其の四
「殺すのか、私を」
「ああ、殺す」
「迷いは消えたと」
「元より君の
「ははは……普通に考えてだ、まさか地獄から生還できる存在などいないだろう」
「普通ならそうだろう。だが残念ながらに僕はそれには含まれないし、鶴の嬢も同じくだ」
「……彼女等をどうしたのかね、不死衛門。私の自信作だった〈お憑かれ様〉は」
「全て喰らってやったよ。大した程度じゃない。必殺必死〈だけ〉では僕には勝てんよ」
「〈だけ〉か、ははは……どうやったら貴様は死ぬのだろうかな」
「残念ながらに僕は不死不滅だ。故に僕を亡ぼすというのは非常に難しいんだ、〈霧雨亭〉」
「故に地獄から生還することも可能だと。必殺必死をも無効化出来るのだと」
「ああ、そうだよ」
「そうまでに歪な〈怪異〉もいるものなのか。或いは〈神〉にも等しいのではないか」
「どうかな、〈神〉であるならば僕も悩むことはなかったかもしれないねぇ」
「悩む? 悩みがあると?」
「ああ、結構な悩みでね。それ故に〈この時代〉にまで這いずってくることになったからねぇ」
「それというのは、一体なんだ? 貴様をもして悩む事柄というのは――」
「〈死〉の
不死衛門の白面に亀裂が走り、それは口の形になる。
大きな三日月のような口が開くと、〈霧雨亭〉はその中身を見て言葉を失った。
「そうか……それはまた何とも哀れだ。そしてこれは何とも
そこに〈不死衛門の実態〉があると彼は悟った。
深淵を思わせる程の暗黒が不死衛門の中には広がっていた。
その暗黒というのは闇のような実態不明ではなく、よく見ればそれは〈文字が幾重にも連なり、海のように広がり、溢れ返っている様子〉なのだと〈霧雨亭〉は理解した。
「これが貴様なのか、不死衛門。この〈溢れる程の情報の塊が貴様を形作るもの〉なのか」
「ああ、そうだよ〈霧雨亭〉。僕という存在はね……〈人々の思念そのもの〉さ」
無限のように広がる文字の海は正しく情報の塊で、〈スレンダーマン〉を構築するそれらは人々の思念の集合体と呼べた。
その真実を聞き、そして間近で見た〈霧雨亭〉は氷解した顔になる。
「では貴様は……〈死ねない〉のではないか。この溢れる程の情報の海が貴様の実態だとするのならば、それは即ち、貴様を産み落とした人々や、或いは貴様を知る人々から〈貴様に通ずる全ての情報〉を消さなければならないだろう。それはどう考えても不可能ではないか」
「そう思うだろう。僕もそう思うよ。何せ僕を知る全ての人類を殺して回るとなったら骨が折れるどころじゃない。億を超える数の人々を殺す羽目になる。僕は〈全ての時代に存在している〉ことになっているし〈正確な
「ならば何故に〈死〉を求める? 何故に実現不可能だと分かっていながら貴様は抗う?」
不死衛門はいった。己には望むことがあると。
それは〈死〉の渇望であり、つまり彼は、不死不滅の身であるにもかかわらず――
「死にたいからさ」
彼には〈
それは誰に付与されたものではなく、そもそもが最強無敵の〈都市伝説〉として求められた彼であるからしてあり得る訳がない望みだった。
「〈霧雨亭〉……何故に僕が先の〈千鳥ヶ淵〉に共感できなかったか、分かるかい」
三日月のような口から言葉が生まれ、それを聞く〈霧雨亭〉は静かに首を横に振るう。
彼にとって不死衛門という存在は、最早理解の及ばない位置にあった。
不死不滅であり必殺必死を持ち、数多もの人々の思念により生み出された怪物は、実際に最強無敵であり、それらの事実からして〈自死〉の願いを抱く理由というのが見当たらない。
何せ脅威が存在しないし、人の世で生きるにせよ持ち前の理不尽を以ってすれば生活に困ることはないし、ほとんどの事柄を意のままにできてしまえる。
それは夢物語に等しくて、きっと〈誰もが憧れるような特別〉だった。
だのに不死衛門はそれを否定するように首を横に振ると、彼は〈霧雨亭〉が産み出した名作〈千鳥ヶ淵〉を語った。
「人々は乙女等の〈死〉を美徳のように感じていたけどさ、僕は違うように思えたんだ」
感情の一つも浮かばない筈の能面だが、不思議と悲哀のようなものを〈霧雨亭〉は感じる。それは紛れもなく目の前の化け物が抱く感情だろうと彼は思った。
「だってさ、永劫を誓う程の愛を交わした恋人の死をさ、許せる訳がないだろう。例え同じ拍子で飛び込んで心中するとはいえ、実際に互いは死んでしまうんだよ。それって許せることじゃないんじゃないかな。だって、愛ってのは……〈失いたくないという気持ちの答え〉だろう?」
不死衛門は静かに言葉を続ける。
「確かに生きていれば困難は多くあるだろう。元より噺の時代背景からして自由恋愛というのは有り得ないし、そもそも女子同士の恋愛というのは世情からすれば認め難い程の異端だろう。けれど……そんな絶望の数多に背を向けて、互いの〈死〉も仕方なしと受け入れられる程に、乙女等の恋や愛はシンプルじゃない筈だろう」
分かるかい、と不死衛門はいう。
「人の模様はもっと複雑で、諦めが悪くて、必死で、呆れるような足掻きというのがある。どうにかしてでも成し遂げたい気持ちがある。例え数多の困難があって、それが実現不可能に思えても、世情から疎ましく思われても、それでも永劫を誓う程に互いを愛する乙女等であるのならば……来世での再会を望む以前に、今世での幸福を渇望して、それを実現すべく全身全霊を賭して絶望に抗う筈じゃないのか。それが失いたくないという気持ちであり、愛情の全てだろう。それくらい必死になるからこそ乙女等は永劫を誓った筈だ」
果たして産み落とされた存在に自我があるかは不明だ。
けれども、不死衛門という存在は正しくそれその物だった。
彼にとって世の人々の思う悲恋の美しさなどというものは、糞程の輝きすらもない、実に都合のよい結末に思えた。
もっと必死に抗い、数多の障害を粉砕すべきだと思った。
死することで来世に逃げずに、例え人ならざる所業だろうと、それが人道に
物語を終えるのはもっと先でいい。
例え終わりの見えない戦いだとしても、屈する程度の愛情であるならば何も美しくないと不死衛門は思った。
「きっと乙女等は生きたかったと僕は思う。乙女等の〈死〉を乙女等は望んでいなかった筈だ。乙女等の〈死〉を望んだのは、それを美しいと感じるこの世界そのものであり、人々だ」
故に不死衛門は納得しないままで、受け入れ難かった。
何せ彼は〈それ〉を誰よりも痛感する立場であるからだ。
己が望みもしない理想や願いを押し付けられ、それを体現することを求められ、超越した存在として産み落とされた己という存在にそれ以外の存在理由はないのだと――〈創作物に意思も願いもあってはならない〉のだと、そういう形として産み落とされた唯一の化け物だからだ。
「不死不滅だの必殺必死だのを望んで、それを勝手に押し付けて、数多の〈呪い〉を授けられて、最強無敵の〈怪異〉に成り果てて……そうして手にしたものは何だと思う、〈霧雨亭〉」
不死衛門の問いに〈霧雨亭〉は何も答えられなかった。想像にも及ばないからだ。
何せそれを知るのはこの世界でただの一人のみ。
数多の出鱈目から産み落とされたのは不死衛門がただ一人のみ。
故に彼は答えを口にする。
「〈無〉だよ。何も……〈何もない〉のさ」
それは、無感情で、冷徹で、静かに絞り出された真実だった。
「最早誰も僕に近づくことはできないし、僕の存在は全ての時代に介在しているから〈僕という個を確立することも証明することも不可能〉になってしまっている。それというのはさ、本当に存在しているといえるのかい。僕を決定づけるものはどこにある、誰が知る。僕自身が僕自身を認めたところで〈死〉を撒き散らすが故に孤独を強いられ、誰かの記憶に残れども記録に残ることもなく、忘れ去られるのと同じく僕を知る人物はいつか死に、そうしてまた僕は〈死〉を振りまきながらに森を引き連れて数多の時代を彷徨うことになる。それを延々と繰り返すことはさ……生き地獄と呼ぶような、絶望の繰り返しではないかい」
それが自我を抱き、数多の理不尽を付与され、人々の思うところの最恐最悪の存在として世に産み出された〈スレンダーマン〉の心の裡だった。
何故に彼が自我を持つのか、いつから自我を抱いたのかは不明だし誰にも分からない。
だが彼はそれを持って産まれてきた。
世に存在した瞬間から伝説と神話を用意され、その結果に己の存在が〈無〉を強いられる結果になると理解したが為に、呪縛にも等しい不死不滅から脱する為に彼は数多の時代を渡り歩いてきた。
それらの行動の全てが〈与えられた設定をなぞる形〉だと気づきながらも、それでも彼は構わずに彷徨い続ける。
行く先々で〈死〉を振りまくことになろうとも、それにより孤独を強いられる形になろうとも、彼は〈死〉を求めて〈死〉を振りまき、歩き続ける。
そうして辿り着いたこの大正の時代に彼は存在していた。
混迷の極まる大変革の時代に。
花の時代と呼ばれた時代に。
誰もが
「この〈大正二十年〉という〈歴史上に存在しない時代〉に僕らは現れたんだよ、〈霧雨亭〉」
――存在しない虚構の時代に、彼は〈死〉を求めてやってきた。
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