2章 学園の王子さまは私の愛亀に夢中

その6 お前は罪な子だねぇ

 かめきちが脱走するというプチハプニングが起こった文化祭が幕を閉じてから早一週間。

 十月になった今では、校庭にそびえたつイチョウが黄金に色づいている。


「もう脱走したりしたらダメだよ?」


 プチトマトを分け与えながら、つぶらな瞳を見つめて、言い聞かせる。

 文化祭が終わってから数日後、かめきち用にもっと高さのある飼育ケースを購入しにいった。そのおかげで貯金は削れたけれど、満足はしている。これでもう脱走はできないだろう。


「狭いところに閉じこめてごめんよ。その分、天気が良い日はたくさん日光浴をさせてあげるからね」

「亀って、会話はできないよね?」

「私のかめきちはお利口さんだから、ちゃんと伝わっているよ。ねー?」

「……亀バカだ」

「なにかいった?」


 トントントン!

 るりといつも通りの会話をしていたら、ノック音が生物室にいきなり響きわたった。


「誰だろう? もしかして、せんせー!?」


 ぱあっと顔を輝かせて、扉をあけにいったるりの前に現れたのは――、


「こんにちは。いきなりお邪魔して申し訳ない。生物部はここかな?」


 ――王子先輩!?


 恐れ知らずなるりですら、彼の神々しいオーラにあてられて、カチコチに固まっている。

 それまで餌やりに励んでいたメガネくんは、興味を示したように立ち上がった。


「おや? 見ない顔だけれど、もしかして入部志望者かな?」


 さすがはメガネくん。

 王子先輩を相手に動じていないどころか、そもそも知らないとはね。まぁ、私も人のことをとやかく言える立場ではないけれど。


「あ、あの。なにか用でしょうか?」

「うん。実はね、今日は亀に会いにきたんだ」


 ……うわぁ。

 るりが、貼りつけたような笑顔で私に振り向く。

 その顔には『なにも説明されていないけれど、一体どういうこと?』と書いてあった。


「突然来ちゃったし、無理にとは言わないけど。入っても大丈夫かな?」

「も、もちろんです! 部員はこの三人のみで、見ての通り、暇を極めていたところですから!」


 るりってば、なに勝手に許可してるの!?


「ありがとう」


 王子先輩は口元をほころばせながら、真顔を貫く私の隣へとやってきた。


「一週間ぶりだね?」

「……そうでしたっけ」

「えっ。まさか、僕のことを忘れてる?」

「さすがに、そこまで記憶力悪くないですよ」


 思わずしかめそうになった顔を、なんとか取り繕う。

 ああ。なんで、またこの人と会話をしているんだろう。もうあれきり関わることはないと思っていたのに。

 私の気など知らずに、王子先輩はマイペースに話しかけてくる。


「それにしても、こんなに高さのあるケージから、どうやって脱走できたの?」

「これは新調したものなので。以前はもう少し背の低いものを使っていました」

「なるほどね」


 聞かれたことだけに、淡々と答えるスタイルを維持。

 だけど先輩は、私の失礼な態度を気にしている様子はない。


「亀って、どちらかというとのろまなイメージがあるじゃない? でも、実際は脱走とかしでかしちゃうぐらいパワフルなんだね。意外だなぁ」

「実は素早いんですよ。うちのかめきちはリクガメなので、これでものんびりとしている方ですけど、ミズガメはもっと機敏です」

「そうなんだ」


 ケージをのぞきこみながら、感心したようにうなずく先輩。かめきちも、彼の驚くほど整った顔に興味があるのか、じっと見つめている。


「ところで、先輩は、何をしにここまでやってきたのですか」

「さっきも言ったでしょ? この子に会いたかったんだよ」


 ふむ。

 どうやら、王子先輩は、かめきちの虜になってしまったらしい。

 かめきち、お前ってやつは罪な子だなぁ。

 正直、この先輩と関わると厄介事に巻きこまれそうだから、あまり関わりたくはないけれど。

 かめきちに惚れたと言われて、悪い気はしない。

 亀好きに悪い人はいないもんね。


「それと、飼い主の君にも」


 ……チャラいところは残念だけど。

 私相手にもリップサービスを欠かさないなんて、先輩の唇には、女子を見ると口説かずにはいられない呪いでもかかっているのかな? 


「くだらないことを言いにきたのなら、今すぐに帰ってください」


 彼はぱちぱちと瞬きをして、口の端をつりあげた。


「……やっぱり面白いなぁ」

「はあ? なにがですか」

「ううん、こっちの話。ねえ、僕もかめきちに餌をあげても良い?」


 王子先輩は、かめきちに餌やりをできたことでやっと満足したらしい。


「突然だったのに、今日はありがとう! また来るね」


 先輩を見送りながら、『ようやく帰ったか』と思ってしまったのはひみつだ。

 あれ? さっき、また来るって言っていたような……。いやいや、気のせいだよね?

 王子先輩が帰った瞬間、それまで息をひそめていたるりとメガネくんが大騒ぎしはじめた。


「ちょっと佳奈! 今のは、どーーゆーことかなぁ?」

「羽鳥くん!! さっきの彼、やっぱり生物部に興味がありそうじゃないか! 折角の勧誘のチャンスだったのに、あんなに素っ気ない態度をとるなんて、どういうつもりなんだい!?」


 あー……めんどうくさ。

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