王子先輩には、驚くほど、女子が惚れそうな要素しかない。
チャラい性格については残念なんだけど、先輩の場合、『特別は作らない』という歯の浮きそうな台詞ですら『王子くんになら遊ばれていてもかまわない!』と言い出す女子を大量生産してしまうのだとか。現代の光源氏かよ。
「じゃあ、羽鳥さんの中での、いまのところの僕の印象は?」
「名乗った覚えはないのですが、いつの間に私の名前を?」
「メガネくんがそう呼んでいたから。それとも、坂本さんみたいに、佳奈と呼んでも良かった?」
「断固として拒否します」
「そんなに嫌そうな顔をしなくても良いじゃん……。傷つくよ?」
「はいはい。悲しそうな顔をするのがうまいですね」
「本当に悲しんでいるんだけどな」
「それはそうと、折角なら、かめきちだけでなく他の子にも餌やりをしてみますか?」
王子先輩は、ぱちぱちと長い睫毛が音を立てそうな瞬きをした。
「良いの?」
「何を今更。先輩は、そのためにわざわざここまで来ているんじゃないんですか?」
あれ、きょとんとされてしまった。
なにかおかしいことを言ったかな。
もしかして先輩はあくまでも亀愛好家で、他の子には興味がないとか?
「ぜひ。他の子の餌やりについても教えてくれる?」
彼は、にこりと笑った。
大勢の女の子たちに囲まれていた時に浮かべていたあの完璧な笑みではなく、もっと素朴な笑み。華やかさには、欠けるのかもしれない。
だけど、こっちの方がだんぜん良いな。
「自然ですね。いつも、そうやって笑っていた方が良いと思います」
「えっ?」
「……私が言えたことではなかったですね」
万年、能面顔の私に言われても、大きなお世話だったよね。
*
王子先輩が生物部に訪れるようになってから、一週間近くが経過した頃に、異変は起こった。
放課後。
今週は掃除当番なのでいつもより遅れて生物室を訪れようとしたら、普段は人通りすらない部室の前に大量の女子が群がっていたのだ。
……なんだこりゃ。
私の足音に、一人の女子生徒が勢いよく振り返った。
「あなたは、もしかして生物部の部員の方?」
ストレートの長い黒髪が印象的な、すこしキツめの顔立ちの美人さんだ。緑のラインの上履きを履いているということは、二年生の先輩か。
「そうですが。なにか生物部にご用ですか?」
「ええ。生物部に興味があって来たのだけれど、見学をしても良いかしら?」
「ここにいる皆さん全員ですか?」
ざっと見た限り、十人はいるんだけど……。
狭い生物室にこんなに人が入ったら、ぎゅうぎゅうづめだ。
「そうよ。なにか言いたげな顔をしているけれど、ダメだと言いたいの?」
ばっちりとアイラインを引いた、意志の強そうな瞳が吊り上がる。
ハッキリとした物言いをする人だ。気の弱い子だったら、簡単に怖気づいてしまいそう。
私は基本的に平和主義なので、無駄な諍いは起こしたくはない。
だけど、愛する生き物たちを思えば、今は引けなかった。
「ダメとは言わないですが、部室があまり広くはないもので。どうしてもというのなら、順番制にしていただきたいのですが」
「えー、めんどいよー。そうはいっても、入れなくはないんでしょ?」
「もしかしてぇー、この子、あたし達に難癖をつけて王子くんを独り占めしたいだけだったりして」
「いやいや、さすがにそれは身のほど知らずでしょ。王子くんがこんな地味子を相手にするわけがないって」
あぁ。なるほど、ようやく理解した。
この人たちの目的は、あくまでも王子先輩なんだ。
黒髪ストレートの美人先輩が、ずいずいと詰め寄ってくる。
「この際だからハッキリ言わせてもらうけれど、王子くんが生物部に興味を持っていることはすでに周知の事実なのよ。ねえ、今日も来ているんでしょう?」
圧が、すごい。
「まぁ、来ているんじゃないですかね」
半ば投げやりに返答すると、話題の張本人が生物室からひょっこりと姿を現した。
「羽鳥さ……」
「王子くん!!」
「最近、放課後になるとすーぐいなくなっちゃうから、一体どこに行っているのかと思ってたけど、本当に生物室だったんだね!」
王子先輩は、目を丸くして「……あー、うん。最近、生物の魅力に目覚めちゃってさ」と、すぐにあの完璧な笑みを浮かべていた。
「え~、意外! でも、ギャップ萌えかもぉ」
「生物と戯れる王子くんも素敵―!」
黒髪ストレートの美人先輩は、みんなの中から躍り出ると、さりげなく王子先輩の腕にからみつく。
「ちょっ、
「ねえ、餌やりとかするんでしょう? わたしにもやり方を教えてくれない? 手取り足取り、て・い・ね・い・に!」
抵抗も虚しく、強引に生物室の中に連れもどされていく王子先輩。
「
「王子くんに彼女ができるのはさびしいけど、麗華が相手だったら仕方ないかって感じだよねぇ」
感心したようにうなずきながら、二人に続いて生物室の中に入りこむ女子一行。
おーい!
私、順番制にしようって言いましたよね!
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