夢のレストラン

端音まひろ

夢のレストラン

 私は古ぼけて暗い印象の「夢のレストラン」という看板がかかっているシケたレストランのドアを開けた。

 にぶいベルの音がする。

「いらっしゃいませ」

 店内は薄暗い照明の真ん中に椅子が三つだけ並んでいるカウンター席しかなかった。

 奥にはコック帽にコックコートを着たこざっぱりとした若造が一人微笑んでいる。

 人相学というものはよく知らないが、コックの全体的な印象はいい。

 やはり、職業柄、そういうのを心がけているのだろうか。

 彼の短い黒髪は料理人として誠実さを感じさせる。

 結構いろんな国の人を見てきたが、このコックはどこの国がルーツが分からない顔をしていた。

 きっと生まれは日本人ではないだろう。

 そんな所作をしている。

 そして、その笑みは何を考えているかわからない不気味さを覚えた。

「ここにご予約なしに来られるなんて珍しいですね」

「どういうことだ?」

「普通は予約なしでは入れないんですよ」

 コックの意味深な言葉に私はふわふわとした不思議な気持ちになった。

 酒など飲んではいないのに、ウィスキーをストレートで一気に飲んだときよりも、ぼんやりした高揚感がある。

 一年前に飲んだ響の香りを思い出す。

 利き酒なんて、分からないし、ウィスキーは香りが苦手なのだが、響は高級なだけあってか、とてもおいしかった記憶がある。

 って、過去を振り返っても仕方がないな。

 私の絶望を中和してくれるこの気持ちよさをずっと味わっていたかったけど、私は頭を振りきり疑問を返す。

「ここは夢のレストランでして。知らない人にはなかなか訪れることができないんですよ」

「それは隠れ家的なものだからか?」

 コックはさっきから笑顔を一回も崩さない。この不気味な笑みに私は背筋が凍る。

「さあ? どうでしょうね。そう思うなら、そうなのでしょう」

 なんかはぐらかされた気がする。

 突然、腹の音が鳴った。恥ずかしくてお腹を押さえる。

「そこまでお腹が減っていたんですね。では早速……」

 コックはそう言って後ろにある銀色に光る冷蔵庫のドアに手をかける。

 私はあわてて、

「ちょっと待ってくれ。私は今有り金がないんだ。高級なものを出さないでくれないか」

 コックを止めた。

「はあ。一体なにかあったのでしょうか?」

 振り返ったコックは首をひねる。

「何かあったからこんなに薄汚れた服を着ているんだよ」

 コックを止めた私は着ているコートについた黄砂を払った。椅子の背もたれにかけると、その席に座る。

「私は海産物の食品加工メーカーの社長だった。割と大きな会社でな。そろそろ上場替えしようかって思っていた矢先だ。数年前まではかなり業績よかったんだよ。でも、今は借金まみれ。高級住宅地の家が三つほど建てることが出来るほどの借金があるんだ」

 自分の暗い身の上話をする。

 しかし、コックはぽかんと首をかしげる。

 こっちはかなり深刻な話をしているというのに、なんだ。

 このノンデリカシーは。

「そうだったんですか。それは大変でしたね」

 コックの口調は軽い。

「てめえ、本当に大変だったって思っているのか?」

「いえ、全然」

 少しは気遣いをしろ。

 私は辛気くさいことを言っているのに、コックはお気楽な顔でニコニコと笑うなんて、どういう神経をしているんだ。

 来なきゃよかったか?

 とは思うが、こんな脳天気でも、愚痴は聞いてくれるのだ。

 ワガママを言える立場ではない。

 私は話を続ける。

「嫁も役員も全員夜逃げした。つまり、私一人でこの借金を返さねばならない。しかし、銀行口座は空っぽ。その上、サイフの中は最低限の金しか入っていない。この食事をして、私は死のうと思っている。そうでもしないと社員に顔向けできないからな。金はないが、食い逃げをしようなんか考えていないよ。だから、なるべく安いものが書かれているメニュー表をくれ」

 そう言う私の前にコックは無言でお冷やを置いた。

「シケたこの店を選んだわけはな、シケてても残っているってことは、それなりにうまいって証拠だろう。私はうまいものを最後の晩餐として食べて死にたいだけなんだ」

 私はそう言って、けだるさからテーブルに溶けるようにうつ伏せになる。

「シケた店ねえ。いい感じだと僕は思うんですけど」

 コックは不満げにつぶやく。

 お前の不満なんて、私の不幸より、はるかにマシじゃないか。

 それはともかく。

 くやしい。私の人生は今日でおしまいにすると決めているのに、やはりどこか死にたくない自分がいる。

 人生のどこを間違えたのだろうか。

 新技術への投資なんて、大博打だった。

 事実、部下から、やめておこうと進言を受けていた。

 あのときの私は、おそらく過信していたのだろう。

 言うことをきちんと聞けばよかったかな。

 死ぬことは決定事項なのに、イヤな思考がグルグルと回る。

 こんなこと、考えたくもないのに。

 だから、死のうと思っているのに。

 キッチンに戻ったコックは無言で何かを切り始めた。軽やかなテンポで板を叩く音がする。

「おい。ちょっと待て」

「なんでしょう」

「まだ注文をしてないぞ。メニュー表をくれ」

 私の文句に、コックは何も気にせず、

「ここにはメニュー表というものはありませんので」

 おだやかに微笑む。

 ああ、気まぐれコックのなんとやらってやつか。本当にあるんだな。まあいい。うまいものさえ食えればそれだけでいい。

「安くしとけよ。有り金しか払わねえからな」

「承知しました」

 私の注文は無事通ったようだ。

 これで食い逃げにはならないだろう。

「そういや、さあ」

「なんでしょう」

「私の自殺をとめないのか」

 私は静かにコックに尋ねる。

「ええ。止めませんよ。生き方というのは、本人の意志を尊重すべきだと思うので。確かに命は大事ですが、それをどう使うかは本人次第じゃあないですか?」

 コックはこちらを全く見ずに答える。包丁の軽やかな音色だけが響く。

「そうか」

 私はため息をつく。

 とにもかくにも、人間は冷たい。

 自分さえよければいいという生き物なのだ。

 私のことなど、どうでもいいのだろう。

 まあいい。

「せいぜい、うまいものを食わせてくれよ」

 私は背もたれに寄りかかって大きく背伸びをした。椅子に座るのも久々だし、最期の椅子だから満喫しよう。

 楽しげな音を立てながら、コックはフライパンで何かを炒めていた。


「では、ナポリタンです。スープもあとで出すので、ぜひ、どうぞ。コーヒーは食後でいいでしょうか」

 しばらくして、私の前にトマトケチャップで赤く染まったスパゲティが置かれた。輪切りのピーマンの緑が良いアクセントになっている。

 おいしそうではあるが、どこにでもある普通のナポリタンだ。

「いただきます」

 私は合掌して、フォークを手に取った。コックの方を見ると、何かすっている音がする。気にせず、私はナポリタンを口に入れた。


 突然、私の頭と口の中はスパークした。トマトケチャップの甘酸っぱさとウィンナーのジューシーさとニンジンの甘みとピーマンのほろ苦さが丁度良く合わさってて……一言でいうなら、とてもおいしい。感動的で涙が出てしまう。

 こんなに温かなナポリタンははじめてかもしれない。

 信じられない味。

 まさに夢のようだ。

 気づけば、皿はあっという間に空っぽになってしまった。あとから出てきた卵スープもやさしい味で身体が暖まった。満腹でなければもっと食べたいと思うほどおいしいナポリタンと卵スープだった。

「食後のコーヒーですよ」

 カウンターの上にはコーヒーカップがあった。なみなみとコーヒーが注がれている。

 香ばしい香りは、とても落ち着く。

 このコーヒーも今までにないぐらいおいしかった。苦みも酸味もほどよくあって今まで飲んだことがない味だ。このコーヒーを飲んだらきっとブルーマウンテンもおどろき、逃げるだろう。

 本当に満足した最後の晩餐だった。

 こういう最期もありなんだろうな。

 目から溢れ出てくるものをボロボロのハンカチで拭く。本当はこんなところで終わりたくないのだが、仕方がない。

 人生とは、きっとそういうものだ。

 有終の美を飾りに行こう。

「あの、満足していただけたでしょうか?」

 こっちの気持ちを裏腹に、コックは気持ち悪いほど満面の笑みを浮かべていた。

「ああ。満足したよ。夢のような食事だった。まさに夢のレストランだったよ。じゃあ、会計をしてくれ」

 自虐的に笑った私は空っ風が吹く財布を取り出す。

 そして、

「いくらだい?」

 と、コックに尋ねた。


 その瞬間だった。


 激しいノックの音と共に店のドアが開いた。

 乱暴にベルが鈍く鳴る。

「社長! やっぱりここにいたんですね! ああ、良かった、死んでなくって」

 そこに居たのは夜逃げしたはずの専務と常務だった。クリーニングをしていないためだろうか、ヨレヨレなスーツを着てる。

 よほど慌てていたのだろう。

 二人とも、ぜいぜいとあえいでる。

 常務なんか、座り込んでしまっていた。

「なんだ。死にゆく私を嗤いにきたのか?」

 私は専務と常務を鼻で笑う。

「社長、皮肉を言っている場合ではございません! 会社の買い手がついたのです。しかもその金額が……」

 専務が言った金額は私の借金を返してもなお、まだ高級住宅が二軒買えるほどの金額だった。

「そんなバカな。冗談はよせ。無駄な期待を持たすな。そんな金額を出す会社なんて、どこに存在するのか?」

 私は悪態をつく。

 専務は食らいつくように、

「そんなことをおっしゃらないでください。無駄な期待じゃないんです!」

 立ち上がり、必死に訴える子どものように、叫んだ。

「どこに存在するかって、最近台頭してきた会社ですよ。最近話題のバイオサイエンステクノロジーで有名なところです!」

 立ち上がった常務はそう言って封筒を取り出す。それを受け取り、書かれている内容を読んだ。なんと、そこには最近話題のバイオ科学のメーカーが。我が社の経営危機に瀕させた商品加工技術が欲しいから会社を売ってくれと書かれていたのだ。

 その金額は、常務の言うとおり、信じられない夢のような額。

 のれん代が高すぎるのではないだろうか。

 ゼロの数を間違えている気がするぐらい高い。

「なんだって? 我が社の財政を圧迫させたあの新技術がまさか!」

 なんだ、夢でも見ているのだろうか?

 まさか借金が返せるなんて!

 おどろく私に、

「そうなんです。我々の技術は無駄ではなかったんですよ!」

 二人は声を揃えて、そう叫ぶ。

「そうか……。なら、行くぞ!」

 私は会計を済ませる。

「ありがとな、あんちゃん。おいしかったよ!」

 二人の部下を連れ、店を出た。

 コックは無言でうなづくだけだった。

 

 それからの毎日は凄く充実していた。っていっても、元の会社はたしかに買われてしまった虚無感はある。

 金はあるから、財テクしてFIREをしてもよかったのだろうけど、のんびり暮らすのは私の性分に合わない。

 そこで新事業を興すことにした。

 私には海産物の知識しかないが、それを生かして、シーフードカレー専門店を開くことにした。

 飲食店という新天地、最初の数ヶ月こそ、閑古鳥が鳴いていたが、インフルエンサーによって、SNSでバズりにバズった。その結果、口コミが口コミを呼び、評判が評判を呼び、業績はうなぎ登り。二号店、三号店も出店し、現在、四号店の物件を探しているところだ。

 私はどれだけ苦しい営業でもその先にある利益のことを考えたら、全くつらくなかった。

 一つだけ心残りとしたら、元の会社と商品加工技術だ。我々の威信を賭けて開発したのにもかかわらず、成果を出したのは我々ではなかったのはやっぱり悔しい。

 自信が過信でなかった証明はされたものの、その証明は私がしたかった。

 ちゃんとあのとき、新技術の素晴らしさをこんな風に営業できていれば……。部下達をちゃんと面倒見ていれば……。

 毎日、こんな後悔ばかりだ。

 人生は「たられば」で生活はできない。

 それは分かっている。

 でも、後悔していた。

 

 今日は深夜まで営業に出かけていた。不動産会社も無理難題を押しつける。そんな割高な店舗を借りられるものか。

 まあ、それはつまり、会社が順調に回っているということなのだ。それだけ、うちのシーフードカレーは人気というわけだ。

 朝、キッチリと着ていた服は、一日中外回りをしていたせいで、黄砂で薄汚れていた。明日でもクリーニングに出そう。

 そんなとき、丁度通りかかったので「夢のレストラン」に寄ることにした。


「やあ、あんちゃん。元気か? 随分と遅くまで営業をしているんだな」

「ええ。おかげさまで」

 ドアを開けると、前と全く変わらないどこの国にも居なさそうな顔のコックが笑っていた。

 相変わらず何を考えているかわからない。

「おかげさまであんちゃんのナポリタンを食べて元気出て、死なずに済んだよ」

「いえ、ぼくはただ料理を提供しただけですよ」

 私のおだてにコックは全く笑みを崩さない。

「さて、どうぞ」

 コックはそう言って、ケチャップのスパゲティ――ナポリタンを私の前に置いた。

「どういうことだ? 私が来るのが分かっていたのか?」

 私はフォークを手に取り、ナポリタンを食べ始めた。

「いえ、来るのは分かっておりませんでした。でも、ずっとここにいるじゃあないですか?」

 コックの言葉と目の前にある空の皿を見て私は背筋が凍った。

 そりゃあ、そうだ。

 気がついてしまったのだ。

 手に握っている涙で濡れたボロいハンカチ。

 私は……「今」の私は……。


 借金まみれで自殺しようとしていたという事に。


「だから言ったでしょう。ここは『夢のレストラン』です。夢は覚めるもの。いわゆるこれが胡蝶の夢ってやつですかね」

 コックは鼻で笑うと、

「帰ってこなかったら覚めなかったかもしれませんね。何故ここに寄ったんですか」

 と不気味に微笑む。

 私の心は冷たくなった。

「さて、今は現実ですけど……。これからそのまま死にますか? それとも、もしあなたの見た夢が一つの可能性であると信じるのであれば、貴方の行動次第でまた別の可能性があるのではないのでしょうか」

 落ち込む私にコックはそう言って、コーヒーのおかわりを注ぐ。何を言っているんだ。覚めなきゃ良かったよ。確かに悔しい思いはしたが、あんなに順調に新事業が進んでいた幸せな生活がまさか夢だったなんて! 怒りと悔しさのあまり唇を強くかむ。

 そのときだった。

「社長! やっぱりここに居たんですね! ああ、良かった、死んでなくって」

 ヨレヨレのスーツを着た専務の二人がやってきた。まさか……。

「社長、ニュースです。件の新技術を目当てに我が社を買いたいというところが現れたのです!」

「凄い値段ですよ! 借金が一気に返せます!」

 騒ぐ二人の専務に私は、

「なあ、お前達。逃げようとした私を許してくれるならば、ここは私の手腕に任せてくれないか。そんな金額で買う技術を我が社が持っているのであれば、開発した我が社にしかできない事業もきっとあるはずだ」

 私はそう言ってコックの方を見る。

「あんちゃん。会計するよ。そして、悪いが、もう二度と来ないよ。お前さんもそれを願ってくれ」

 私の言葉にコックは何も言わなかったが、なんとなく満足そうな目をしていた気がした。

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