♯3『物語の魔法』
はじめは、ただの日記だった。その日あったことを淡々と綴る記録でしかない。
でも、だんだん慣れてくると、そこに自分の感情を乗せるようになった。
咄嗟にその場で言い返せなかった気持ちや、隠していた想いを書くことができる。
あまり人に面と向かって自分の気持ちをうまく伝えることの出来ない私にとって、その遊びは、とても魅惑的で、私は益々日記を書くことにめり込んでいった。
人の心を得た記録は、やがて特別なものになっていく。
そのうち不思議なことが起きた。
私が想像したり、こうなったらいいなと思ったりしたことを日記に書くと、現実でもそのとおりになったのだ。
キッカケは、友人エリーゼの父親がやってもいない罪に問われて、お家断絶の危機に陥った時のことだ。私は、唯一無二の親友である彼女を助けたい一心で、エリーゼの父親は無実だという内容を日記に書き記した。
すると、その翌日、真犯人が捕まり、エリーゼの父親の疑いは晴れた。
その時は、偶然だと思ったが、似たようなことが二度、三度と続くうちに、私の中にある可能性が浮かぶ。
私には、書いたことを現実にする魔法が使えるのかもしれない、と。
もしくは、私の洞察力と推理力が真実を暴いただけで、本当は魔法なんてものは使えないのかもしれない。
でも、その頃の私は、ちょうど社交界にデビューしたこともあって、色んな人の噂話や情報に事欠かず、空想の日記を書くことに夢中になっていた。本当に魔法の力があるのか、試してみたくて仕方なかったのだ。
社交界デビューしたといっても、私の心は変わらずロディにあったから、他の誰かと自分が結ばれるなんて物語には一切関心がなかった。声を掛けてくる人もいたけれど、気の利いた返しもできず始終不機嫌な顔をする女の相手は御免だ、と思ったのだろう。三月と経たぬうちに、私は壁の花となった。
それに、私にとってロディ以外の男は皆、どれも同じ顔に見えた。ヒヒや馬、時にはアヒルに見えたこともあったが……。
夜会でロディと顔を合わせることもあったけれど、私たちはまるで赤の他人であるように口も利かなかった。
伯爵であるロディは、社交界に顔を出さないわけにはいかないのだろう。結婚適齢期で未婚のムーア伯爵は、引く手あまただった。何人かの女性とダンスを踊るロディの姿を見て、私は自分の中にどす黒い嫉妬の炎を感じずにはいられなかった。
『俺は、今でもマイカの恋人で、婚約者だ。この先未来永劫な!』
そう言った姉の婚約者は、今、姉ではない他の女の手と腰に触れている。マイカに向けていた笑顔を、彼女以外の女に向けている。私は気がおかしくなりそうだった。
マイカが可哀想……という偽善と、私が絶対手に入れられないものへの憧憬と恨み。そんな汚い感情で自分の身体が黒く染まっていくのにも耐えられない。
相手がマイカだったから諦められたのだ。それ以外の女がロディに近づくのは絶対に許せなかった。
ロディとダンスを踊った女、ロディと言葉を交わした女、ロディに微笑みを向けられて頬を染めた女、そしてロディに色目を使う女、すべてが私の敵だった。
私は、彼女らのゴシップや悲惨な結末を日記に書いた。
そして、それらは
それはもう日記の
ただ、書いたことを実現できると言っても、過去にあったことを変えることは出来なかった。それはつまり、マイカの死をなかったことにするのは出来ないということだ。私にできるのは、ただこうありたいと願う未来を描くことだけだった。
物語には、私の分身と呼べる少女がいて、名を〝ジュリエッタ〟といった。
ジュリエッタには、好きな人がいた。〝ロメオ〟という名の若く美しい伯爵で、人気者の彼をジュリエッタはいつも遠くから見つめるだけで幸せだった。
ある夜会で、ジュリエッタは、とある男爵から婚約を迫られる。それを救ってくれたのが、ロメオだった。二人はやがて互いに惹かれ合い、婚約する。
ロメオは、ロディの分身だった。
たった一人きりで部屋にこもり、誰にも読まれることのない物語を書いている私とはまるで正反対。
私は、ジュリアンヌではなくて、ジュリエッタになりたかった。
ある夜会で、私が書いたとおりの出来事が私の身に起きた。
私を男爵の魔の手から救ってくれたロディは、前と変わらぬヘーゼルの瞳を私に向けて言った。
「ずっとあの時のことを後悔していたんだ。ひどい言葉で君を傷つけた。悪かった。許して欲しい」
私は、夢を見ているのかと思った。
それ以来、ロディは以前のようにヒーストーン家を訪ねてくれるようになった。
私は、ロディと外を散歩するようになった。
かつてマイカが座っていた長椅子に二人で腰掛け、語り合うようになった。
昔の口下手な私では考えられないくらい、私はジュリエッタになりきっていた。それは、まるで私が憧れていたマイカそのものだった。
ロディの隣に私がいる。彼の優しい微笑みが私に向けられている幸せに酔った。
「ジュリー、俺と結婚して欲しい」
ロディは、私の前に跪いてプロポーズをしてくれた。それは、私の物語でロメオがジュリエッタに向けた言葉と一言一句同じだった。
そして、私たちは婚約した。私は、幸せだった。
――でも、本当にこれでいいのだろうか?
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