其の三
引き揚げられた二名の遺体はうら若き乙女達だった。
共に同じ服装に装飾品を身に着けていて恋仲の関係であることは明白だった。
集まった人々は水で膨れ上がった
「
二人は先の御堀から少し離れた場所を歩いていた。
先導するのはやはり鶴の嬢で、どうやら赴く場所があるらしい。
それに黙ってついていく不死衛門は先の恋人達を思い出す。
「曰くは来世思想に由来するものらしいわよ。輪廻転生というやつね」
「宗教的だね。戦国時代に流行ったらしい極楽浄土の謳い文句を思い出すよ」
「別に詳しい訳じゃないでしょうに……それは
「ああ、それか。あの信長公が手を焼く程だから、それってのはよっぽど力があるのだね」
「それってのは宗教を指すのかしら?」
「いやあ、それを含めた信仰だとか、人の感情に直結するであろう理念だよ」
「曰くは本願寺さえ戦に参加しなければ天下布武は十年も短縮出来たそうよ。信長もさぞ苛立ったでしょうね」
「まるで見てきたかのような物言いだなぁ」
「見ちゃあいないわよ。聞いて知った程度だわね」
「ふぅん……」
「ただね、宗教的というよりは彼女達の行動は
「へえ、気ままに死んだって?」
「それを美徳とする世の風潮に
「また辛辣な物言いだな……いやまぁそうか、君は〈そういう存在〉だから仕方がないか」
「しかし恐ろしきはその風潮を世が黙認している事実よ。別に歓迎されちゃいないでしょうけど、特にあの乙女達なんかはいい例だわ」
「ほん? いい例ってどういうことだい?」
「エスの幕引きだわよ」
「エス……ああ、乙女同士の恋愛か」
この時代に少女同士の恋愛というのは多くあり、それというのも自由恋愛の本質は未だ遠く、そもそもの
女性の場合、余裕のある家庭では尋常を卒業すると女学校への進学がある。
多くは全寮制だったが、この隔絶された生活環境の内で乙女達は乙女達に恋をし、お
「お目さん、お目さんというやつよ。あなたもよく読み物をしているから分かるでしょうけど、彼女等は男のいない環境でこそ真の自由恋愛を得られる訳だわね」
「いっちゃなんだけど、別に同性愛なんて珍しくないじゃないか。ヨーロッパでも大流行していたし、そもそも日本にだって
「過去のそれと現代のそれとはまた別なのよ、人の世というのは複雑なのだわ」
「複雑にしてしまっているのはその時代の人々自身によるものに思えるけども……しかし幕引きとしての心中が美徳、か。しかも世情は黙認しているだって?」
「ええ、哀れな籠の鳥たちを思えば表面化するのもまた無惨であるってね」
「よく分からないなぁ。結局根絶したいのか許容してあげたいのか、どっちなのさ」
「故に人の世は複雑なのよ、実にね」
鶴の嬢は顔をあげて立ち止まる。
不死衛門も歩みを止めると彼女の視線の先を辿った。
そこには学舎があった。場所はミッション系として古くから知られる某女学校で、先の千鳥ヶ淵から少しの距離にあった。
「あの乙女達はここの生徒でしょうね。二人の装飾品に同じ十字架の首飾りが見えたのよ」
「
「いいえ、あれは一つの例でしかないのだわ。事実、ここ最近では千鳥ヶ淵に身を投げる人々が後を絶たないのよ」
「ふぅん……わざわざ皇城で……」
疑問に唸る不死衛門だが、彼の様子を無視して鶴の嬢は門を越えて学舎へと歩いていく。
「おや、中に入るつもりかい?」
「だって気になるのだもの。どういった騒ぎになっているか知りたいとは思わない?」
「デバガメの趣味はないんだけどなぁ」
「いいからほら、行くわよ」
鶴の嬢の瞳が赤く輝く。
すると、それまで景色の中にあった音や色合いが薄れていく。
先の洋食屋でも起きた隔絶の変化だった。
世界は灰色がかったようになり、その中で二人だけが輪郭を保っている。
「相変わらず便利だよね、君のこれ」
「対してあなたは何一つ役に立つものがないのだから嫌になるわよ」
「自慢は不死身なことくらいだからね」
「ええ、残りは正しく〈害でしかない〉のだわ。兎角、ほら、ついてきなさいな」
「ううん? まるで中の構造を知るかのような……ああ、待ってくれよ鶴の嬢」
仮に〈狭間の領域〉と呼ぶとして、二人は学舎の中へと踏み入った。
薄ぼやけた世界には人々の姿があるのに、それでもフィルムを隔てたような違和感がある。
声も微かに聞こえる程度であることから人々の関与できない、または認識出来ない意識の外に二人はいた。
「先の発見からそう時間は経っていないのに、既に知られている様子だね」
「そのようね。皆、泣いたり嘆いたりと悲しみに忙しないのだわ」
学舎の中では女生徒達の多くがさめざめと涙を零していて、どうやら先の心中事件は皆の知るところのようだった。
ただ、その悲しみの様子もまたどこか妙で、それというのも、少女達の顔には悲しみに紛れて
「……何か妙な雰囲気じゃないかい、鶴の嬢。曰くは黙認されている美徳なのじゃあなかったかな、心中とやらは」
「ええ、それこそ読み物としても多く題材にあげられる程にね」
「ならこの恐れたような空気は何なんだい、皆して怯えていやしないかい?」
「そのようだわね」
「そのようだわねじゃなくて……」
何故にそうも無関心なのだと不死衛門は思うが、鶴の嬢は目的の場所があるのか迷いのない足取りで学舎の中を歩いていく。
やはりその様子は慣れている風で、恐らく、彼女は幾度かこの場所に足を運んだことがあるのだろうと不死衛門は察した。
「鶴の嬢、もしかしてだけどさ。この心中の流行りというのは、千鳥ヶ淵に身を投げやる恋仲の人々というのは……」
「少し静かになさい、不死衛門。ほら、教員の方々が何かを喋っているわ」
何となし察しのついた不死衛門の言葉を遮り鶴の嬢が指を立てる。
彼女がやってきたのは職員室だった。そこには暗い顔をする学校の職員達が集まっていて何事かの会議をしている。
「またですわ、皆様方。またもや我が校からの死者が……」
少しぼやけた輪郭のうちの一人が震えた声でいう。
そうすると他の教員達は同時に深く息を吐き、俯いたままに言葉を絞りだす。
「もう、何が何なのやら……彼女達は何故に死んでしまうのでしょうか」
「かれこれ四度目の事態です。しかも決まって千鳥ヶ淵……」
「生徒のうちでの流行りだとして、しかしどうして我が校ばかりが? 他に身を投げた人物は幾らいるのでしょうか?」
「分かりませんが、しかし、心中する乙女達というのは我が校からのみ……これは流行りで済ませていい問題なのでしょうか」
「ええ、もしかしたら何かの祟りだとか……」
「おやめなさい、馬鹿馬鹿しい! 神の教えの下に暮らす我々に一体何の〈呪い〉を向けられる
「しかし、では、この一連の騒動にどういった
「彼女達の信仰心の問題では? それこそ歪んでしまったのではないでしょうか」
「では彼女達の自由恋愛を制限すべし、と?」
「それ以外に他の解決策があるのでしょうか。それともお寺に駆け込みますか」
「それこそ馬鹿馬鹿しいことでしょう。兎角、そうとなれば生徒達には一度きつく――」
それらの会話を聞いて不死衛門は凡そを理解した。
どうやら例の御堀での流行りというのはこの女学校からの発祥のようなもので、心中する恋人達は皆、ここの生徒のようだった。
「まるで〈呪い〉じゃないか、鶴の嬢」
「ええ、かもしれないわね」
「そして君、何度かここにきているね?」
「元より気になる流行りだったのもあってね。そうしてきてみれば、実際の自殺者達のほとんどはこの女学校の生徒達だったのだわ」
必要な情報を知ると鶴の嬢と不死衛門は学舎を後にする。
改めて二人は御堀へと向かうが、その道のりといえばやはり近い距離で、仮に自死や心中を目的とした場合、これ程身近で安易な場所もないと不死衛門は思った。
「しかし〈置いてけ堀〉と冠するには奇妙な題ではないかい、鶴の嬢。本来の〈置いてけ堀〉は隅田川の〈怪談〉だし釣り人の
「ええ、そうだわね。経緯や多くの
「古典のままに妖の〈脅し〉だろうけどさ、〈置いてけ堀〉ってのは確か、命までは奪わない筈じゃなかったかい?」
「その通りよ。〈置いてけ堀〉というものは本来、危機の呼びかけだったのだわ。夜道に対する危険意識や盗人や見知らぬ人物への
「だのに今回は人が死ぬことで〈置いてけ堀〉と冠された、と」
「つまりはそこの意識の差なのだわ、不死衛門」
再度二人は千鳥ヶ淵にやってきた。
付近では新聞記者達に迫られる警官隊の様子がある。
またも心中かと記者達は燥ぐ
「古くは夜道を恐れ見知らぬ人物を警戒したのだわ。何せその時代は命なんて簡単に奪われてきたからね。夜半に家屋へ押し入って一家皆殺しだなんてことも当然のようにあったのよ。だからこそ〈置いてけ堀〉というのは古い時代に流行って誰もが知るところになったのだわ。それによって安全を維持しようと平和を願ったのね。人々が考えた最良の策と呼べるものよ」
なのに、と鶴の嬢は言葉を続ける。
「時代は明治を境にして大きく様変わりをした。無論、この大正の世であれ人を殺す誰彼はいるし、強盗なんかもある。けれど古い時代とは比較にならない程に平和なのだわ。廃刀令なんぞがいい例ね。武器とは己を守る術だけれども、同時に他者の命を奪う術でもある。今の時代の人々は誰かを殺すことが古い時代と比べると少しばかり難しくなったのよ」
確かにそうかもしれないと不死衛門は頷く。
「そこに付け込まれたのだわ。〈死〉を齎すことが難しくなったのであれば〈死〉へと向かわせればよいと。歳若く多感な時期でもあり、後に
彼女の瞳が赤く輝いた。
その赤は鮮血を思わせる程に鮮やかで悍ましい赤だった。
それは彼女の中の怒りをそのまま表現するかのようで、今回ばかりは彼女を止めることはできないだろうと不死衛門は思い、己の懐を漁ると妖刀村正なる短刀を取り出した。
「つまりこの時代、彼の千鳥ヶ淵における〈置いてけ堀〉は他者を生かすべく存在する注意喚起ではないのよ。それこそは〈その身を今世に残し後の世に旅立たせる〉為の……〈心中を含む自死を促す呪い〉なのだわ」
鶴の嬢は不死衛門から差し出された短刀を受け取るとそれを鞘から引き抜く。
その所作はあまりにも手慣れていた。
乙女の手の内におさまった短刀というのも自然的で、華やかな乙女が刃を手にするというのは異常だが、頷いてしまう程の説得力があった。
「やっぱり持つべき者が持つと相応に恐ろしいねえ、その短刀は」
刃が解き放たれると共に溢れるのは血潮の香りだった。
まるで刀身そのものが血潮で形作られたかのような、それ程までに濃厚な血の香りを纏っていた。
或いは、それは正しく妖刀村正だったかもしれない。
何せ刃を握る乙女の全身からは凡そ人では放つことの出来ない、赤黒い
故に妖刀と呼ぶには相応しいことになる。
妖刀とは人も魔も構わずに斬る刀を呼ぶが、含めて〈人ならざる者が扱う刃〉もまた、妖刀に数えてもよい筈だった。
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