その5 恩人がまさかの人物でした
息を切らしながら、模擬店で賑わっているグラウンドを駆け抜ける。
秋の寒さをふくみはじめた空気が、肺にすべりこんできた。
こんな人混みの中にかめきちがまぎれこんでいたら、うっかり踏みつぶされてしまってもおかしくはない。想像しただけで、身震いがしてくる。
一体、どこに行っちゃったんだろう。
数十分も走れば、疲れが出てきて、走るペースが落ちてくる。
人の群れを避けていたら、いつの間にか、敷地の隅の方に位置するプール入り口にたどりついていた。
夏までは活気に満ちていたこの場所も、プール納めが終わった今では、誰も寄りつかずさびしい場所となっている。まるで、学校内でこの場所だけが、文化祭だということを教えてもらえず仲間外れにされているみたい。
プール周りにはりめぐらされているフェンスに背中をもたれると、弱音がこぼれでた。
「……かめきち。どこにいるの?」
「かめきちというのは、もしかして、この子のこと?」
聞き覚えのある、凛とした、艶やかな声。
弾かれたように顔をあげれば、目の前に、漆黒の燕尾服を身につけた美しい男の人が立っていた。
日の光を浴びて輝くやわらかそうな髪に、色素の薄い瞳。まるで、神さまが寵愛するために作った人形のように、整った容貌。
普通ならコスプレにしか見えないであろう執事服を、あまりにも自然にかっこよく着こなしている彼には、見覚えがあった。
この鮮烈な輝きは、一度見たら、忘れられない。
王子先輩だ。
けれども私は――目の前に噂の先輩が立っているということ以上に、彼の腕にかめきちが捕獲されていることの方に驚いた。
「……かめきちぃぃぃ!!」
ああ、良かった! 無事だったんだ!!
「もーー、なんで脱走したりするの~っ。誰かに踏みつぶされていたらどうしようって、気が気じゃなかったんだからね!?」
先輩に抱かれているかめきちは、騒ぐ私をぼうっと見つめている。自分がしでかしたこともわかっていないのだろう。呑気な子だ。
「はぁ、寿命が縮まった気がしたよ。でも、無事で本当によかったぁ」
かめきちに目線を合わせながら笑いかけると、こくりとうなずいてくれたような気がした。
「こほん。……つまり、君が、この子の飼い主ということだよね?」
はっ!
かめきちとの再会を喜ぶあまり、王子先輩の存在を空気にしてしまった!
「あっ、はい。まぁ、そんなところです」
慌てて返答したものの、なんともいえない沈黙が落ちる。
心なしか、先輩にじいっと見られているような。
居心地が悪い。
亀に愛称をつけてかわいがっているなんて、ヘンな子だと思われているのかも。
それでも、かめきちを拾ってくれたことに関しては、きちんとお礼を言わねば。
「かめきちを拾っていただいて、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、彼は私にかめきちを手渡してくれた。
「本当は、今もクラスにいなきゃいけない時間なんだけど、疲れちゃって逃げ出してきたんだよ」
「へ?」
「そうしたら、校庭で亀が歩いてた。最初は見間違いかと思ったんだけど、何度目をこすってもやっぱり本物でさ。その瞬間、拍子抜けしてふっと肩の力が抜けたんだ。だから、僕の方こそ、この子にありがとうだよ」
彼は、見惚れそうになるほど、やわらかい笑顔を浮かべていて。
滅多なことで動じない心が、一瞬、ふわりと浮かび上がった。
「ねえ。君の名前は、なんて言うの? ちなみに、何年生?」
先輩は、私の返答がないことに焦ったのか、慌てて付けたした。
「もしかして、僕よりも先輩だった!? というか、人に名前を聞く前に、まずは自分が名乗れよって話だったよね。ごめん」
今度は、しゅんとうなだれる。
先輩に犬のような耳があったら、垂れ下がっていそうだ。
「僕は二年の
くるくると表情が変わるなぁ。移ろいやすい山の天気みたい。
とにかく華やかで、否が応でも視線を奪われる。
一言で言うなら、眩しい。
ちなみに、人間はあまりに眩しいものを前にすると、目がくらむようにできているものだ。
「……ええと、先輩よりも後輩なのでご心配なく。それと、ごめんなさい。私、そろそろ戻らなくてはならないのでもう行きますね!」
「えっ! ちょっと待ってよ!」
かめきちをしっかりと抱きかかえて、逃げるように来た道を舞い戻る。
先輩が醸し出す激しい光オーラに、耐えきれなくて。
まさか、あの王子先輩と会話を交わす日がくるだなんて、思いもよらなかった。
さっきのが、最初で最後だとは思うけれど。
先輩、地味な私にも親切だったな。
かわいい女の子には、もっともっとやさしくするに違いない。
そして、みんなが彼を好きになる。
なるほど。
彼がたくさんの女子に囲まれている理由が、少しだけわかった気がする。
うん。やっぱり関わっても、ろくなことはなさそうだ。
早くメガネくんにかめきちが見つかったことを報告してあげよう。今頃、校内を駆けずりまわっていたら、申し訳ないもんね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます