其の六


 不死衛門が目にした文は一種の〈呪詛〉と呼ばれるものだった。

 目的というのも多岐に渡るが、彼の身に降りかかったものというのは災厄にも等しい純粋な〈呪い〉の力だった。


 文章を読むだけでは意味を持たないが、重要なことはにあった。

 妙な改行も含め文体から察するに、先の文章というのは〈段落の頭を繋げる〉ことで〈呪い〉として発動する。


 不死衛門はその意図を理解してしまった。

 実態は〈これを呼んだ人物に目のない少女がやってくる〉というものだったが、ではその少女というのがどういった存在であるかだ。


 ここで文の内容が重要になってくる。


 盲目の少女の正体とは人ならざる存在であり、少女は登場人物に「葬式の最中に云々」と語りかけた――これは〈声掛け〉を意味する。

 後に電話先から響いた人ならざる存在の笑い声も含め、それは常世とこよではなく幽世かくりよの存在を直接に思わせるような暗喩メタファーだ。


 物語の中でも主人公の少女はそれに気が付き、急ぎその場から逃げたが時すでに遅く、つまりは〈電話が繋がったこと自体が奈落と通じたことを意味する〉為に逃れようはなかった。


 不死衛門も同じくそれを理解したが為に〈呪い〉は発動し、不死衛門は幽世――地獄へと招かれることになってしまった。


「げほぉっ……はぁ、あな恐ろしや、といったところだろうかな……しかしよもやの〈声掛け〉からとは、今時の流行りの噺家が作るにしては古風な内容じゃあないか。温故知新とは正しく、故に相応に〈呪い〉としての機能は確実性を増すといったところかな。古くから続くやり取りは様式にも等しいし、人の世の感覚に根付くものだ……げほげほっ」


 果たして彼に意識はあった。

 普通に考えれば人の身であの世へ参るとなれば命を奪われるも同然だが、真実、彼は人ではない。

 結果的に深淵に引きずり込まれることになってしまったが、不死衛門は特に困った様子もなく、闇の中に立つと周囲を見渡した。


「ふむ……先の〈四階で御座います〉もそうだけど、やっぱり直接に〈死〉を齎す〈呪い〉ばかりか。必殺必死となると通常の人に抗う術はないだろうし、凶悪なのは間違いないね……いやはや、まったくもって〈合理的〉だねぇ。こりゃ鶴の嬢は呆れ返っているかもなぁ」


 鶴の嬢の焦りや怒りの程も当然だろうかと不死衛門は思う。

 闇の中で呟きつつ「ではどうしたものか」と彼は悩んだ。


 恐らく天地左右という概念はないだろうし、前進も後進も意味をなさないだろう。かといって行動をしないというのも手持ち無沙汰で、彼は鈍い咳を零すと周囲を見渡した。


「先は複数の童に取り囲まれて、というよりしがみ付かれてここへと招かれた訳だけど、それらの姿もないしなぁ……げほげほっ、げほぉっ……」


 咳をする彼の表情は先よりも青白く、普段より不健康な様子が更に危うい風に見える。

 それもまた〈呪い〉の齎す効果かもしれないが、ところが彼の表情は青白いものの、そこに緊張や焦燥といったものはないし、どころか呑気な風にも見えて、地獄に落ちたというのにあまりにも自然体過ぎた。


「しっかしなぁ、よもやとは思うけどあの霧雨亭とかいう奴、自覚がないのかなぁ……まるで己は通常であるかのような物言いだったけども――」


「何故にあなたはそうも平然としているの?」

「へっ」


 疑問に首を捻る彼の眼前に突然に少女が出現し、不死衛門は少女と真正面から見合った。 

 少女の顔に瞳はなく、血涙を垂れ流し、口角は裂けたかのように耳元にまで達している。


 少女を視界に捉えると同時に不死衛門も同じく血涙を零す。

 それはとめどなく溢れ、彼の視界はあやふやになり、平衡感覚すらも失われていった。


「何かしらね、様子からして人ではないのは分かるけれども」

「かといって凶悪な妖のようにも見えないわね」

「うん、可笑しいね。古い時代の〈怪異〉なのかな?」

「それにしても脆そうに見えるけど」

「仕方ないわよ、何せ古い存在だもの」

「そうよ、私たちのような新時代の〈呪い〉や〈怪異〉には手も足も出ないわよ」


 そんな彼の周囲に同じ姿をした少女達が姿を現す。やはり顔や身体のつくりは同じで、複製された人形のようにそれらは幾らも溢れてくる。


 不死衛門の咳に血が混じった。ついで血の塊が喉の奥から押し上げてきて、彼は堪らずにそれを吐き出してしまう。


「げぇっほ……おえぇ! まったく、なんて光景だい……よもや少女の群れに取り囲まれるだなんて、その道の変態からすればある意味では極楽じゃあないか」

「あら、あなたもそういった度し難い癖を持つ〈怪異〉なの?」

「いやいや、そんな趣味はないけどね……げほっ、おえぇっ……」


 既に不死衛門は瀕死の状態だった。

 外傷の一つもないのにもかかわらず全身は血塗れになっていて、視界は赤く染まり上がり呼吸の間隔は不規則になる。


「けれども限界が近い様子ね、あなた」

「う、おっ――」


 そんな彼の頭を一人の少女が撫でた。

 まるで幼子をあやすかのようで、その挙動によって不死衛門の全身が震え始める。


「うふふ、もう無理かしら」

「かもしれないわね。何せ私たちというのは〈死〉のそのものなのだから」

「そうね、如何に〈怪異〉であれども直接に触れられるとあれば亡びるも同義ね」

「かわいそうね、古い存在というのは」

「所詮は〈脅す〉だとかして人々を恐怖に陥れるだけしか能がないのだもの」

「対して私たちは人々を確実に〈死〉へと誘う存在」

「元来の地力も含めて、その差というのは歴然よね。くすくす……」


 少女達が笑い、全身で震える不死衛門は言葉を発する余裕もなく膝をついた。


「が、がが、ぐぶぶっ……」

「ふふふ……もうまともに喋れないね? ねえ、これまで〈呪い〉や〈怪異〉として人々に恐れられてきたであろうあなたの心境はどうなっているの? それ相応の自負や矜持きょうじがあるのでしょう? それらすらも容易く粉砕されるというのはどれ程の無力感かしら?」


 言葉を失う程に不死衛門は口を震わせ、彼の両目が赤黒く変色し、少しもせず両目は大袈裟な音を発して爆ぜた。

 その衝撃と痛みによって一度大きく跳ね上がった不死衛門は、咽喉の奥からどす黒い鮮血を垂れ流すと膝をついたままに天を仰ぐ。


 人でいうところの惨死かのようだった。

 少女達は抱腹する勢いで笑い始めると、一斉に不死衛門へと飛び掛かり、全身から滴る血液をねぶり、爆ぜた眼球や彼の四肢へと齧り付く。


「うふふ、うふふ! もう死ぬのね? ならその血肉を頂戴!」

「あ、ねえ、その目玉の一つをお寄越しよ!」

「ダメよ、目というのは二つで一つなのだから! あげないわよ!」

「あはは、ほら見て、腕がとれたわよ! もう一本ももいでしまいましょうよ!」

「じゃあ引っ張るわよ! 一、二の、三!」


 異音が幾つも生まれる。

 音がする度に腕だとか脚だとか、不死衛門を形作る肉体の部分が引きちぎられたり、潰されたり、踏み砕かれていく。


 不死衛門は無抵抗だった。何せ行動の一つも儘ならぬ程だった。


 曰くは〈死〉の顕現けんげんだと称する少女達に触れられるというのは、事実として〈死〉に直面することになる。

 如何に人ならざる存在だとしても、流石に地獄へと招かれ〈死〉に嬲られてしまえば意味を失い亡びるのも仕方のないことだった。


 少女達は遊びの感覚で不死衛門を殺し尽くそうとする。

 やがて四肢を失い臓腑までをも食い散らかされた不死衛門は自身から溢れた血潮の産湯の中に転がり、それを少女達が見下ろして湯潅ゆかんのようだと笑っている。


「ああ、哀れだこと。なんたる無様……これもまた〈怪異〉だとするならば私たちと同格のような顔をしてほしくないわね」

「まったくよ、老いぼれの〈怪異〉は他者を殺める力すらないのよ? 今時に〈脅す〉だとか、そんなことを目的としていたんじゃあ時代に掻き消されるだけなのに」

「だから消えていくんじゃないの。多くの古いそれらは人々に忘れ去られて滅びゆく運命じゃない? 古びた寺社のそれ等と同じくにね。信仰を失えばそれに意味なんてなくなるんだから」

「じゃあこの男も同じね、人々に忘れ去られたり、私たちのような新時代の〈都市伝説〉に淘汰とうたされる存在なのよ、あはは! 愉快ね、愉快! なんとも無様!」


 少女達は嘲笑あざわらう。

 だがそれは世の摂理であり、何も〈呪い〉や〈怪異〉に限らず、万象ばんしょうに通じることだった。

 古い時代のものを遺物と呼ぶとして、それらはいずれ人の記憶からも消え去り、信仰を失い、やがては意味を失い、世に留まることすら出来なくなる。


「では……哀れなる最期に訊いてあげましょうか、ふふ、うふふ」


 一人の少女が四肢を失い地に横たわるだけの不死衛門へと近付き、顔を覗き込んで問う。


 それは情けでもなんでもない、戯れでしかない。単に亡ぼすのでは面白みがない。

 然らば過去に名を馳せたであろう〈怪異〉の名を聞いてから息の根を止めようとしていた。


「ねえ、お兄さん……〈あなたはだぁれ?〉」


――その問いかけは〈呪い〉だった。

〈人が人と対する時に交わす約束事〉でもあった。


 彼女達は真の意味を理解していない。

 それでも遊びの感覚から彼女達は嘲りに言葉を紡ぐ。


 もしも彼女達が歳若く、つたない存在でなければ、或いは古の知識や〈呪い〉に精通していたならば、この後に待ち受ける数多の絶望と〈死〉という恐怖の全てを、必殺必死を誇る自身等の〈確定された死の状況〉を覆すことができたかもしれない。


 だが時は満ちた。

 彼女達の内の一人は、憎らしいまでの笑みを浮かべながら言葉にしてしまった。


「は、はは、はははっ……まるで新旧対決のような思い違いをするものだなぁ……」

「え……? あなた、まだ意識が……?」 


 この少女達というのは古い時代の〈怪異〉の往々とは違い〈死〉が確定された必殺必死を誇る〈都市伝説〉だった。


 かつての時代にはなかった理不尽のその物であり、近代化を果たしたが故に人々の〈死〉に対する意識が〈現象ではなく理不尽が齎すもの〉だという風に変化を果たしたといえる。つまりは受け入れ難い事象のその物ということだった。


 そもそも〈死〉を齎す代表格といえば当然ながらに〈死神〉の存在が挙げられる。

 これは神の名を冠する通りに神聖な存在として古くから信仰の対象だったが、時の進みと共に悪しき存在として扱われ、近代にもなると〈悪魔〉に等しい存在として認識されている。


 近代化に伴う人々の意識の変化というのは、もしかしたら傲慢のそのものにも思えるが、しかしそれ故に人々は恐ろしい物を多く産み出してきた。


「え……? ちょっと、嘘でしょう? もう動けないはずじゃないのよ!」

「笑ってる……笑ってるわよ、そいつ……!」

「黒いもやが渦になってそいつを包んでる! 変だわ、何かが違う、そいつ、違う!」

「どうしてよ、散々に殺し尽くしたのに! 存在そのものを保てる訳がないのに!」


 必殺必死の化け物としてよく名が挙がるのはバジリスクだ。

 端的にいえば遭遇すれば確実に死ぬ。

 視界に捉えれば石化し、鳴き声を聞くと死ぬ。

 仮に槍や剣で遠間から攻撃しても、今度はその武器を経由して本人が死ぬ。

 統合して理不尽の体現だ。あまりにも出鱈目な化け物だと誰もが思う。


 他にもメリーさんに八尺様にくねくねにてけてけにヤマノケと、遭遇すると死ぬ、人間性を失う等、近代の〈都市伝説〉の往々は実に分かりやすいまでに理不尽だ。


 メリーさんに至っては電話を受けた瞬間に〈死〉が確定するし、八尺様に見初められたら奇跡を願う以外に術はなくなる。


 くねくねやヤマノケなんかはさらに分かり易い。超常的な存在に匹敵する程で、最早太刀打ちのしようもないと諦めが即座に過る。

 そもそも視界に捉えるだとか存在に気がつくだけで人間性の喪失は確定されてしまうのだから、これを理不尽と呼ばずして何と呼ぶのかと疑問すら浮かぶ。


 間違いなくそれらは〈死〉の顕在だと呼べる。

 近付いたり触れたり、或いは〈死〉の方から迫れば、やはり人に成す術というのはないのだと語るかのようだった。


 だが、それらを生み出したのは、他でもない人類だ。


 恐怖を娯楽とするのに、人々は〈死〉に抗う術を己等の手で消し去り、全てを理不尽のあるがままに仕立て上げてきた。


 ではそんな近代〈都市伝説〉において、最も恐ろしいとされる存在は何だろうか。

 圧倒的理不尽が前提にある近代の〈怪異〉は、そのほとんどに対処の術がない。

 そんな出鱈目を妄想し、創造してきた人々が辿り着いた恐怖の象徴とは何か。


「いやはや誠、恐ろしい限りだよね、君等のような〈都市伝説〉とかいう最先端の〈呪い〉や〈怪異〉というのは。そうまでして人を〈死〉に追いやらねばならん程に、人は人という生き物が愚かだというのを実感しているのかもしれないね」


「あなたは誰ですか」と問うことは即ち、対する存在の正体を訊くことだった。


 少女達は己等が〈呪い〉であり〈怪異〉であることを自覚しているだろうに、それが〈相手の真の姿を問う行為〉であるという自覚がなかった。


 だがそれもまた仕方がなく、曰くは歳若い〈都市伝説〉は必殺必死を誇りはすれども、その歴史というのはあまりにも浅く、拙かった。


「夕闇に佇む人物を〈かれ〉と問うように、正体の知れない人物を呼ぶ時というのは直接であってはいけない。何せそれが〈何という存在であるかを知らない〉ということは〈対処のしようもなく相対してしまうことになる〉からだ」


 果たして彼女等はそういった〈呪い〉を知る由もなかった。

 それは古くから紡がれる人々でいうところの挨拶であり、儀式であり、様式でもあったからだ。

 故に最新の〈怪異〉である彼女達は大きな間違いを犯す結果になってしまった。


「では答えようか。僕とは何者であるか、だが……」


 漆黒の枝垂しだやなぎのような枝葉が、四肢を失い、地を這うだけだった不死衛門の全身から突如として伸び始める。


 更には彼の食い散らかされた体躯たいくが、これもまた漆黒の色合いに染まり上がり、元来着込んでいた和服が姿を消した。


 原型を留めぬ程に崩れていた頭蓋も形を取り戻していくと、暗黒の靄に包まれたままに不死衛門は立ち上がった。


「なに、なんなの、あなたは」


 歪な音が響き渡る中、彼を中心に少女達は後退る。

 先までの和服を着込んだ顔色の悪い大男は、もう、どこにもいない。

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