第2話「遅咲きの桜」3
そして、その流れのまま、先生に言われた通りの部室へと向かう。
実際に着いてみると、少し古びれた教室が出迎えてくれた。
鍵穴に先程もらった鍵を差し込み、回してみる。ガチャッと湿っぽい音だ。引き戸に手をかけると、立て付けのせいなのか少し重みを感じる。だが、少し力を入れて引いてみると、戸は簡単に開いた。そして室内を覗いてみると、そこには異空間が広がっていた。
…ということはなく、普通の教室がただ目に映るだけだった。
しかし、いつも使っている教室と比べれば、だいぶ小さい教室だ。おそらく普通の教室の半分程度。開放感は特に感じられないが、そのこじんまりとした佇まいには落ち着きを覚える。左手には椅子と机が乱雑に並べられており、物置のように使われているようだった。
「部室、ここになるんだね」
涼川は教室を見渡しながら、しみじみと呟く。
「端だし、広さとかも良い感じじゃない?」
志津見の方は意外と気に入ってるようだ。
「…なんか喋ってる内容が新居の内見してる人みたいだな…」
俺がそう零すと、志津見が言葉を返す。
「まあ、ここが私達の部室になるみたいだし、初めてのとこ確認してるから、ほぼ内見みたいなものじゃない?」
彼女は少し面倒くさそうに眉を上げた。
「先に場所決められてる上での内見はちょっと斬新だけどな…」
「あ、たしかに」
志津見は俺の言葉に少しだけ目を見開き、そう呟いた。冷たい雰囲気で少し分かりづらいが、志津見は案外素直な性格をしているようだ。
「あ、ねね!二人ともここのカーテン全部開けられるみたいだよ!」
涼川は唐突にそう言って、黒幕に覆われた窓の方を指差す。
見てみると、黒幕は固定されているわけではなく、リングで取り付けられているようだった。
「じゃあ、開けてみるか?」
俺がそう訊ねると、なぜか乗り気な志津見が口を挟む。
「あ、じゃあ私開ける。凪紗はそっちのお願い」
ここは角にある教室ということもあり、入り口の向かい側、そして右手側の両方に窓が取り付けられているようだった。よって、黒幕もその分あるということだ。
「オッケー、じゃあ一緒に開けよ!せーの!」
涼川の掛け声と共に、二つの黒幕が開かれる。それと同時に、長らくひっそりと佇んでいたであろうこの暗がりに、いつ振りかの光が差し込んだ。
当然、その光は俺の目にも入るわけで、その眩しさに目をやられてしまう。それにしても中々強い西日だな…ここまで俺の目をだめにしてくるとは…
そんなことを思ってると、二人が急に咳き込みだした。
「うわ、まって…埃やばい…」
涼川は慌てた様子で顔を背けた。
「ケホケホ」
志津見も顔をしかめ、小さく咳をした。
どうやら、俺の目をダメにした原因もその埃だったようだ。
「ここのカーテンどんだけ開けてなかったんだよ…ゴホッ」
いや、まじで埃やばいなここ。
「すごいハウスダスト…」
志津見は口元を抑えながら、そう零す。
「…あ、でもここ学校だからスクールダスト?」
そして、小さくそう付け足した。
「もう、この際どっちでも良いよ…とりあえずこの教室は一旦出よう…」
俺がそう言うと、志津見は不満気な表情を見せる。
「どっちでもよくはないけど…」
「藍咲、それは一旦後にしてさ、とりあえず出よ?ね?」
涼川が優しく宥めると、志津見は渋々頷いた。
「スクールダスト…」
そう呟きながら。
……………
「ふぅー、これぐらいで良い感じかな?」
涼川は一つ長い息を吐き、並べた椅子の一つに座った。
あれから俺たちは、舞い上がった埃が治まるのをしばらくの間待ち、その後に軽い掃除を行った。先程までは薄汚れていた教室だったが、ある程度は綺麗になったように思える。
「結構綺麗になって良かった」
志津見もそう言って、涼川の横に腰を下ろす。
一人だけ立ち上がってるというのも変なので、二人と近すぎず遠すぎずの位置に置かれた椅子に、俺も腰掛けた。
「あ、てかもう五時半になるね…二人とも時間平気?」
涼川の手には、例の用紙が握られている。これからの時間はそれに関する話し合いの時間となるだろう。
「私は平気」
「あー俺も大丈夫」
俺みたいなボッチには予定なんかほとんど入ってないからな。予定の無さに関してはかなりの自信を持っている。まあ、全くもって誇れることじゃないんだけど…
「そっか!じゃあこれ今のうちに決めちゃお!」
そう涼川に言われるまま、俺たちは用紙と向き合う。
「活動内容って、俺達の日常を記録に残すみたいなやつだっけ?」
「うん、そうだね〜写真とか動画撮ってそれを保存…とかすればいいのかな…?」
俺の問いかけに涼川は首を傾げ、そのまま考え込む。
「活動内容はそういうのを何となくで書いとけば大丈夫なんじゃない?」
会話を聞いて、志津見も口を挟む。"なんとなく"でいいのか…拘りが強いのか強くないのか絶妙にわからないな…こいつ。
「まあ、そっか!そんなに細かく決めなくても大丈夫だよね」
涼川は顔を明るくさせ、ササッと活動内容の欄を埋めた。
「じゃあ、あとは部活の名前だよね。何か良い感じのありそう?」
「無難に写真部とかでどう?やってることは正にそれだし」
俺はそう提案したが、志津見に待ったをかけられた。
「名前は他と被らない方が良いと思う」
いや、名前には拘るのかよ…拘りポイントがわからんな…
「志津見はなんか良い感じの名前が思いついてたりする?」
俺がそう問うと、志津見は真っ直ぐな瞳でその名を口にした。
「部員日常写真動画記録保存部」
うん、とても長い。あと漢字しかない。
「いや、それ活動内容を単語で表しただけじゃねぇかよ」
だと言うのに、当の本人は言ってやったと言わんばかりの表情だ。
「ちょっと藍咲…」
涼川は必死に笑いを堪えようと口元を抑えた。
そんな涼川を見た志津見は、キョトンとした表情だ。
「少し名前がそのまま過ぎると思うので、却下でお願いします」
俺がそう言うと、それに涼川も続いた。
「ごめん、藍咲。私もちょっとそれはそのまま過ぎると思ったかも…」
俺達から賛同を得られると思っていたのか、志津見は少し落ち込んだ表情を見せた。
「良い名前だと思ったのに…」
やはり志津見の声に抑揚は感じられないが、彼女の純粋な雰囲気は何だか可愛く映った。
ちょっと可哀想だからやっぱり「部員日常写真動画記録保存部」を名前にしてあげた方がいいんじゃないか、なんて気持ちに俺がなっちゃっていることは本人に内緒だ。
それから少しの間があった後、涼川が口火を切った。
「あ、私が今思いついたんだけど、写真部とかよりも柔らかい感じのイメージで"スナップ部"とかはどうかな?」
「それも悪くないかも」
志津見は早くも機嫌を戻していたようで、そこは一安心だ。
「確かに写真部って言うと少しガチッぽいけどスナップ部ってなったら結構柔らかい感じが出て良いかもな」
そう返すと、涼川はまたも表情を明るくさせた。
「だよね!でももう少し何か付け足してもいいかな…」
「じゃあ、部員日常写」
「それは長すぎるから!」
志津見が隙を見計らって言おうとした言葉を、涼川が遮った。
いや、どんだけあの名前気に入ってたんだよ…
「そっか…」
志津見は残念そうな表情だ。あまり大きな変化ではないが、残念そうなのは見て取れた。
「この部活の特徴を捉えられる言葉を何か一つでも付け足せたら嬉しいんだけどなぁ…さっきの以外で藍咲は何か思いつく?」
「…特にない…」
「そっかぁ…花川くんはどう?」
「そうだな…先生が時間を閉じ込めるのがどうのとか言ってたから"タイムスナップ部"とかでどうだ?意味合い的には"時間を切り取る"って感じで」
「え、めっちゃ良いじゃん。私気に入ったかも!」
涼川は目を大きく見開き、そう答えた。
「まあ、悪くない…花川?にしては」
志津見も賛同してくれているようだ。最後の一言が少し余計だが…てか名前忘れないでくれよな。
「じゃあ部の名前は"タイムスナップ部"で決定だね!」
涼川は意気揚々と、用紙にその名を書き込んだ。そしてそれぞれの名前を部員の欄に書き、一通りの記入が終わった。
それから何気なく窓の外を見てみると、夜に足が浸かったかのような空が目に映る。どこかの教室からうっすら聞こえていた楽器の音も、気づけばなくなっていた。
時は十八時半前、下校の時刻は既に目前だ。
「先生まだ学校にいたら、これ今日中に出しちゃった方がいいよね…」
その言葉と共に用紙がひらひらと揺らされる。
「まあ、そうかもな。一応行ってみるか」
俺がそう提案したと同時に、ドアの方から人影が覗いた。
「ごめん、ちょっと入るね〜。今どんな感じになった?」
人影の正体は柚木先生だった。退勤前に少し様子を見に来たのだろう。
「ちょうどさっき書き終わったところです!」
涼川は用紙を手に持ちながら、そう発した。
「お!それは良かった。じゃあその紙は先生が預かるね」
手に取った用紙を、先生は時折頷きながら眺める。
「あ、ちなみに部の名前は花川くんが考えてくれました!」
涼川がそう付け足した。
「あ、いやまあ俺が考えたというか、涼川が出した案に俺が付け足した感じというか、まあ三人で決めましたね…」
「へ〜『タイムスナップ部』ね。青春っぽくて良いじゃん」
先生はそう言って、少しいたずらっぽく笑った。
「…そうすね…」
"青春っぽい"と言われると、何だかムズムズしてしまう。青春=キラキラというイメージは中々拭えないもので、自分の身の丈に合ってないんじゃないか、なんて気持ちになるからな。そして、やはり三次元で耳にする"青春"にうんざりしてしまうような自分がいることも関係しているだろう。
「じゃあ、来週に転入生がきたらこれ生徒会に提出しとくけど、もう今週の内に三人で部活始めちゃっといてね〜。それじゃあ、また明日」
先生はそう言い残して、教室を去っていった。
そういえば転入生が入ってくること完全に忘れてたな。
涼川と志津見とは何となくやっていけそうな気がするんだが…その転入生の性格によっては、やっていけなくなるかもしれない…うん、とにかくその転入生が陽キャではないことを祈るばかりだ。
「そろそろ帰ろっか」
少しの沈黙の中で涼川がそう口火を切った。
俺と志津見だけでは、きっとそのまま沈黙が続いていただろうと思う。そんな状態が苦手な俺にとっては、涼川の存在がとても助かった。
「そうだね」
志津見は静かにそう言い終えると、机にあった荷物をまとめ始めた。そんな姿を見計らい、俺と涼川も帰り支度を始めた。
それから帰り支度を終えた俺たちは、昇降口で別れてそれぞれ帰路についた。
志津見と涼川は二人一緒に学校の最寄り駅の方へ向かっていったが、俺は一人自転車置き場へと向かった。
そしてしばらく歩いていると、静かに鳴く虫の声が俺の耳を小さく震わせていることに気づいた。そんな静響に気が向くような静けさが周囲を纏っている。先程までは三人でいたということもあり、急に静かになったような感覚だ。少し寂しいような感じはしなくもないが、ぼっちの俺にとってはぴったりの空気感だろう。
やっぱりこれが普通だよなぁ…人とあんなに話すなんて本当にいつ振りかって話だし。
空の星を見上げながらそんなことを考え、それから今日一日の出来事を何となく思い浮かべてみる。
えーと…放課後先生に呼び出されて部活入らなきゃいけないって言われて、志津見藍咲っていう涼川の幼馴染と知り合って、志津見とは案外共通点もあるってことを知って、なんか三人で新しい部活を作ることになって、その部活が青春がどうので写真とか動画を記録していくような部活で…
うん、多いな。めちゃめちゃ多いな、今日の出来事。
俺の普段の一日なんて授業受ける、帰るで終わりだぞ。それなのに急に色んなことがあった…。
でも、全体的にぬるっとしていたというか何というか、ゆったり段階を踏んで進んでいったような感じがする。
ここがアニメの世界なら、展開がもっと早くてワクワクしていたりもするんだろうか…多分、俺の意見とか要望は一切聞かれずに、よくわからないところに強制入部させらていたんじゃないかと思う。別にそういうのも悪くはないけど、現実はこれぐらいのスピード感がちょうど良いだろう。まあ、ちょうど良いとは言いつつも、普段とは違う一日でだいぶ疲れたんだけどな。うん、とても疲れた。よし、今日は帰ったらすぐ寝よう。
俺はそう心に決め、ゆっくりと自転車に跨った。
そして家の方へとしばらく進めたところで、季節外れの花を見つけた。
「あ、桜咲いてるじゃん」
今になって花開く桜は異端であると感じざるを得ない。しかし、その姿は確かに凛としていた。
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