第5話憲兵・2
年老いたエルフの名はエリックと言う。
エリック・デ・フォートノース、前フォートノース伯爵家当主であり、元貴族院委員長である。
エルフは長寿だ、なので自主的に二百年で一つの役職を下りる文化がある。しかし優秀なエルフはどこでも引っ張りだこで、職につくことに不自由することはない。エリックも前職は政治屋だったが、今は軍に入り、憲兵隊として上級士官となっている。
年齢は六百歳を超え、エルフとしても長寿だが、魔力量が多いため、声以外衰えを感じさせない。
国家認定第三位魔術師であり、国にはエリックと並ぶ魔術師は両手の指ほどもいないだろう。
そのエリックが貧民街の中で、口をハンカチで押さえ、一軒の家の中に入ろうとしていた。
「しかし臭いなトラビス」
眉間に皺をよせ、虎の獣人トラビスが上げたすだれを潜り家の中に入っていく。家と言っても木材とトタンを紐で結んでできた小屋とも呼べない貧相なテントのようなものだ。
エリックの目に入るのは土の床に敷かれた汚いゴザであり、この家には祖霊が彫トンと何もなかった。ゴザは糞尿と膿で汚れており、ここで寝ていた者が今でも生きているとは信じられないあり様だった。
「オーガの親子がここに住んでいたようです」
獣人のトラビスに声をかけられ、より眉間にしわが寄る。
ゴザの汚れ方から、病人がいたのだろう。そしてその病人は大人だ。ゴザの汚れ具合から分かる。
つまり子どもがこの病人を看病していたのだろう。
「親は母親か? 父親か?」
「元娼婦の母親です。性病末期だったようです」
性病末期、体中が腐り肉が落ちていく。
そんな母親を子供が面倒を見ていたのか。
「子どもは生まれつき右腕が欠損していたようです」
エリックの眉間の皺がより強くなる。
娼婦の家から出たエリックは口元からハンカチを外さない、貧民街は街自体が臭いからだ。
蒸気自動車の後部座席に乗り込み、
「救護院に」
と、運転席でハンドルを握るトラビスに声をかける。
憲兵隊の蒸気自動車が貧民街を進む。
貧民街は整備されていない土の道で、ガタガタと車は激しく揺れる。
車窓から外を見ながら、エリックは考える。
殺された栗鼠の獣人、薬師の老婆の店を、殺人当日訪れたのは、四人しか目撃情報がない。
一人目は、薬師の弟子である中年女性のヒューマン。
二人目は、魔道具職人のドワーフの男性。
三人目と四人目、それがオーガの親子だ。
子どものほうは片腕がなく、母親のほうは病気だと思われていたのに、精気みなぎる姿で昨日いきなり現れた。
末期の性病で体中の肉が腐り落ちていたはずなのに、美しくまるで病気などなかったかのように、だ。
老婆の家を訪れた薬師の弟子のヒューマンと魔法具職人のドワーフの魔力はもう鑑定され、現場に残された魔力痕とは違うことが証明されている。
つまり二人は犯人じゃない。
普通ならオーガは魔法が使えない、なので、今回のような魔法での殺人と言う特集
な事件の容疑者からは外されるはずだが、エリックは、この親子を容疑者から外さなかった。
気になるのは、死体に残されていた、全く今まで見たことがない魔力痕。まるで、そう、オーガが魔法を使えたら、こんな魔力痕だと言わんばかりの新種の魔法痕。
それに一晩にして、全快した母親のオーガ。そう、まるで、天才的魔法士によりまだ見ぬ新種の回復魔法をかけられたかのような、奇跡のような回復。
現代の回復魔法では末期の性病は完治できない。
それも病気が無かったかのように、体が元に戻るなんてありえないのだ。
エリックの目に救護院の真っ白な壁が見えてきた。
蒸気自動車が救護門の門を潜り、指揮に入っていく。
車を下りると、真っ白な白衣を着たヒューマンの中年女性がエリックとトラビスを迎えてくれる。
建物の中に入ると、応接室に通され、そこでヒューマンの女性と、猫の獣人の女性にエリックはオーガの親子について質問する。
「母親はいつから病気に?」
「そうですね、一年ほど前からでしょうか? 炊き出しに出てこなくなったのは」
「その前から病気にはかかっていた?」
「はい、角は腐り落ちてましたから、ひどく臭かったですし」
猫の獣人の女が臭いを思い出したのか、嫌そうな顔をする。
「その時子どもは?」
「手無しのオーガですよね、一緒に来ていましたよ」
「最近まで子供は来ていたのか?」
「はい、炊き出しには毎日、それにしてもあの母親生きていたんですねえ、驚きましたよ」
ヒューマンの女がそう言い、猫獣人の女が、「そうねえ」と答えた。
「それで、昨日の母親の様子は?」
そうエリックがきくと、ヒューマンの女が少しためらいがちに話し出す。
「それがですね、凄く元気で、臭くもないし、背なんか前より高いし、肌なんてエルフのように煌めいて、あっすいません!」
ヒューマンの女がエリックに勢いよく頭を下げる。
エリックはため息をつき、気にするなと手を振る。
「それで?」
話しの先を促す。
「いや、その、凄く元気そうで、それにねえ、」
ヒューマンの女は横にいる猫獣人の女に目配せする。
「そうねえ」
猫獣人の女がためらうようにエリックを覗き込む。
エリックはその態度が気になり、顎を上げ、話しの先を催促する。
「角が、真っ赤だったんですよ、腐り落ちてた角が生えてて、それが真っ赤に、その、そう見えただけだと思うんですけど、その、」
ヒューマンの女がここで一度話しを切り、ごくりと唾を飲み込んだ。
「その、私、認定九級なんですけど、あのオーガの角に魔法を放つときみたいな光が見えたような気がして……」
ヒューマンの女はじっとエリックを見てそう言った。
エリックはヒューマンの女の表情を見て、嘘ではないことを緩やかに確信していた。
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