第5話

「お母さん、来たよ」


 いつものように声をかけて私は室内へと入った。

 そのままベッド脇に近づき脇に置かれている心電図のモニターを見る。

 規則正しい音とグラフがモニターに描かれていることに安堵する、教えてもらった操作で時間経過モードに切り替え一日の様子を淡い期待を抱きながら確認してみるが期待した変化は一切ない。

 すくなくとも穏やかな時間であったことに神様に感謝した。

 床頭台の机には父と母と私の3人で大学入学式の折りに撮った写真が飾ってある。目が覚めた時にすぐに目に入るように私が持ち込んだものだ。

 写る両親は嬉しさに満ち溢れていて生気が溢れていた。

 ベッドで横になったままで眠ったまま過ごしている今の母からは想像することができぬほどに色艶も表情も違う。


 そう、刃は再び振り下ろされた。

 まるで呪いのように再び家族を襲ったのだ。


 東京の大学に進学した私は念願の一人暮らしを始めた矢先のことだった。

 本当に、矢先の、ことだった。

初めての履修登録を済ませた私はアルバイト先探しのためと必需品を大学生協よっていくつかを見繕って購入し意気揚々と帰路につく。

夕焼けが綺麗に空を染めていたのを立ち止まって眺めて、ちょっと豪勢な夕飯を作るためにスーパーへ立ち寄った。程よい金額の食材を買って住まいのアパートへ続く道を歩いていた時のこと。

 入学直前に我儘を言って母を少しイラつかせ、私に甘い父はそれを宥めながら買い替えたばかりの最新型のスマートフォンが聞きなれない金属音を鳴らした。


 見知らぬ番号からの電話を告げていた。


 不審電話かと思い無視していたのだけれど、長く鳴っては切れ、長く鳴っては切れを繰り返す。余りにもしつこく震え続けることに違和感を覚え、恐る恐る通話のボタンを押して耳へとスピーカーを当てた。


「上原あずささんのお電話でしょうか?」


 刺々しく厳しそうな感じの女性の声だった。


「そうですが……」

 

 受話早々にフルネームを告げられて、私は思わず大学で履修登録の用紙を受け取ってくれた教務課のきつそうな事務員の顔が思い浮かんだ。

 もしかしてその件でなにかあったのではないかと疑い、念のため番号を確認する。

けれどそれは杞憂だった。

 それよりもさらに災厄なものだったからだ。

 なにより052から始まる市外局番は大学でも東京ですらない。

 見慣れた名古屋の市外局番だったのだから。


「愛知県警察〇〇警察署刑事課の桂川といいます…。今、お電話がしっかりと聞ける場所におられますか?」

「警察……ですか……」

「落ち着いて聞いて頂きたいのですが……」


 そのあと聞いた内容も受け答えで話した内容も覚えていないし、思い出すこともできない。電話を終えると近くの公園にふらふらと入ってベンチに力なく座り込んでいた。

 まるであの時の母と同じように。

 食材の詰まったエコバッグがベンチから地面に落ちる、買ったばかりの卵が砕ける音が間延びして聞こえてきた。ぐわんと視界が歪み眩暈が走る、耳がキーンと高鳴りの音をあげて、心臓が激しく鼓動して気持ちの悪い汗が噴き出た。

 母と違ったことは抱きしめる幼い子供がいなかった。

 思わず自らの身を自身でしっかりと抱きしめる。


 両親が自宅で襲われて重傷を負った。

 

 今直ぐに名古屋の病院に来て欲しいとの連絡だった。

 

 あまりの事柄に呆然となったやがて暫くして涙が溢れ出でた。

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