第7話イバは出会ってしまう



 翌朝イバはまた母親と薬草を取り、泥炭堀りのドワーフたちの働いている採掘場に足を運んでいた。


 今日はドワーフたちに日用品の買い物を他のつもりだった。


 イバは薬師の老婆の母に向ける視線を気にしていた。この世界で貧民街に住むオーガに人権なんてない。死んでいても誰も気に留めないし、奴隷のように売られることだってある。


 母は美しくなった、商品価値がある。


 あの薬師の老婆が母親のことを忘れるくらい、せめて一、二か月は町に帰るつもりはなかった。


 その先については考えられない、先なんてない、きっと母は売られるのだろう。老婆じゃなくたって母の美しさに目が眩む奴はいくらでも出てくる。そしてイバには力がない。いつか母はイバから奪われていくのだろう。だが今すぐイバは母と離れられなかった、離れたくなかった、だから森に逃げたのだ。


 母と手をつなぎ、泥炭の採掘場に顔を出すと、そこにドワーフたちはおらず、紺色の制服を着た二人の男が立っていた。


 一人は後ろ手を組んだ虎の獣人、そしてもう一人は美しいエルフの男だった。


「やあ」


 エルフの男がイバに声をかけ、右手を上げ、警戒心を取ろうとしているのか笑顔を見せた。エルフの声はしゃがれている、かなり歳をとっている、老獪なエルフだとイバは思い、少し腰を引き、警戒心を高め、足を止めた。


「君はイバ君だね」


 エルフがしゃがれた声できき、イバは警戒しながら小さくうなずいた。


「そちらは母上だね、姫君、お名前をおききしても?」


 紳士的、というか慇懃に、エルフの男は母に目を向け、にこやかに名をきいた。


「ユーイー、です!」


 母は何が面白いのか、大きく手を上げ名前を告げる。


 エルフの男は張り付いたような笑みを崩さず、イバと母に近づいてくる。


 その後ろに巨木のような体を持った虎の獣人が目を光らせ、付き従う。


「少し話しをしたいんだ、薬師の栗鼠の獣人の話しを」


 そうエルフの男が言う。


 なるほど、あの婆、この男に母を売ったのか。


 イバはそう理解し、腰に刺してある太い釘を引き抜く。


「おかあ! 逃げろ!」


 イバはそう叫び、釘を握った左手一本で母とエルフの間に体を滑り込ませる。


「え? え?」


「いいから逃げろ! 人買いだ! 走れ!」


 母は釘をかまえるイバの腰をむんずと抱え、森に向かい脱兎のごとく走り出す。


「ワシは捨ててけ!」


「イバとおかはいつまでもいっしょ!!」


 エルフの男が走るオーガの女に目を向け、




「石礫」




 と、魔法を放つ。


 泣きながら走る母の右膝裏に、回転する小石がぶつかり、肉をえぐり、転倒させる。


「いーたーいー!!」


 膝を抱え泣きながら転がる母。


「おかあ! おかあ!」


 イバも泣きながら母を必死に抱きしめ、口で釘を咥え、ゆっくり歩いてくるエルフの男と、虎の獣人を睨みつける。


  エルフの男はもう張り付いたような笑みは浮かべておらず、虎の獣人は腰から大ぶりのナイフを抜いていた。


「いーたーいー!!」


 母は泣いている。ぼろぼろと涙を流し、鼻水を流し、子どものように。


 母はオーガだ、そもそも頭が悪い、母はオーガの中でも頭が悪い、だからこれほど美しくても、捨てられ、死の淵に立っていたのだ。


 そう、母はイバが守らねばならない。


 たとえイバが死のうとも。


 イバはエルフの男を殺すことにした。





 たとえイバが死ぬことになろうとしても。





 エルフが上で、虎が下だ。


 エルフが母を欲しがり、虎は付き添いだろう。


 エルフが死ねば、イバはこの虎に殺されるだろうが、虎は母を必要としていない、母は見逃されるかもしれない。


 母が助かるかもしれない。


 イバはじっと魔法と、イバの跳躍が同等の殺傷能力を持つ距離まで反撃を待つ。


 あと半歩、半歩出せばイバの口に咥えた釘が喉元にとどく距離で、エルフは歩みを止めた。


「すまない、回復魔法を、かけるさせてくれないか、イバ君」


 エルフがそう言った。


 イバはエルフを睨みつける。


 エルフはじっとイバを見ている。


 張りつめ、軋んだ空間を砕いたのは、電光石火の目にもとまらぬ虎の獣人の前蹴りであり、イバはその一撃で顎を蹴り上げられ失神した。






◇◇◇◇







 イバが意識を取り戻すと、そこは牢獄の中だった。


 母がいない。


 イバは鉄格子の向こうにいる紺色の制服を着たヒューマンの男に怒鳴りつける。


「おかあはどこじゃ!!」


 ヒューマンの男は嫌な顔をし、長い棒を鉄格子の間から突き出し、その先でイバを勢いよく弾く。


 胸を突かれたイバはせき込み、うずくまるが、その小さな背中をヒューマンの男は何度も長い棒で打ち据え、イバはぐったりとして動かなくなる。


「きたねえオーガの餓鬼が、うるせえんだよ」


 最後に動かなくなったイバの頭に唾を吐きかけ、ヒューマンの男は牢屋の横に立つ己の仕事に戻った。




 母は尋問室で鎖で吊るされ、鞭で滅多打ちにされていた。


 裸に剥かれ、家畜を撃つ革でできた鞭で体中を、ヒューマンの男と狐の獣人の男に休みなく打たれる。


「いたいよー!! いたいよー!!」


 子どものように泣きじゃくる母を、サディスティックな笑みを浮かべ鞭を振るう憲兵の紺色の制服を着た男たち。


 母の体はそこら中皮膚が裂け、血が滴っている。 


「たまんねえな、おい」


 キツネの獣人の男が鞭を机に置き、カチャカチャとベルトを緩め始める。


「おい、病気になっても知らねえぞ」


「こんないい女、やらねえなんて、嘘だろ」


 狐の獣人の言葉をきいて、ヒューマンの男も、鞭を机の上に置く。

 




 老エルフのエリックはしゃがみこみ、両手両足をねじ切られた魔道具職人のドワーフの死体を見て、眉間にしわを寄せていた。


 後ろでは虎の獣人トラビスが後ろ手に組み立っている。


「両手足、四か所同時にねじ切られている。念動か? トドメは心臓への石礫、胸部前面から入り、胸郭を貫通して背面に抜けてる。かなりの威力だ。それに、」


 恐怖のまま固まったドワーフの顔、見開かれた両目を覗き込む。


「また、瞳にわずかな魔力痕、幻覚か、煙幕か、とりあえず前回と同じ魔力痕だ」


 そう言ってエリックが立ちあがると、トラビスが、


「では、あの親子は、関係がないと?」


「そうだな、このドワーフが死んでから数時間しかたっていない、あの親子はさっきまで、我々二人で取り調べをしていただろう?」


 母親の膝裏を回復魔法で治し、憲兵隊の詰め所まで連れて行き、意識がある母親から事情徴収を初めてが、母親は意識を失った息子を離さず、仕方なくエリックたちは息子を抱いたままの母親オーガに話しをきいていたのだ。


 母親のいうことは支離滅裂で、ほとんど聴取は進んでいなかったが。


 事情聴取の途中に、今回の事件の一報が入り、他の憲兵に事情聴取の続きを任せ、現場に来ていた。


 母親のあの真っ赤な角。


 母親の奇跡の回復。


 その謎はいまだに分からないが、それは息子の意識が戻ってからの聴取のほうが進みそうだと、エリックは考えていた。


 エリックは現場を離れ、蒸気自動車に乗り込む。


 憲兵隊の宿舎に帰り、オーガの親子の所在をきくと、もう家に帰したと、狐の獣人の憲兵が言った。


「いつもどおり、貧民街に捨ててきましたよ、今頃死んでんじゃないですか」


 からからと笑う狐獣人の男。


 エリックは貧民街全域にオーガの親子の捜査を命じたが、夜が明けてもオーガの親子は見つからなかった。



 死体も。



 オーガの親子は忽然と町から姿を消したのだ。




 その夜、狐の獣人の男は、憲兵隊詰所の宿直室で性器をねじ切られ、目をくり抜かれ、体中に数百の切り傷をつけられ殺されていた。



 死体には例の魔力痕がべったりとついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る