気持ちの名付け







 朝起きると、すでに隣にハルちゃんの姿はなかった。時刻はまだ6時過ぎ、いつもの私なら確実に二度寝を決め込む時間だった。ただ、今日はなんとなくそんな気分にもなれなくて、一人のまま布団から出る。


 とりあえずお茶でも飲もうと、パジャマのまま階段を降りる。キッチンに入ると、すでに制服に着替えたハルちゃんがエプロンをつけて、そこにいた。お弁当の具でも作ってくれているのか、朝からきびきびと動いている姿に得も言われぬ感情を覚える。


「あっ、あかねっち、おはよう。今日は早いね。ごめん、まだ朝ご飯はできてないんだ」

「おはよう。まだご飯は食べないから大丈夫。何か手伝えることある?」

「う~ん、今は大丈夫かな」

「そっか、分かった」


 私はそう言いながら冷蔵庫に向かい、麦茶を手にする。あっ、玉子焼きを焼いていたのか。どうりで、甘い香りがしたわけだ。ハルちゃんのそれはママのと同じで甘い味付けで、だけど全く同じと言うわけではなく、違うところもある。何が言いたいかと言うと、どっちも美味しいということだ。


 お弁当でそれを食べられることを楽しみにしながらコップに注いだ麦茶を飲む。冷たい麦茶が体に染み渡るのを感じた。


「あかねっちはこのまま起きてく感じ?」

「う~ん、どうしよ。眠い気もするけど、二度寝するのはなんか違う気もするんだよね」


 眠いっちゃ眠いけど、またベッドに戻って寝るっていうほどではない。それに、ハルちゃんにだけ負担をかけたくなかったし。


「それなら、そっちのソファで少し横になれば? 朝ご飯できたら声かけるから」

「えっ? いやでも、そしたら何も手伝えないし」

「うん? ああ、こっちは大丈夫だからさ。というか、あかねっちの寝顔が見られるならそっちの方が嬉しいな」

「そ、そうなの? なら、お言葉に甘えちゃおうかな」

「うん、それがいいよ」



 そうして、昨日ハルちゃんと一緒に座ったソファに今度は一人で寝っ転がる。横になると、急に眠気が襲ってきて耐えられなかった。私はその眠気に逆らわず、すぐに意識を手放した。







「あかねっち、あかねっち。そろそろ起きて。朝ご飯用意できたから」


 ハルちゃんの声がする。ってことは夢か。家にハルちゃんが来てるわけないもんね。もう少ししたら自然に起きれるだろうし、後もうちょっとだけ寝よう。


「もう~、早く起きないと、そうだな。……キスしちゃうよ?」

「うぇっ!」


 耳元でボソッとそんな声が聞こえ、慌てて目を開けると、残念そうな表情をしたハルちゃんと目があった。き、キスって、そんなまさか。


「あ~、起きちゃったか。まあ、する気はなかったけどね。ほら起きて、あかねっち。朝ご飯食べていかないと」

「あっ、うん。食べる食べる」


 はあ~、朝からびっくりした。ま、まあ冗談だよね。女の子同士でキスなんかしないもんね。……でも、それにしてはやけに残念そうだった気が。ううん、私が勝手に思っているだけ、だよね?



 もう何度目かも分からない心臓の高鳴りを抑えつつ、ハルちゃんの作ってくれた朝ご飯をみんなで食べる。そうしていれば、いつの間にか鼓動も落ち着いてきた。笑いあいながらの食事は、いつだって楽しいものだ。将来、二人と別れた後も、またこんな風に食事ができたらいいな、なんてことを漠然と思った。








 その日の夜、私は二人をリビングに呼んだ。話し合いをするためだ。夜遅くなると、シロちゃんが眠ってしまうため、夜ご飯を食べて、お風呂を終えてすぐの時間。私は二人と向き合って座った。


「それで、あかねっち。話って言うのは?」

「うん、ちゃんと認識を擦り合わせておこうと思って」

「認識?」

「そう、認識。ハルちゃんたちは私に何を望んで、私と何を一緒にしたいのかなって思ってさ」



 私とハルちゃんたちは恋人同士だ。実態はどうであれ、そういうことになっている。しかし、私にはまだその実感はない。ところどころで以前の幼馴染だけの関係とは違うことを意識することはあっても、やっぱりハルちゃんたちはハルちゃんたちのままで、恋人っていう感じではない。



 それはハルちゃんたちにしてもそうかもしれない。幼い頃に私が結婚しようって言ったから律儀に約束を守ってくれているのだろうけど、実際ハルちゃんたちの気持ちが恋心かどうかは分からない。それが友だちに対する親愛なのか、それとも異性に、いや違うか、同性に向ける情愛なのか。ハルちゃんたち自身にも分かっていないんじゃないか。



 だからこその擦り合わせだ。自分の気持ちに名前を付けるなんて難しい。名前を付けて呼んだところで、相手とその名前が一致するかも分からない。今は恋人という関係になっている私たちだけど、本来は違うのかもしれない。



 今朝もハルちゃんは冗談めかしてき、キスだなんて言っていたけど、本当にそうしたいとは思っていないだろう。だって、私たちは幼馴染だよ? ハルちゃんたちのそのふっくらしてて、ぷるんとした唇を見ても別にキスなんか……し、したいと思わないし。



 ま、まあ、だからちゃんとここではっきりさせておこう。そうしたら、また前の関係に戻れるかもしれない。恋人だなんて一時的で不安定なものじゃなくて、親友という強固な関係に。そうなることを望んで、私は二人の返答を待った。





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