第3話 親切なお兄さん

 迎えた団子さんとの約束の日。

 わたしは少しの緊張と共に家から出て、前日に調べた通りにマップを見ながら道を歩き、最寄りの駅に入ると電車に乗り込んだ。


 初めてやってきた主要都市には、想像の五倍以上の人がいた。行きの電車で座る席もないほどに人が詰め込まれ、知らない人と長い間密着していたせいで、わたしの体調はすでに絶不調だった。


『すみません、着いたけど人酔いして少し休んでから行きます』

『大丈夫ですか!? ゆっくりでいいんで』


 わずかな気力を振り絞って団子さんにメッセージだけ送ると、わたしはふらふらと人の波を泳ぎながらコラボカフェのある建物へと向かう。

 しかしやはりどうにも気持ちが悪くなり、途中で道を逸れてしまった。


 とにかく人が少ないところを求めて脇道に入ったわたしは、ようやく閑散とした場所に身を置くことができて安堵する。

 歩道の端に立ち止まって何度か息を吐くと、少しだけ息が吸いやすくなった。しばらくして顔を上げると、建物の前に自販機があるのを見つけた。喉がカラカラになっていたのでちょうどいい。何か飲み物を買おうかと、わたしは足を進めた。

 

 自販機の横にはしゃがみ込んでスマートフォンを触っている男の人がいた。黒いキャップを被っていて、なんだかいかつい格好をしている。

 

 なるべく視線を向けないようにして、早めに済ませようと適当に目についたオレンジジュースを選んだ。しかしボタンを押しても、飲み物が出てこない。試しに2.3回押してみるが、やっぱり結果は同じだった。


(最悪だ……。よりによってこんなところで……)


 人気の少ない寂れた路地裏、柄の悪そうな男の人。管理会社に電話したとて、こんなところで数分間も待つのは少し怖い。

 仕方ないからお金が戻ってこないことは諦めて、違う場所で買おう。そう決意したわたしが踵を返したところで、


「出てこないの?」


 不意に横から声が掛けられた。

 一瞬誰に向かって声を掛けているのかわからなくて、きょろきょろと辺りを見渡して確認をしてしまった。


「それ、壊れてる?」

「あ、はい。お金入れたけどシーンって感じで」


 結局声を掛けられたのはわたしで、声の発信源は柄の悪そうな男の人で、その状況がひっくり返されることはなかった。

 目深に被ったキャップとマスクのせいでほとんど顔が見えない男の人は、綺麗な長い人差し指で自販機を指している。


「これあげる」

「……っ、わっ」


 言葉と共に何かを投げられたかと思えば、中身の入ったペットボトルだった。反射的にキャッチしたそれと、男の人を交互に見ながら、どうすればいいのかわからずに困惑してしまう。


「オレンジジュースの気分じゃなかった?」

「いや、そうじゃなくて……」

「お姉さんが来る1分前ぐらいに買ったやつだし、まだ一口も飲んでないから安心して」

「や、悪いです。そんな、お兄さんのジュースなくなっちゃうし」

「俺のはいいよ。あんた顔色悪いんだから、遠慮すんなって」


 確かに喉がカラカラだし、頭がくらくらしていたのは事実だ。そんなに顔に出ていたのだろうか。困惑しつつも、そこまで言われてしまえば返すのも失礼な気がして、ありがたく受け取ることにした。


「ありがとうございます」

「ん、いいよ」


 彼はスマートフォンに視線を落として、何やら忙しそうに指を動かしていた。迎えでもきたのだろうか。徐ろに立ち上がると、わたしの方に僅かに視線を向けてから背を向ける。


「じゃあ」

「あ、待って、お金……!」

「いらない」


 慌てて財布を鞄から取り出そうとすると、彼は振り向くことなく片手を上げた。



 数メートル離れた先で、停車した車に乗り込むのを見送った後も、わたしは呆然としたまま立ち尽くしていた。

 スマートフォンの通知が鳴りはっと我に返り、慌てて貰ったオレンジジュースで喉を潤していく。

 すっきりとした甘さが心地いい。

 あんなに気持ちが悪かったのに、嘘のように回復していた。


(それにしても、またねってどういうことだろう。あんな人、知り合いにいないはずなのに)


 彼の最後の言葉を疑問に思いながらも、約束の時間が迫っていることに気付いたわたしは、慌てて目的地へと向かうのであった。



 

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