♭2『告別』

 それから数か月後、マイカは帰らぬ人となった。


 元々身体が弱く、長くは生きられないだろうと医者から言われていたが、いつも明るいマイカの笑顔に、皆そのことを考えないようにしていたのだ。


 それまで明るかったヒーストーン家は、悲しみのとばりが降りたように暗く重たい闇が屋敷中に立ち込めているようだった。


 私は、マイカが棺に納められているのを見ても、なんだか現実味が湧かなかった。


 ただ、その日の夜、なんとなく目が冴えて眠れず、マイカの部屋を覗いてみた。


 するとそこには、先客がいた。


 主を失った寝台に顔を伏せて泣いている母の姿と、震える母の肩をさすりながら嗚咽をこらす父ジェイドの姿が見えた。


 皆が寝静まった夜の闇に隠れて泣く二人の姿は、私にこれが現実であることを教えてくれた。


 もうマイカに会えないのか。


 そのことが突然、私の心に降ってきて、涙が溢れて止まらなくなった。

 私は、慌てて声を抑えながら自分の部屋へ戻り、声が出ないよう寝台の枕に顔を押しつけて泣いた。家族の誰にも泣いている姿を見られたくはない。


 マイカ、マイカ、マイカ…………あぁ、私の優しくて大好きな姉。もう会えない。



 マイカが亡くなってから数日後、ヒーストーン家の庭でひとり泣いているロディを見つけて、私は胸が苦しくなった。


 彼の手には、マイカがいつも身に着けていたリボンが握られている。ロディがマイカへ初めてあげた贈り物だ。マイカが自慢げに何度も私へ見せびらかすので、嫌でも覚えている。


 私は、何とかして彼を慰めたいと思い、ロディに声をかけた。すると、予想もしていなかった怒りを孕んだヘーゼルの瞳が私を射抜いた。


「俺がと思ったから、声をかけたのか?」


 涙に濡れたロディの瞳が私を責めるように睨んでいる。


 どうしてそんなことを言うのか、私にはわからなかった。


 でも、すぐにそれがだと気付く。何故俺をさけるのか、と尋ねたロディに私が返した言葉だ。


 私は、はっと自分の口を手で抑えた。


「生憎だったな! 俺は、今でもマイカの恋人で、婚約者だ。この先未来永劫な! だから俺のことは、独りにしてくれっ」


 そんなつもりではないと叫びたかった。でも、言えなかった。言葉が喉の奥に詰まって、うまく声に出来ない。


 マイカを失って悲しいのは私も同じだ。私は、ロディとその同じ悲しみを共有できると思ったのだ。ロディを慰められるのは、私だけだと。


 でも、それはとんでもない私のおごりだった。


 ロディは、マイカのリボンに縋りついて肩を震わせている。


 私は、そんなロディを見ていられなくなり、逃げるように自分の部屋へと駆けこんだ。


 心の奥底のどこかでは、ほんの少しだけ、ロディが自由になったと喜ぶ自分がいた。そのことを、ロディに怒りをぶつけられたことではっきりと自覚したのだ。


 私は、自分が恥ずかしかった。なんてひどい妹だろう。


 マイカは、ずっと私にとっていい姉だった。優しい姉であった。


――本当に?


 一方で、マイカはずっと私を傷つけてもいた。私のロディを見る視線に、彼女は本当に気付いていなかったのだろうか。


 二人が笑い合う姿を見る度に、私の心は傷つき、すり減っていった。


 ただ私が勝手にロディを目で追って、勝手に一人で傷ついていただけ。


 マイカは悪くない。


 かつての自分の言葉がロディを傷つけ、私に返ってきただけだ。自業自得だ。


 でも、ロディを傷つけるつもりはなかった。


 ロディが一生、マイカの婚約者でいるのなら、私もずっと、独りでいよう。


 それが私に出来る唯一の贖罪だと思った。



 ∮ ∮ ∮



「ねぇ、ジュリー。あなた、日記をつけたらどうかしら?」


 友人のエリーゼが私に言った。私が塞ぎ込んでいることを心配して、家まで様子を見に来てくれたのだ。


「日記?」


「そう、今流行っているのよ。その日にあったこと、思ったことをただ書くだけ。文字にして見ると、もやもやしていた気持ちが整理されて、少しだけすっきりするような気がするの」


 実は私も書きはじめたのよ、とエリーゼはこっそり打ち明けてくれた。


 私はその時、ふと昔マイカに言われた言葉を思い出していた。


『ねぇ、ジュリー。あなた、物語を書いてみたら?』


『え、どうして?』


『だって、あなたの話はいつも空想ばかりで、聞いていてとても楽しいのだもの。きっと素敵な物語が書けるはずよ。その時は、私を一番の読者にしてね』


 あの後、何度か筆を持ってはみたものの、うまくいかなくて、結局マイカに私の物語を見せることは叶わなかった。


 マイカとの思い出も、日記に書いておけば、これから先何度も見返して、忘れずにとっておけるかもしれない。


 そう思った私は、日記を書くつもりで筆をとった。


 これが全てのはじまりだった。

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