其の二
小洒落た店内は
今や珍しくはない帝都の
「しかし凄まじいものだとは思わないかい」
「何がよ」
「文化の成長度合いさ。先の明治から急速に文明開化は広まったけどさ」
「とはいえそれも東京、大仰にも帝都と名乗るここ近辺のみに通用することでしょう」
「それもそうだけどさ、洋装に洋髪も当たり前だし、そこかしこに外国人がいるじゃないか」
「それこそ明治の時代からあったことでしょうよ。何を今更……」
「いやぁ、だからこそさ。先の悲劇からまだ時はそう経っちゃいないのにこれだ。あの関東大震災は余程の被害があったのに、ほんの少しもすれば鉄筋の建物が立ち並ぶし人々は日常を当たり前のように再開している」
驚愕だろうと不死衛門は面白そうに笑い、対して鶴の嬢は目を伏せて言葉を紡ぐ。
「それが人だからだと分かりきっているでしょう、不死衛門。彼等は皆、文化も国も違えようとも爆発的な力を持っているのだわ。刀を帯びぬ代わりに人々は拳銃や西洋式の筆を手に持つようになった。それって時代の変革だわよ」
「その渦中にあると思うと何とも感慨深いよね。でもその大きな渦の中だからこそ……そんな混沌とした時代だからこそ、色んな物が紛れてしまう訳だ」
二人の視線が交差する。
不思議な緊張が生まれたが、二人の合間を割るように注文したオムライスがやってきた。
芳醇なバターや酸味と甘みを併せ持つトマトの香りに二人の胃が急速な運動を始め、兎角として
「ああ、美味しいわ……やはり文明開化は大正解だったって訳よ。食事こそは人の世の産み出した最高の文化だわね、うましうましっ」
「行儀が悪いよ、鶴の嬢……いやしかし本当に美味しい。ライスカレーもいいけど、僕はこちらの方が好きだなぁ」
「いい勝負よね。オムレツとご飯を一緒くたにするとこうも美味しくなるのだから驚きなのだわ」
頬を緩ませる二人は存分に食事を堪能している。
その様子は心底から感激していた。
「しかし悪食のあなたも人並みの味覚があるのね、そっちの方が驚きだけども」
「そのだね……毎度毎度、食事の際にお決まりのようにその台詞を口にするのは止めてくれないかい」
「あら、気に入らないの?」
「何せ
「故に笑えるじゃないの」
「君がだろう、僕にゃ笑えんよ」
「全くもって詰まらない男だわね、不死衛門。そういうのをセンスがないというのだわ」
「西洋かぶれの阿呆めが……」
「ハイカラと呼びなさいな」
至福の表情でオムライスを頬張る鶴の嬢と打って変わって不死衛門は不機嫌だった。食事に不満がある訳ではないし、事実、彼にとってオムライスの味は美味だった。問題があるとすれば向かいの席に座る乙女の態度や言葉の調子だった。
「時に不死衛門。あなた、普通に食事しているけど……腹が空いているんじゃないかしら」
「……そりゃあ満たされた日はないけども。よもやそういう類の話しでもあるってのかい」
「その為にわざわざ〈奇妙通り〉にまで出向いてあげたのだわ」
「ほぉん、てっきり乞食よろしく食事を求めてやってきたものだと思っていたんだけども」
「乞食は否定しておくけど食事の云々は正しくよ。一つの情報料だと思ってほしいわね」
「なら〈油揚げ〉でも頼むかい? こちらのほうが君には相応しいと思うけど?」
「減らず口も大したものだわね、生意気な……」
オムライスを完食した頃合いに鶴の嬢がいう。
その内容に先のお返しとばかりに侮りを含めて不死衛門は言葉を返すが、しかし鶴の嬢は冷静だった。
「ところで最近のあたしは某デパートで働いているんだけどもね。ほら、あの四階建てのよ」
「……僕がいえた義理じゃないけどさ。君、会う度に職種がコロコロ変わっていてさっぱり安定しないよね」
「何せモガですからね。興味の向かうがまま、あたしは風のように生きるのだわ」
「そうかい、そりゃご立派。んで、君がデパートで働いているというのは分かったけども」
「エレガよ」
「えれが……? あ、まさかエレベーターガール?」
「そうそう、それ」
「何でもかんでも簡略化すりゃいいってもんじゃないと思うけど」
「だってそれが大正の流行りなんだもの、仕方ないじゃないのよ。とてたまよ、とてたま」
「文明の進化に対して人のオツムは退化している気がするなぁ……」
かぶりを振り、一度水を口に含んだ不死衛門は会話を続ける。
「で、ご立派なエレベーターガールさんは何のお話があるのかな」
「そうね、まあお分かりの通りに現代……この大正の時代には多くの人々が帝都にやってくる。それこそ買い物を含め娯楽の全てが溢れているからね。特にデパートに百貨店なんぞは分かりやすくて皆一度は足を運ぶのだわ」
「何でも揃っているしね。僕も
「無駄にお金あるわよね、あなたも」
「まあ、さもなきゃ洋食屋にくる訳もないからね」
「だのに住まいは
「大人から子供まで、老若男女様々と、それって大変そうだけど」
「そりゃ大変よ。それでも仕事ですからね、文句の一つも零さずに働いているのだけども……」
鶴の嬢が指先でコップの縁をなぞる。
その指の動きを見て、或いは会話のじれったさも加味してか不死衛門は自然と膝を揺する。
「先日にね、いっとうに面白いのがやってきたのだわ」
乙女の瞳に赤く、妖しい輝きがあった。
大きな瞳は不死衛門を真っ直ぐに射抜き、視線を寄越された不死衛門は軽く身を乗り出す。
「君が面白いというなら……そいつは面白い奴かもしれないね」
「そうね、何せ相当に昇降機が珍しいのか、まるで
「……それってのは、エレベーターに何度も乗り込んできたってことかい?」
「数えるに百に達する程よ」
「百回もっ」
予想を超える行動に不死衛門の口が苦笑に歪む。同じく鶴の嬢も苦笑を零した。
「でも仕方がないわよね、珍しいとなれば好奇心旺盛な性格であれば抑えがきかなくなるものよ。先にも触れたけど、如何に西洋文化が広まりつつあるといってもそれは帝都にのみ通用することなのだから、そういった近代文明に触れてこなかったとしたら驚天動地に等しいものなのかもしれないわよね」
「まあ、確かに最初はそういうものかもねぇ……」
「だからこっちも寛容な心持ちになってしまったのだわ……何せ衝撃だったんでしょうからね。例えそれが――」
一度そこで言葉を切った鶴の嬢は、はっきりとした口調で続けた。
「〈人ではない存在〉だったとしてもね」
不思議と景色から音が消え去った。
店内には複数の客がいる。食事の景色もある。
だがそれらの輪郭が薄れたような、奇妙な隔絶のようなものが起きた。
変動の中心には不死衛門と鶴の嬢がある。
二人は静けさに支配された洋食屋の中、互いは互いだけを認識していた。
「それの正体は?」
「さあ、分からないわね。何せ日夜帝都には多くの存在が押し寄せるのだから、それの正体なんてものは見当もつかないわよ」
「何とも情報不足だなぁ、それだと情報料にオムライスは見合わないんじゃあないかい」
「あとでアイスクリームも食べたいんだけども」
「君の面の皮の厚さといえば心底に驚きなくらいだよ……いいだろう、もう少し詳しいお話をお願いできるかな」
「物分かりのよい男は好きよ、不死衛門」
「勘弁してくれ、君に切り刻まれるのだけは御免被る」
「あなたも大概失礼だわねぇ……」
不機嫌そうに鼻を鳴らす乙女だが、奇妙な静けさに支配された景色の中で言葉を続ける。
「恐らく、というよりは……間違いなく〈呪い〉を持つ類でしょうね」
「ふぅん、〈呪い〉か……何故に分かるんだい?」
「いうなれば〈呪い〉を持たない存在の方が少ないけども……先の異常な執着に
「儀式」
「或いは様式かしら。何百と繰り返すことによりそこに理が生まれるのよ。単純にいって、人の世で当然のように行われる挨拶も〈呪い〉に部類されるわね」
「へえ、おはようございますとかお元気ですか、が?」
「それそのものが一つの儀式だし形式になっているもの。それが人の世に浸透した他者との関わり合いにおける前提条件であり〈呪い〉だわね。挨拶というのは〈相手の正体を問う〉行為なのよ。人であれば名乗るのが道理ですからね。名乗れないとすればそれは人外よ」
「集団で生活するが為に生まれた戒律か、はたまた自衛の為の手段と呼ぶべきか……〈呪い〉という呼び方は少しばかり疑問だけど、そういわれると〈呪い〉なのかもしれない」
「そんな訳だけど、その〈呪い〉が百回も繰り返したおかげで完成されてしまったのよね」
「……それってのは?」
「〈怪異〉よ」
「あー……」
一度天を仰いだ不死衛門に鶴の嬢は面白がったような笑いを零す。
「曰くは根源足る理由こそが〈呪い〉だけどさ……それの作用に至る実質的な手段、或いは現象こそが〈怪異〉と呼べるけれども……目出度くも〈怪異〉に昇華したと。現象化するに足る程の腐れた忌々しい〈呪い〉だってのかい、そいつは……」
「律儀にも〈お百度参り〉を完遂なされた訳だからね、〈呪い〉の正体が何であるにせよ、次第にあのデパートの昇降機では様々な害が出てくるでしょうね」
「で、君はそれを黙って見過ごしたと」
「見過ごしちゃいないわよ。観察していたのだわ」
「それを見過ごすというんだよ……」
「だって面白いじゃない。近代文明に触れて感極まった挙句に〈呪い〉は〈怪異〉を産み落としたのよ。それって凄まじくシュールなのだわ」
「まぁた気取ったような英語を……まあいいや、つまりはだ、その〈呪いが産み出した怪異〉が僕への情報だってことかい」
「ええそうよ。常に満たされない不死衛門にはいい材料ではないかと思ったのよ」
「まるで生餌を犬猫にやる様を楽しむ人類のようだなぁ」
「それに近いわね。今回のその〈呪いが産み出した怪異〉が不死衛門を満たす訳がないとは思っているけど、だからといって不死衛門からすればそういった程度のものでも見逃す訳にはいかないでしょう?」
そうだろうと問われると不死衛門は渋々のように頷く。
その反応に満足の笑みを浮かべると鶴の嬢の瞳に浮かんでいた真紅の輝きは鳴りを潜め、それと同時に今まで静けさに支配されていた洋食屋の店内は本来の音を取り戻した。
様々な音が芽吹く景色の中、鶴の嬢は面白そうに笑い不死衛門を見つめている。
「ああ、あとね、不死衛門。行動するなら早いうちがいいわ」
「そりゃまた、何でさ」
「だって今朝、そのデパートで人が死んだからね」
「……マジかー……」
不死衛門が再度天を仰ぎ、抱腹する勢いになった鶴の嬢は声をくぐもらせて笑う。
対極の反応をする二人に、通りがかった店員は「妙なアベックだ」と疑問に首を傾げた。
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