其の五


「……は?」


 不死衛門の言葉に〈霧雨亭〉は首を傾げる。


「歴史上に存在しない? 何をいっているのだ、貴様は? この時代は間違いなく大正の世だろう? 明治から続く――〈先の関東大震災を乗り越えた大正時代〉だろう?」

「……確かに、〈この時代は〉間違いなく大正の世であり、だよ。けれどもね……大正時代は十五年で終わっているんだよ。君の得意とした〈都市伝説〉も、ずっと先の時代――〈昭和末期の流行り〉だし、それが紛れ込んでしまう程に、〈存在しない筈の情報すらも介在する程に歪な世界〉なんだ」


〈霧雨亭〉は困惑の表情だった。

 何せ彼はこの時代しか知らない。彼が出現した大正の時代のことしか分からず、正史を知るのは唯一全ての時代を知る〈スレンダーマン〉のみ。


 だがそれ故に不死衛門は時代の歪みを証明することができる。

 何故ならば彼は〈全ての時間軸に存在する〉し、だからこそ本来ならば存在しない歴史にすら出現することができる。


「分からないだろうね。けど仕方ないことだ。君も確かに僕のような〈人々の思念から生まれた都市伝説〉だとしても、その存在意義がまるで違う。所詮は〈呪い〉や〈怪異〉を人の世に拡散する程度の役割しか期待されない〈都市伝説〉だ」


 完結したようにいう不死衛門だったが、やはり〈霧雨亭〉は理解が出来ないままに疑問符を浮かべていた。


「まあなんだ、つまりはね、この世の中には絶望しかない訳じゃないということさ。人々は僕のような出鱈目を産み出すことが出来る訳だけど、それはつまり〈人の思念というのはあり得る訳のない事象までもが実現可能〉で、そこには人々の思う憧憬やらに紛れて〈呪い〉や〈怪異〉なんかも発生するんだよ。何せ同じく思念から生まれる同士だからね」


 不死衛門は〈霧雨亭〉に肉薄する。

 彼の背後に生える無限の触手が蠢き、それらの穂先ほさきは〈霧雨亭〉へと向かい、不死衛門の両手が〈霧雨亭〉の頭を掴んだ。


「そして君も同じくだ。存在しえない情報が存在しない〈大正二十年〉などという世界に出現した事実。それというのはだ、〈霧雨亭〉……この出鱈目の極まったような世界であるならば、或いは〈それ〉が叶うのではないかと思うんだ。故に僕はこの時代にやってきたんだ」


 一度言葉を切ると、彼は確信したように断言した。


「この〈大正二十年〉という世界ならば〈不死不滅をも凌駕する絶対消滅〉が叶う筈だとね」


 彼の言葉に窓辺に立つ鶴の嬢の瞳が赤く輝いた。

 乙女は不死衛門を一瞥いちべつすると呆れたような顔をするが、それでも否定するでもなく視線は窓の外へと向かう。


 月の輝きが増してきて、対峙する〈スレンダーマン〉と〈霧雨亭〉は終ぞ終幕の時を迎えようとしていた。

 絶望と困惑で表情の歪んだ〈霧雨亭〉を観察しつつ、最早疎通に意味はないと判断した不死衛門は、全身から沸き立つ殺意を解放し、三日月に罅割れた口を最大限に開いた。


「然らばこれで終わりだ、〈霧雨亭〉。哀れなる〈都市伝説〉の君よ……死ね」


 轟と烈しい音の後に骨の軋むような、或いは噛み砕くような音が響き渡る。

 頭部を失い褥に転がるのは大正の帝都で人気を博した噺家〈霧雨亭〉の胴体だった。


 糸の切れた人形のようになってしまった彼の身体を見下ろしつつ、いつものような和装の姿になっていた不死衛門は鮮血に塗れたまま残る身体へと食指しょくしを伸ばす。


 それは食事の光景だった。


 彼は〈人の意思により形作られた呪い、怪異、都市伝説〉を喰らうことを目的としていた。

 その食事の意味合いとは〈呪い〉や〈怪異〉が持つ〈死〉を摂取することで、彼は不死不滅の存在である自身に毒を取り込むようにして世に蔓延る人ならざる者を喰らう。


 それは己の運命に抵抗するかのようで、一心不乱になって〈死〉を喰らう不死衛門は幾度も咳を繰り返し、嘔吐えずくのに、尚も手を止めずに〈霧雨亭〉を喰らう。


 それを見つめる鶴の嬢は哀れみによるものか、少しばかり悲しそうな顔になる。

 だがそれもほんの少しのことで、彼女は毎度のように高飛車な態度を取り繕い、呆れた物言いで不死衛門に語りかけた。


「まったくもってむごい光景だこと。これを食事と呼ぶのだからあなたの感性というのは歪なのだわ、不死衛門」

「おぇっ、げほげほっ……うぅん、まあ仕方がないよ。食事というかなんというか、まあ、僕はこいつを形作っている〈死〉を喰っている訳でだねぇ……もぐもぐ」

「これだから〈都市伝説〉とかいう連中は理解できないのだわ。あたし達の時代にあなたのような化け物はいなかったから、尚のことに歪で、そう、宛らに共食いのような……」


 鶴の嬢は傍にある窓辺から夜空を見上げると浮かんでいる月を見る。

 今宵の月は妙に明るくて、射し込む月光が血に塗れた室内を照らす。


 その最中に彼女は何かを思い出したかのような素振りをみせて、月を見上げながらにこういった。


同物同治どうぶつどうちというやつかしらね、あなたのそれは」


 仮に大層な理由があるとしても同じ存在を喰らうというのは普通とは呼び難い。

 だが人の歴史にはそういった、謂わば共食いのような食文化もあった。


 ではこの男というのは正しく人のように共食いをするのだから、やはりその正体というのは人の意思により産み出された哀れなる〈呪い〉であり〈怪異〉なのだと、乙女はそう結論した。

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