第6話

 少しの時間、自らを落ち着けるために涙を零し続け、ようやく立ち上がれるようになった体を引きずるようにして、声を押し殺し涙しながらアパートへ帰り着いた。

 こんな時にどうしたらいいのか分からず。頭の中が真っ白となってしまった私はそのまま階下に住んで酒屋を営んでいる大家さんを頼った。


「あずさちゃ……どうしたの!?」


 大家のおばさんが私の異様な雰囲気と表情を見て駆け寄ってきてくれる。警察から聞いたままの事情を話すことしかできなかった。


「あんた!すぐに駅まで車出して!今すぐよ!、大丈夫よ、今すぐに駅まで送ってあげる、まずは病院に行かないとね」


 話を聞いたおばさんはすぐに旦那さんを呼び、私を抱き留めて背中を温かく包んでくれる。

 下町育ちの人情味のある大家さん夫妻が大慌てで店を閉めて車で東京駅まで送ってくれた。こんな状態で地下鉄に乗せるなんてできないと気を使ってくれたのだ。

 奥さんが私に寄り添いながら電話をかけてくれて、JR東京駅に勤めている息子さんに名古屋行の新幹線の切符を手配するように頼んでくれていた。駅で渡すようにとも伝えてくれて、奥さんは私の手をずっと握り背中を摩って励ましてくれる。

 とても心強くてありがたくて、孤独にならなかったことにただ感謝するしかなかった。


 あの時、本当に一人だったらと思うと、いまでも背筋が寒くなる。


 駅員の息子さんから切符を渡され、判断の鈍った状態では不安だと車輛まで案内してくれた。切符代を払うことをようやく思い出し財布を取り出そうとするが手を翳して断られた。


「いつでもいいから、気を付けて向かってね」


 席に座ると発車まで窓から息子さんの姿が見えていた。そのまま見送られ名古屋行きの新幹線は東京駅を走り出してゆく。

 車内で再びスマートフォンが着信を告げたのは、ちょうど静岡駅が目前に迫るあたりだったと思う、市外局番は名古屋だったが先ほど掛かってきた警察からではない。

乗降口まで移動してから電話を取ると病院からだった。


「名古屋医科大学付属病院救急科医師の三坂美と申します、大変、お伝えしにくいのですが……」


 そして淡々とただ淡々と医師は現状を伝えてくれた。


 父親の死と母親の意識が失われたことを。


 母はベッドに横たわったまま、意識の戻らぬ状態で二年ほど眠り続けている。父の死を知った直後に母の意識は途絶えたとのことだったので精神的なものが大きいだろうと実際に会った三坂美先生は説明してくれた。

 回復の可能性は十二分にあるのだから辛いだろうけれど頑張ろうと今日に至るまで励まし続けてくれている。医療相談の職員さんや看護師さんも家族を失ってほぼ孤独となった若い私をできうる限り支えてくれている。

 大学に通学している場合ではないと退学することも考えたこともある。

 進路相談のために訪れて話を一通り聞いて事の顛末を知った教授は、学内で使える手立てを必死になって探し手を尽くしてくれた。教授の思いに感化された大学教務課もできる限りの全面的な支援をしてくれたおかげで、学生生活を続けることができている。

 大学があるときは病院のご厚意により月曜日から金曜日までは東京に住んではオンラインで面会し、土日は名古屋の自宅に帰っては自宅の掃除と母と直に面会する生活を続けている。

 犯罪被害者支援基金の手助けと父親の生命保険の保険金を切り崩す日々。父に謝りながら使わせて貰い、母の入院費や自宅の維持費に当てている。私自身のことは何とか頑張ろうと単発のアルバイトをこなしては節約した生活を続けて、そのせいでもあるのだろう、体重は十キロ落ちた。生理不順と頭痛と悪夢に苛まれているが私は何とか頑張れている。


 看護師さんや療法士さんの手厚いケアを受けて艶の維持された手を握る。

 血液の通う手のぬくもりは失われておらず、私を癒し愛してくれた何時の母の手だった。

 摩っては母の名を呼ぶが、反応はいつも通り、ない。

 時より両親が大好きだったユーミンの音楽を流し、懐かしい話を語り聞かせるように 話しては面会時間を過ごし、やがて最期に額へのキスをして、耳元で「また来るね」と囁き部屋を後にした。


 ナースステーションで郡上八幡に行かなければならない事を伝え、母の看護への感謝と面会に来ることができない旨を伝えてお願いし病院を後にする。


「ご飯食べれてる?これ持って行って」

「あ、ありがとうございます」


 担当看護師さんが飴玉をくれたので丁重にお礼を言ってから、帰りのエレベーター内で口に入れる。甘い味に固まった方が少しだけ溶けた気がする。


 先ほどのバス停までたどり着き、あたりを伺ってから壁を背にしてバスを待つとスマートフォンが再び着信を告げた。時間を見つめて、番号を見つめて、通話のボタンを押した。


 毎日掛かってくる電話番号だ。


「こんばんは、桂川ですが、異常などはありませんでしたでしょうか?」


 あれから毎日続く安否確認の警察からの電話、犯人を捕まえるべく組まれた捜査本部は結果を残せず、他の凶悪事件によって縮小を続けてゆき、今では専従捜査員は桂川を含めて3人だけとなっている。でも、犯人を逮捕すべく捜査は続いていることは有難かった。

 なにもされないよりはマシだと思える。

 苛立ちをぶつける相手は違うのに。


「なにもないです。母もいつも通りでした」


 事務的な連絡でもするかのようにいつも通りに報告をした。


「分かりました。巡回の警察官からも自宅には特に異常はないとのことです……」

「ありがとうございます。明日から郡上八幡に行かなければならなくなりました。旭酒店という親戚のお店の方と会い、曾祖父母の家を見に行ってきます」

「郡上八幡署にはこちらから連絡を入れておきます。電話番号を必ず灯篭くして向かってください。緊急通報ボタンも必ず持って行くようにお願いします」

「はい、では、失礼します」


 さらに何か言いたげな電話を切って丁度来たバスへと乗り込んだ。席に座ってバスがファンとクラクションを鳴らして発車したタイミングで私は深いため息を吐き出した。


 犯人は異常者となり果てている。


それもかなりの。


 母の両親を殺し。


 曽祖父母を殺し。


 父を殺し。


 母に重傷を負わせ。


 逃げている。

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