エイリアンパワークリーンヒット

中野半袖

目覚め

 目が覚めるとそこは、知らない場所だった。

 そう思ったのもつかの間、最近引っ越してきたばかりの俺の家だと思い出した。

 何を寝ぼけているんだ。時計を見ると、午前6時をまわったところだった。もう一度眠ろうとしたが、やけに目が冴えている。まるで、部屋の天井を突き抜けて屋根の上にとまっているスズメの数まで分かるような気がした。

 ベッドから起き上がろうとするが、鉛でも入ってしまったのかやけに頭が重い。風邪でもひいたのだろうか。おでこに手をやるが、熱は無い。しかし、こめかみの辺りに指先を持って行くと、脈がいつもより早く、どこか力強さを感じる。テーブルの上にあるテレビのリモコンを凝視していると、触れてもいないのにかすかに動いた。気がした。

 ゆっくりと身体を起こす。やはり、頭が重い。しかし、さっきほどではなく、多少ましになっている。とりあえず、水が飲みたい。俺はベッドから脚だけを下ろした。

 フローリングのひんやりとした感触で、昨夜の記憶が脳の奥から引き出されるような気がした。

 しかし同時に、何も覚えていないことに気がつく。そのかわりに、階下の住民が女であり、今まさに着替えをしながら鼻歌を歌っているのが分かった。ような気持ちになった。

 水道の蛇口をひねりながら、昨夜の記憶を遡る。

 仕事終わり、いつもの店に向かった。そこでビールと生姜焼き定食を注文し、それを食べているところまでは覚えている。

 いや、これは前々日の記憶だったか……、さらにその前日かもしれない。俺は、一度好きになった食べ物は飽きるまで毎日食べ続けてしまう。今週は、月曜から水曜の晩ご飯は全て生姜焼き定食とビールを注文している。そのせいか、記憶が曖昧だ。

 しばらく考えていると、間違いなくいつもの店で支払いを済ませたということが分かった。財布の中に、昨日の日付のレシートが入っていたからだ。しかし、やはりそこから先の記憶がまるで無かった。

 支払いをした時間は、午後10時21分である。残業を終えて、いつもと同じ時間に店に入ったようだ。レシートを見ていると、なんとなくその後の風景が脳裏に浮かんできた。

 店を出て……人気の少ない路地を歩き……自宅から最寄りの交差点を渡り……、いや、それは毎日同じ道を歩く帰宅時の記憶であり、昨日の記憶ではないかもしれない。だめだ、やはり昨日のことが思い出せない。

 俺は諦めてトイレに向かおうとした。そして、ようやくそこで気がついた。なんと昨夜はスーツを着たまま眠ってしまったようだ。

 これはおかしい。俺はどんなに疲れていても、着替えないと絶対に眠れないたちだ。スーツにワイシャツなどという、寝苦しい最たるもので眠りについたとは考えられない。

 昨夜、いったい俺の身になにがあったのだというのだ。

向田国良むこうだくによし

 ふと自分の名前を口にしてみた。特に違和感は感じないということは、俺は間違いなく俺である。

 俺は俺であることは間違いないのに、この違和感はなんだろうか。俺の中で何かが違ってしまったような、そんな気がする。

 何か、得たいの知れないものを注入されてしまったのだろうか。自分の中に別の自分が入っているような、そんな気がしてしまう。

 突如、アブダクションという言葉が頭に浮かんだ。気になって調べてみると、UFOなどの未確認飛行物体が人間や動物を連れ去ることを指す言葉だった。

 なぜ、こんな言葉が頭に浮かんできたのか。俺はオカルトの類いは興味が無い。だから、アブダクションという言葉自体、たったいま初めて出会った。

 昨夜の記憶が無い。アブダクションという、突然浮かんだ言葉。これらが意味することは、いったい何なのか。

 アブダクションについてさらに読み進めると、アブダクションされた人間は、その前後の記憶が無かったり、曖昧になったりするらしい。また、自分が自分で無いような、何かが違っているような感覚を覚えるという。

 アブダクションされた人間の多くは、記憶が途切れる寸前、強い光を見たという人も多いとされる。そういわれてみると、昨夜、人気の無い路地で強い光を見たような気がしてきた。

 カーテンを開ける。やっぱり晴れだった。なんとなく、今日の天気は晴れだと思ったからだ。直感が鋭くなっているのかもしれない。

 テレビをつける。ちょうど、朝のニュースの占いコーナーだった。蟹座はやっぱり最下位だ。そんな気がしていた。見る前から、この最下位の画面が頭の中に浮かんできていた。

 アブダクションについてをさらに読み進める。これも多くの人が共通していることのようで、朝目覚めると、身体のどこかに身に覚えの無い傷があるという。

 瞬間、右肘のあたりがチクリとした。そこには、指で押し広げないと分からない、小さな切り傷があった。

 心臓の鼓動が早くなる。

 俺はおもむろに右手を伸ばし、テレビのリモコンに向けた。手のひらとリモコンに意識を集中する。

 もう少し、もう少しでリモコンが動くような気がする。

 ……だめだ。まだ上手くパワーを使えないらしい。

 とりあえず仕事に行こう。色々試してみるのはそれからだ。

 

 ——というような症状を訴える患者が、非常に多くなったのが2034年からです。この年は、次世代ネットワークシステムが始まった年でもあります。つまり、人間の脳とインターネットを繋げることが一般的に普及し始めた年でもあります。

 原因は、脳の情報過剰摂取です。処理しきれないほどの情報を次々に脳に送ったことが原因で、自分が信じていなかったものを信じてしまうという記憶の逆転現象が起こってしまったのです。

 とくにオカルトの類いに全く興味が無い者は、この症状が強く出てしまう傾向がありました。

 以上が、2035年の最もポピュラーな現代病であった「脳情報過剰摂取症」の説明になります。また、俗称として「エイリアンパワークリーンヒット」などとも呼ばれ、まさに宇宙開拓時代の幕開けのような病気でもありました。

 えー、次に紹介するのが「年末になると蟹を食べたくなる症候群」であります——

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エイリアンパワークリーンヒット 中野半袖 @ikuze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ