第3話
虚になった母とともに買い物から薄暗い自宅に帰りついた。
鍵を開けてリビングのソファーに腰を下ろした母の傍で、私は再び同じように抱きしめられる。父が大慌てて帰宅するまで、ずっとずっと母に抱きしめられたままにじっとしていた。
何かを口にするでもなく、薄暗い室内で幼い故にしっかりと理解することのできぬ母の哀しみに寄り添い続けるしかない。
復讐殺人などと、あってはならない事態に八幡町は騒然となった。
マスコミや新聞社が曾祖父母の家や我が家に大挙して訪れる。
フラッシュやレポーターの声、野次馬の声に怒号、警察官が制止する声が、そこかしこの窓から聞こえてくる。
両親はかなり疲弊していた。
失意のどん底に落とされた母は、私の為に気丈夫に振舞ってくれたけれど、幼いながらに痛々しくて、私は常に笑顔で母に寄り添い続けていた。悲しい顔を見せればきっと母は壊れてしまう、それほどの姿だった。
ようやく日取りが決まり事情が事情だけに近親者のみで執り行われた葬儀はとても寂しいものだった。
耐え忍んでいた母がついに我慢の限界を迎えたのはこの時だ。
火葬場で炉に向かって係員の一礼の後に二つの棺がゆっくりと進み始めた刹那、見たことがないほどに半狂乱となって母が泣き叫ぶ声が響いた。
「やだ、やだ、やだ、やだ!行かないで、おじいちゃん、おばあちゃん!私を一人にしないで!」
火葬炉に送り出されようとする棺に縋る母を父が必死に抱きしめる。父の手を振りほどこうとして爪をたて傷をつけ、腕に嚙みついた母を父は辛い顔を隠し必死に、必死に、両腕で抱きしめ続けた。
やがて炉の扉が完全に閉まり、その場に崩れ落ちて子供のように泣きじゃくる母を宥めていた姿は私にとって一生涯消えることのない傷だ。
そんな母の姿に私は怯えた。
同じように泣き出しそうになってしまったところに、親戚であり八幡でよく遊んでくれた男の子に手を掴まれると引かれながら建物の外へと連れ出された。
建物の裏手にあるゆるやかな流れの水路まで歩き、そこを泳ぐ魚を彼が指さして二人して覗き込む、色々なところを彼は指さして気を紛らわすかのように教えてくれる。しばらくして流れをみながらぼんやりとしていると、彼は近くの笹藪から取ってきた大きな笹の葉を千切っては舟を編み、それをいくつも作っては水路へと流し始めた。
「笹舟、なんで流すの?」
「死んだ人は舟に乗って天国に行くって保育園の先生が言ってた。だから舟がいるんだって。大きな川は流れが強いけど沢山流せばきっとどれか一つは海に行けると思うんだ」
それを聞いて私は男の子に手を差し出した。彼は笹を沢山分けてくれる。
「私が作る、大事なじーじとばーばに乗ってもらいたいもん」
私達は舟を沢山編んできた先から水路へと、流れを見ながら落とし流してゆく。
彼は舟を作るのをやめて、私が笹舟を次々と編んで流してゆくために減ってゆく笹の葉を笹藪から取ってきてくれ続ける。
父が私達を探して呼びに来るまでそれは続き、手が緑色に染まって所々にできた擦過傷によって血をにじませていたけれど、その痛みは苦にはならなかった。
大切な曾祖父母の乗る舟が一艘でも海にたどり着いてくれたらと、ただひたすらに願い続けていた。
私を迎えに来てくれた父が何をしていたかを尋ねたので、男の子が教えてくれた話をすると二人の頭を父はしっかりと優しく撫でてくれた。
二人して喜ばれたこと褒められたことを見合わせて笑い合い、葬儀場へと手を引かれて戻る傍に、心の中でひっそりと水の神様に祈った。
[水の神さま、どうか笹舟を届けてください。じーじとばーばが舟に乗って天国に行けますように]
戻った先で椅子に座ったままに魂が抜けてしまった母、とても言い表すことの出ぬほどの表情に背筋が寒くなったけれど、父が近寄って優しく母を抱きしめてから何かを耳打ちすると、優しくいつものどおりの母の顔に戻って微笑んでくれる。
その胸元に先ほどまでの不安を押し隠していた我が身をぶつけるようにして抱きつく。
いつも通りに優しく背中を撫でられて、私はようやく涙を零し大声で泣き声をあげることができた。
そして家族で涙を溢れさせながら悲しみの声で泣いたのだった。
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