其の二


「ところで先日の〈怪異〉との出来事だけど、その後はどう?」

「へえ、珍しく心配でもしてくれるってのかい。気でも違えたかな?」

「切り刻むわよ?」

「分かった、取りあえずその異常なまでの殺気を抑えてくれ。実に危ない」

「何にせよ、そうも余裕そうなら何の支障もないということね」

「そりゃね。あの後だって割腹芸をやっているくらいだから何も問題はないよ」


 当然のような不死衛門の素振りに鶴の嬢は信じ難い顔をする。


「嘘でしょう、あれ程血塗れになっておいて明くる日には腹を切ったですって? いよいよおぞましいわよ、不死衛門」

「いやだって事実として僕は不死不滅だし、この時代を生きる為には金がいる。で、あるならば稼ぎの為にも身体を張るさ」

「字の如くにね……痛覚はあるでしょうに。往々の人々は考えにも及ばないでしょうけど、あれって本当に腹を詰めているのでしょう?」

「そりゃ当然。さもなきゃああも緊迫した空気はつくれないよ。痛みもあるが故に生々しい風になる。苦悶の表情も唸るような声も、あれらは全て僕の感じるがままの表現だよ」


 誰もが目を見張る割腹の景色。

 立ち込める血の香りや尋常ならざる表情や唸り声は全て不死衛門の身に起きていることのありのままだった。

 つまり、人々の思う所の妙技の実態は、正しく不死衛門による切腹完遂の様子だった。


「如何にエログロが時代の流行りとはいえ、人々は真実を真実とは思わないらしいよ」

「まあそりゃ誰だって信じないわよ。何せ普通であれば死ぬ訳だから」

「だから一度、腑分ふわけでもしてやろうかと思ってさ」

「阿呆なことをいうんじゃないわよ、子供が見たら泣くわよっ」

「そうはいうけどさ、酔っぱらいの腐れ野郎共といえば芸を終えてもイチャモンをつけてきたりするんだよ。そうなると僕だって頭にくるってものさ」

「だからって限度があるわよ。そもそもね、あなた、人ではない存在だと知れたら帝都にいられなくなるじゃないの」

「そうなんだよねぇ。だから冷静になって考えを改めるんだけどさ。それでも意地がある。時に現れる面倒な輩には十文字腹や三段腹を見せつけてやったりもする」

「まるで乃木希典のぎまれすけ武市半平太たけちはんぺいたじゃないの。というかそれ臓腑ぞうふが零れるんじゃあ……」

「零れるさ。けど皆は勝手に幻覚だと結論してくれる。気迫に呑まれたが故に本来ならば見えざるものが見えてしまったんだ、ってね」

「けど現実のことなのよね、いっても信じようとはしないのでしょうけど……何にせよあなたの芸というのは芸とは呼べないのよ、本来ならね」

研鑽けんさんの果てに得たものではないからかい?」

「それもそうだけど、あなたのは見世物のそれよ。正しく裏で流行った切腹ショーのままね」

「けれどもそういう生まれなんだから、それを商売にしたって悪くはないだろう。人の世で生きるには金がいるんだからね。本当、よくもまあ貨幣だなんて価値を思いついたものだよ。これに支配されているのが人間社会の実態じゃあないか」

「その枠組みの中でそのカラクリに上手く馴染まなければあたし達には行き場がなくなるのだから、それにならうのは当然のことなのだわ」

「まあそうなんだけどさ……けれどもそういった社会の云々に必死になるよりかは、こういった自然に目をやる方が幾分、マシに思えるんだけどね」


 歩き続けていると二人は千鳥ヶ淵ちどりがぶちに辿り着いた。

 鶴の嬢の歩くがままに従っていた不死衛門だが、よもや禁裏きんりの傍にやってくるとは思いにもよらず自然と服装をただす。

 そうしていると、だから長屋を出る前の鶴の嬢はああも喧しかったのかと氷解した。


「よいところよね、皇城こうじょうの御堀……どの季節であってもこの立派な御堀に広がる水面を眺めていると、自然と心が安らぐのだわ」

「君は元よりこういう景色が好きだしね。けれどもいわんとすることは理解できるよ。本丸の再建が成されなかったとはいえ、今や禁裏の住まう城だし、その佇まいも見事だね」

「石垣も美しいのだわ……やはり城というのはよいわね、特に城郭じょうかくは素晴らしいのだわ。各門も、どれも立派で見応えが十分にある」

「その洋装に見合わず、君は日本の文化にとても愛があるよねぇ……」

「そりゃね、何せあたしは〈そういう存在〉であるのだから当然なのだわ」

「ああ、そうだね……しかし鶴の嬢、そうも目を輝かせているけども、先からどこへ向かっているんだい? よもや内郭ないかくまで見て回ろうって?」

「いいえ、外郭がいかくを見るくらいで丁度よいのだわ。確かに城郭はよいものだけど、今日の目的は御堀を見ることだもの」

「そうかい。なら向かう先に見える団子売りは関係ない訳だね?」

「ところであなた、ちゃんと懐の余裕はあるのでしょうね?」

「御堀が重要だといってなかったかい?」

「堪能するには不足する要素があるのだわ。満足を得る為には中身も満たさなきゃあいけないのよ、不死衛門」

「それでレディだのとよくもいえたもんだよ、阿呆らしい……」


 程なくして御堀の傍で串団子を貪りつつ至極満悦とした表情の鶴の嬢の姿があり、その隣では心底呆れ返った不死衛門が不服そうに団子を食らっていた。


「そうも不機嫌にならないで頂戴な、不死衛門。何もあなたを都合のよい財布だとかと思っている訳じゃあないのよ……うましうましっ」

「では体のよい奴隷だとかかな。先日から君の暴虐の様といえば餓鬼さながらじゃあないか。そうも食い意地を張って……」

「まあ落ち着きなさいよ。事実、このお団子は美味しいでしょう?」

「そりゃ美味しいけどさ」

「なら損はしていないのだわ。これは実に利となり益となる〈御馳走〉という訳ね」

「正しく〈お供え物〉だとでも? 何を阿呆なことを……」


 両手に複数の串を持ち団子を咀嚼そしゃくする鶴の嬢。

 その姿に説得力はなく、先よりも不死衛門の眉間に皺が寄る。


「いいえ、阿呆ではないわよ。これはあなたがあたしに払うべき対価だったのだわ」

「……対価だって? それは何のだい? よもやの先の件に対してだとするなら、それはお門違いじゃあないか。僕は先だって食事を君に奢ってやったのだから――」

「否、否。この只今こそにあなたは必要な報酬を払い終え、あたしも提示出来たのだわ、不死衛門」

「何をいって……」


 不死衛門がいいかけたところで御堀の一角で大きな声が上がった。

 何事かと不死衛門は視線をやると、そこには多くの人の塊があった。

 集った人々は御堀から身を乗り出し、水面を指差したり、しきりに大声をあげていた。


「てえへんだ、まただ、また出たぞ!」

「しかも〈また二人〉だ!」

「ああ、何て嘆かわしい、天下の皇城の御堀だっていうのに、また何で……!」

「どうにもこうにも流行りなんだろう、それも悲しく虚しい流行りさ……」


 不死衛門は彼等の注目する先を見る。


 そこには死体が二つ浮いていた。

 土左衛門どざえもんだった。

 溺死した人物が二人、御堀の底から這い上がってきたかのように水面みなもに浮き、漂っていた。


「……成程、確かに君に対する報酬だった訳だ。〈ネズミ〉でも持ってきた方が相応しかったかい?」

「噛み殺すわよ腐れ外道。せめて〈油揚げ〉にしなさい」

「ははは……そう怒らなくてもいいじゃあないか。〈古くから続くナライ〉というやつだろう?」

「ふん、心底に生意気な奴だわね……それにしてもこの巷は実に〈死〉で溢れているわね。大正の世の混沌というのはどうしようもないのだわ」

「しかし何故にここなんだろうね。何故に江戸城で……」

「さあ、それは分からないけれども。それでも最近の千鳥ヶ淵はね、本家でもある隅田川を差し置いてこう呼ばれているのよ――」


 鶴の嬢の瞳が赤く煌めき、団子を貪りつつも不死衛門を見つめてこういった。


「〈置いてけ堀〉……今や後を絶たない心中の名所とは、ずばりここ……千鳥ヶ淵なのだわ」

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