終幕

エピローグ


 大正の時代というのは関東大震災から間も無く、西暦一九二六年に終わりを迎えている。

 改元とは時の禁裏きんり薨御こうぎょと共にあるが、後年に大正デモクラシーと称された華やかな時代は僅かな期間でしかなかった。


「ほら、不死衛門」

「ん? ああ、ありがとう鶴の嬢」


 そんな短命の時代、人の世に紛れて多くの人ならざる者というのが確認されている。特に栄華を極めた帝都は正しく坩堝るつぼであり、文明の進みや変革と共に闇が蔓延はびこっていた。


 先の〈霧雨亭〉の件から明けた日に、穏やかな帝都の〈奇妙通り〉では不死衛門と鶴の嬢が隣り合って座る光景があった。

 先まで〈切腹ショウ〉を披露していたからか不死衛門は死装束の姿で、腹部には血の痕がある。


 それを放ったままにしている彼は、鶴の嬢から差し入れられたラムネの瓶を素直に受け取り、それを傾けた。

 咽喉のどを通る爽やかさを堪能しつつガラスの冷たさを感じ、瓶の中程まで飲むと口元からはなして大きくあいきをした。


「げぇっぷ。ふいー、いやぁ爽快だねぇ。特に一仕事の後に飲むのが堪らないよ」

「あなたねぇ、不死衛門……せめて隠すだの抑えるだのしなさいよ、みっともない……隣に別嬪な乙女があるというのに、呆れてしまうのだわ」

「何が乙女だい、それこそ呆れる物言いだよ。実態は千年の時を生きる〈狐〉じゃないか」

「そういうことをいっているんじゃないわよ、せめてそれくらいの配慮や気配りというのをしろといっているのよ。あと恥じらいというやつね」

「正に日本人のそれらしい価値観だなぁ」

「何せ古き日ノ本の存在ですからね」

「ははは、洋装に身を包んでおいてよくいう……」


 穏やかにも程がある〈大正二十年〉の帝都には世を震撼させる程の悪と善の姿がある。

 果たして誰が知ろうか、片や男の方は近代において最強を誇る〈都市伝説〉であり、片や女の方は古の時代から存在する最強の〈九尾の狐〉だった。


 新旧最強を誇る二人は毎度のように軽口を叩きながら景色を見て、その平和な様子に絆されつつ、けれども僅かに眉をひそめながら会話を続ける。


「にしてもやっぱり、この時代に存在する〈スレンダーマン〉は不死不滅の呪縛から脱することができないのかしらね」

「まあ元より数多の伝説と神話があるからね、如何に必殺必死を齎す〈呪い〉や〈怪異〉を喰らったところで、実際のところは無駄なのかもしれない」

「なのに食事は続ける、と」

「ああ、そうとも。無駄であろうとも縋りたくなる程に必死なのさ。産み出された存在が必ずしも己の在り方に納得している訳じゃあない」

「何故にあなたに人格が生まれたのかしらね。結局はこうして〈死〉を求めて大正の時代にまで這いずり回ってくるのだから、それってのは単純にいって――」

「〈死〉のだろうね。それがミームとしての在り方だもの」


 聞き慣れない外国語に鶴の嬢はふくれっ面になる。


「みいむ……とやらは分からないけども、昨夜の〈霧雨亭〉からも窺える通りに、世の人々というのは、同じ種の根絶でも願っているのかしらね」

「さあ、分からないけどさ。それでも僕が僕であるという自覚を抱く限りは、不死不滅からの解放を求めて様々な時代を彷徨うことになる。何せ本能だからね」

「あなたの出鱈目の具合は恐ろしいわねぇ……〈どの時代にも存在していることになっている〉なんて、まるで哲学のようだわよ」


 鶴の嬢の瞳に憐憫れんびんを思わせるような揺らめきがある。

 けれども彼女は不死衛門に視線を向けもせず、高く広い空を見上げた。


「やはり〈呪い〉ね。面白半分で産み出された結果に、あなたは〈呪い〉のそのものになってしまっている。それも人々から向けられているといえるわ」

「まあそうだねぇ。例えば幼児を好むだとか森を産み出すだとか、僕を直視すると死ぬだとか、病を運ぶだとか……不死不滅の為に数多の〈呪い〉が用意されているしね」

「端的にいえば魔や鬼とは縁遠い無垢な存在であっても抗えないし、先の見えぬような深い森とは比喩であって、実態の捉えようがないとして森を産むと喩えられているのだわね。撒き散らす病や直視の〈死〉は最早抵抗の術の全てを奪う為の最悪な後付けよね」

「おまけに瞬間移動も出来るよ。君のように姿を消すことは出来ないけどね」

「こうも〈神懸かり〉にも匹敵する〈呪い〉の集合体といえば、その本能に〈自死〉があるのだから悲しいのだわ」

「そんで探求の道すがら多くの命までをも奪うと。どうだい、後の世の〈呪い〉や〈怪異〉というのは、やはり現象とは呼び難いような理不尽だろう?」

「暇が過ぎれば、平和が過ぎれば、人々はとんでもない〈都市伝説〉を産み出してしまうのね。あなたも人類も、どちらも哀れだわ」


 彼女の言葉に不死衛門は頷きつつも言葉を続ける。


「けれども、絶望にも等しい不死不滅の解呪に微かな望みが生まれた訳だ」

「……それがこの〈大正二十年〉だと」

「うん。そんな時代はね、存在していないんだよ。何度もいっていると思うけどさ、大正の時代は関東大震災から二年もして幕を閉じているんだ」

「それが未だに不思議なのよねぇ、どうにも当事者になると実感がわかないというかね。そうも歪な現象が本当に起こっているのかも分からないし……」

「とはいえ僕こそが歴史を証明する存在でもあるしねぇ。それにその歪な様を物語るように、この帝都には多くの魔や鬼というのが産まれ、歴史上には存在しなかった先の〈霧雨亭〉のような〈都市伝説〉まで産まれてしまう」

「あれも有り得ない歴史の一部だというから、それこそ狐につままれたような気分だわよ」

「ははは、〈狐〉がまた面白いことをいうねぇ。化かされる気分ってのはどんなもんだい?」

「ええ、まったくもっていい気分ではないわよ。そうも笑う物じゃないわよ、この阿呆」


 さて、一部の噂に嘘か誠かも分からないが〈都市伝説〉のように語られるものがある。

 それは時代の歪みと呼ぶべきか、或いは存在しえない空白の時代と呼ぶか、はたまた歴史上から消え去った虚構の時代と呼ぶべきか。


 発祥元は不明だしそれを知る人の数も少ない。


 ただ、例えば関東大震災から以降、近代化が大きく成長したのは事実で、木造建築は姿を消し鉄筋コンクリート造が主流になる。

 また、政治も藩閥はんばつ政治の糾弾きゅうだんを含め民主主義化が進み、近代化の最たる切っ掛けというのがこの関東大震災だったと考える識者も少なくはない。


 破壊の後に再生あり――シヴァ神が如くにそれは表裏一体だった。

 古い時代を一新する為には何か大きな出来事が必要だった訳だが、そんな大変革を齎した関東大震災から以降、再生を果たした帝都が東京には刷新される世に紛れて不可思議なものが多数確認されている。


 その一つとして〈終わらない大正時代〉と呼ばれる〈都市伝説〉があった。


 後の世の人々にとって大正デモクラシーはあまりにも華美に思えて、その時代に思いを馳せるが故に多くの人々の〈呪い〉が大正を終わらせようとしなかったという。


「時代の歪み、ね。有り得もしない歴史の中には〈スレンダーマン〉までもが姿を見せるのだから、成程、正しく災禍さいかの如くだわね」

「正しく禍悪かあく伏魔殿ふくまでん、帝都とは即ち魔都だよ。数多のものが集えばそこに数多の何かしらが集うのは必然さ。今となっては外国人の姿が珍しくはないように、僕らのような人ならざる者がいても誰も気づかないし、或いは気づいていても見過ごしてしまう」

「それが〈大正二十年〉という〈都市伝説〉だと」

「ああ、そうさ。いつの時代の、どこの人々がそれを産み出したかは分からない。謂わば思念によって人々は事実を捻じ曲げるのが常道だ。神と崇められる狐狸こりが元来では獣でしかなかったように、人の思いや願いは根底をも覆すし存在そのものを塗り替える」


 全ては関東大震災が契機となった。

 歴史的に見ても未曾有の大災害だったのは事実で、東京を中心に関東一帯は多大なる被害に苦しみ、失われた命も少なくはない。


 しかし人々は絶望に打ちひしがれてばかりではなかった。

 逞しくも生活環境を取り戻すべく団結し、復興も即座に行われている。


 けれども恐慌があったのもまた事実だった。

 刷新される世というのは実際のところでは闇の部分も少なからず、書くもはばかられるような暗澹あんたんな背景もあった。


 払拭ふっしょくすべく人々は豪奢ごうしゃ絢爛けんらんに帝都を飾り、多くの人々は三大都市に集中し根を下ろすが、大正末葉まつようというのは正しく混沌の時代であり、そこには人の産み出す生命力の、の二つが確かにあった。


 後年、その時代を振り返った時に、現代人には大混迷を極めた大正時代が魅惑的に映った。


 それというのもたったの十五年の歳月に近代化を実現させ、しかして機械的かといえば人の生活の困難や復興に際しては一丸となるような、人の人らしい実態を知り、聞く度に、現代社会の冷めた空気感とは違った様子に憧憬すらも抱く。


 そうして皆は思う。

 もしもその大正時代が長く続いていたら、果たしてそこには何が生まれ、また、何が変化し、人々はそれにどう適応し、進化していくのだろうかと。


 そこには確かに〈大きな力〉が存在していた。

 凡そ十万という命が失われた大災害を乗り越えた時代の人々は間違いなく現代を超越する力を持ち、それを以って世の安寧を取り戻そうとした。


 では、〈その力〉を以ってすれば。

〈近代化を成し遂げる力〉があれば奇跡は起きるかもしれない。


 それこそ終わりを迎えたと思われた大正時代は、もしかしたら現代人の知らぬ内に続いていて、今も尚、その時代に生きる人々はその時代の中に存在しているかもしれない。


 歴史は観測せずに正史とは呼べない。

 だが当事者たちがその内で己等の存在を疑うこともせず、それを当然のように受け入れて生活を続けていれば歴史として成立するだろう。


 それが現代に生きる人々が願い、憧れた〈大正二十年〉という〈都市伝説〉だった。


 或いはそれを別の世界線と呼べるかもしれないし、別の時間軸とも呼べるかもしれない。

 いずれにせよ、その大正時代というのは人々の望む通りに続いていた。


 この〈大正二十年〉という時代にその時代の人々は生活をしていて、近代化を続け、夢幻むげんにも等しい様々な力が織りなす奇跡の時代に数多の思念が集い、それを糧として様々な〈呪い〉や〈怪異〉までもが姿を見せる。


 何せ〈大正二十年〉という幻の時代は人々の思念により産み出されたのだから、そこに同じような思念から産み落とされた〈呪い〉や〈怪異〉が産まれるのも自然なことだった。


〈怪談〉も含め、魔や鬼を産み、それを名付けるのはいつだって人類だ。


 それを〈呪い〉と呼ぶも〈怪異〉と呼ぶも〈都市伝説〉と呼ぶも、それはその時代の人々が下す判断で、故に関東大震災を契機として再生される世に多くの魔や鬼が紛れ、また、そこに〈霧雨亭〉のような、後の時代でのみ通用するような時代を違えた情報すらもが紛れても自然に思えるのは、やはり大正時代が大混迷を極めたような、正しく栄華の只中にある花の時代だからだろう。


「まったく、何をそうも大正の時代に追い求めるのやらね。実際では混沌としていて忙しないし、自由意思なんて言葉でしかないし、平等の精神だって嘘っぱちなのだわ」

「だけれども、そこにこそ憧憬が生まれるんだろう。人は己の環境にないものを欲しがるものだろう? かつ、たったの十五年で幕を閉じた大正時代というのは実に都合がよいじゃあないか。故にそこに浪漫が生まれるのさ」

「大正ロマンとかいうやつだったかしらね。とはいえその浪漫も無駄に長引けば辟易してしまうものよ。或いは禍悪に溢れようと、それが常となればまた同じくだわね」

「つまり、さっぱりと終わる方がよし、と?」

「故に儚さが生まれるのよ」

「正に日本人らしい感覚だねぇ」

「それが美徳なのよ。わびさびというやつだわね」

「亡びの美学かい?」

「いいえ、幕引きというのはそのくらいが丁度いいのだわ。尾を引く程ではくどくて仕方がないのだからね」


 鶴の嬢が立ち上がり、それを不死衛門は見上げる。

 そうして手を差し伸べられ、彼はほんの少しだけ戸惑った後にそれを掴み「まるで逆じゃないか」と笑いながら立ち上がった。


「そんなもんだから……さて不死衛門。先日から立て続けに申し訳ないのだけどね」

「いやいや待ってくれ、嫌な予感がするぞ……ああそうだ、そもそもだ、あれ程に食にがめつい君が僕にラムネをタダでくれる訳がないじゃあないか。糞、やられたぞこれは……」

「っとに失礼だわねぇ、このすっとこどっこいは。もう少し喜びなさいよ、もしかしたら今度こそあなたの不死不滅は消えるかもしれないじゃないのよ」

「君はそれを言い訳に〈僕を使役して魔や鬼の殲滅をせんとしている〉だけだろう。その民草に対する庇護欲どうにかならんのかい、まるで〈狐〉らしからぬよ」

「だって〈それがあたし〉なのだわ。だったら当然に都合のよいあなたを利用するのだわよ」

「はあ、まったくもって難儀だ……」


 存在しない筈の〈大正二十年〉、〈呪い〉や〈怪異〉の出現にいとまはなく枚挙まいきょに尽きぬ。

 そんな麻の如くみだる世のちまたに暗躍する男と女の姿があった。


 不死不滅を誇る男を不死衛門、悪鬼羅刹を葬るべく妖刀を振るう女を鶴の嬢と呼んだ。


〈呪い〉や〈怪異〉と呼ばれるものを二人は追い求め、数多の魔や鬼を喰らい、或いは斬り裂き、混沌とする大正時代の闇を駆け抜けていく。


「さあ本日もしっかりと働いてもらうのだわよ、不死衛門。何せこの歪みの時代には多くの闇が溢れているのだからね」

「へーへー、分かりましたとも……それじゃあ毎度の如く、今回の要件というのを聞こうじゃないか、鶴の嬢?」


 そんな二人の姿はやはり正史に記されることもなく、これもまた一つの〈都市伝説〉として一部でのみささやかれるものだった。


 ただ、もしもこの二人の伝説が真実であるならば、或いはこの二人の存在があったからこそに現代という時代まで〈都市伝説〉が持て囃され、娯楽が如くに人々の間で楽しまれているのかもしれない。



 終

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